習うことが好き
思い起こしてみれば、ずっとなにかを習い続けている人生だ。
習う=若いうちにしか出来ないこと。経験を増やして未来に繋げること。
それが若かった頃の私が思っていた、習い事や資格取得の定義だった。なのに現実は、誰が見ても大人の年齢になった今もあれもこれもと学び続けている。
この状況はいったいどういうことだろうか。未だ、いろんなことに興味があって、したいことが山ほどあるなんて、私はどうなりたいんだろう。自分で自分が理解できない。しかも習ったことすべてが身になっているわけでもなく、習った(知った)ことで興味を失い消化してしまったものも割とある。
習ったことはすべて自分に必要なことだ、なんていうのはキレイゴトで、習う必要全然なかったな、というものも半分……とは言わないけれど、そこそこある。そんな中でも、習う先生をミスッたな、というのが一番悔しいかもしれない。納得がいかなくてもっと学びが深まったものもあるが、『あの人(あのスクール)にお金を落としたのはただのボランティアだったわー』というのは、今思い出してもちょっと悔しくなる。
一昨年だったか、ここにも書いた記憶があるが、ダイエット塾なるものに申し込み、アホみたいな金額をつぎ込んだ。そして撃沈……したわけだが、これは珍しく良い方へ作用した。そこに足を踏み入れたからこそ、栄養について考えるきっかけとなり、栄養学の勉強を本格的に始めることになった。セミナーに参加したり研究会に入ったり、サロンに入会したりして、今も継続して勉強していて、資料も女性誌で言ったら20冊分ぐらいは積んでいる。(読み返さないけど)
どの食材になんの栄養素が入っていて、それを一日どのくらい食べたらいいかとか、この栄養素を摂るとこんな働きがあって、この病気の予防になるようだ、とか、そういうことを知っていくのがとても楽しい。
その延長で、体の外側にも興味が湧いた。
リンパケアや足つぼなどは資格取得済み。(要するに昔から健康や美容に関することを学ぶのが好き。どこをどうするとどこに作用する、みたいな、理論を知るのが特に好き)
そして去年は、身近すぎて素通りしていたドライヘッドスパに意識が向いた。これまた迷うことなくスクール(サロンを持っているひとりオーナーさん)へ行ってみた。人気のサロンだし、有名どころで習ってきたと書いてあるし、ここなら私の知識量を増やしてくれるのでは、と期待は膨らんだ。
結果、愕然とした。
いくら国家資格じゃないからって、ちょこっとの座学であとは指使いを覚えるだけでいいなんて、私だったらそのレベルでは怖くて仕事にできない。確かに、頭のリンパなんてどこを押しても『間違いじゃない』から誰がやっても効果は出るし、結果が出るんだから『正解』なのだろうけど。。
理屈を知らないとキモチワルイ私には、かなり物足りないスクールだった。消化不良のままでは嫌だったので結局学び直したけれど、とんだ散財だった……。
そして現在(今年)は、米粉のパン教室へ通っている。
体の内側について学んでいったら、私が毎日でも食べたい大好物のパン(小麦)を米粉で代用したくなった。で、パンを作ろう! になったわけだ。パンを作り始めたら、昔資格を取った手作りせっけんのことも思い出した。(要するに、作業が似ている)
私が習った頃のせっけんは実用重視で、その後出てきたケーキのようなせっけんやレースをあしらったせっけん、宝石せっけんなどの作り方は分からない。――あ、知りたい。
急に思い立ち、再びせっけん教室に通い始める。
といった感じで、学ぶことが止まらないのだが、毎回『来年こそは、落ち着こう……』と決意する。なのに結局、年が変われば学びたいことが出てくるのだ。
かくいう私も、人様にハンドメイドを教えたりしている。
私が習い事をするのと同じ理由かはわからないが、ハンドメイドを習うことが好きな人たちがいて、私が習いに行って感じる『ワクワク』を、たぶん私の生徒さんたちは、私の教室で感じてくれているようだ。終わった後、『楽しかった!』と言われると、すごく満たされる。
内容にもよるだろうが、『〇〇になるために』が省かれた大人の習い事は教える方も受ける方もハッピーなことが多いように思う。誰に強要されたわけでもなく、自分の意志で、自分の好きなことをする時間は『ただただ楽しい』から。
私はこれまで、年齢と共にいずれ習うこともやめるのだろうと期待を込めて(?)信じ続けてきた。できれば早めに“落ち着きたい”とも願っていた。
けれど、パン教室でいつも隣に座っている方は60代後半だし、私の生徒さんで最高齢は79才だ。
年齢が卒業の理由にならないことは目の当たりにしていたはずなのに、自分には当て嵌めなかった。若い頃に定めた人生設計や定義のせいだろうか。
自分はいくつまで習い事をするつもりなのかと呆れてもいたけれど、諸々あきらめて、受け入れようと思う。
この先の私がなにに興味を示すのか見当もつかない、というのもロマンじゃないかな、という気がしてきた。
なんてね。
秋の夜長に語ってみた。
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