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神様を信じられない私は、自らで信仰を作るしかない。

私の家系は、有名な神社で子供の命名をしてもらい、葬式は仏教式で、クリスマスを楽しむ日本的な多教徒である。

そのためだろうか?私はイマイチ宗教というか「神様」みたいなものが信じられないでいるし、宗教の教えにもしっくり来ないでいる。
悟りもしたくないし、従来の天国も素晴らしい場所と思えない、そんな微妙な楽園に行くために厳しい戒律を守るのもなんだかなぁ、お布施もなんだかなぁといった不信感があるのだ。

しかし、生きる意味が分からない世の中は頼れる考えがないとあまりにも不安だ。
私は生きるにあたっての生活の軸が欲しくなったのもあり信仰に寄りかかりたくなったが、上記の理由もあるし、一番望む事が「架空の人間である好きな人と結ばれたい」である私にとって、すんなり信じたい!と思える信仰が、なかった。


なので自らで信仰を作った。
信じるべき依代は好きな人間(漫画のキャラクター)だ。
私は遠くて簡単に救ってはくれない神様の機嫌を取るよりも、好きな人の機嫌を取って生きたほうが有益だと考えたのだ。

幸いなことに、私の好きな人間はどちらかというと善人寄りの感性をしている。
私は、好きな彼を悲しませないように生きる事にした。簡単なルールだ。

また、生きることは辛く厳しい苦行なのだから、死ねば好きな好きな人間と出会える報いがある、ということにした。

死後の世界で好きな人間と出会えたとしても、ひどい犯罪を犯せば彼は私に対して失望するであろうし、道徳的に正しい行いをすれば彼はさらに私を好きになってくれるだろう。

全て捨てて、すぐに彼に会いたくなって自死したら彼は私を叱るだろうなぁと思えば自死もなんとなく防げる気がする。


信仰を深めるために……という言い訳をしてグッズを収集する際の金銭的罪悪感も薄くなった。

ただ一つ問題があり、私の好きな人間はおそらく高すぎるグッズを買ってしまったり、ソーシャルゲームで天井まで課金してる所を見たら彼は普通に怒りそうだなぁ……と不安だ。
お金を大切にしなさい的な説教をしてきそうだ。
例えるならば、
『仲睦まじい夫婦の夫が、妻のことを喜ばせようと普段欲しがっていた高いものを買ってきたが、経済的にキツイときだった為、妻に怒られた』
状況であろうか?
彼は、私と違ってしっかりした人なのだ。



生きるのは辛く苦しいままであるが、死後良い事があると考えると、なんとなくやりがいが生まれた気がする。
頑張って生きて、なんとか好きな人間に褒めて貰いたい所だ。


私は今日も、好きな人間が見守ってくれていると思い込んで生きている。
辛い事があったら彼のアクリルキーホルダーを握りしめて……。



■追記
どこで書けばいいか迷ってしまったのだが、葬式にムカサリ絵馬みたいなノリで夢絵とか描いて貰いたいともたまに考える。

死んだ人間の似顔絵なんてもの、絵を描く側が嫌がるだろうか……?

二次創作にあたるだろうからお金を取るのも複雑だろうし。難しいですね。

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