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ナインティナインのデビュー秘話

吉本印天然素材のオーディション

岡村隆史さんが結婚したり、ナインティナインが30周年だったりするので少しだけ、私とナインティナインの出会いと、その当時の事をお伝えしたいと思います。

弊社シオンの創立は1991年3月、ナインティナインのデビューである吉本印天然素材は1991年9月とほぼシンクロしています。よってナインティナインの歴史と弊社の歴史は切り離せません。数知れず番組をご一緒させて頂きました。よってデビュー当時の秘話がたくさんあるわけです。今回は吉本印天然素材のオーディションについてお話しさせていただきます。

上記の写真は日本テレビ吉本印天然素材の最終日の打ち上げのスナップ写真です(個人的に所有)残ったメンバーは雨上がり決死隊、FUJIWARAナインティナインチュパチャップスバッファロー吾郎へびいちご、でした。実は、吉本印天然素材のスタートメンバーは上記のメンバープラス、ぜんじろう、TEAM-0、石野桜子が加わった14名でした。東京から何回も吉本興業のNGKへ足を運び、オーディションを行ったことを今でも鮮明に記憶しています。実はナインティナインは、当初はオーディション不合格でメンバー候補ではありませんでした。初見の印象は、刺々しい空気感でしたから仕方ありません。しかしナインティナインが天素のメンバーに最終的に合格したのは、岡村隆史さんの軽快な動き&ダンスと、岡村&矢部が天性の人気者になる要素を持ち合わせていたからでしょう。

吉本印天然素材はスタート当時からダンスユニットを番組に取り入れることにこだわったことも、合否に影響がありました。夏まゆみさんのダンス指導でかなりキツいダンスを踊らせ、放送を開始しました。ぜんじろう、TEAM-0は2ヶ月くらいで、芸人がダンスを踊る演出に納得が行かず降板。その後、たくさんの女性ファンがつき、天素にスポットが当たるようになっていきました。そして岡村隆史は天然素材のセンターで踊る地位を築き、ナインティナインとして矢部浩之さんと大スターへの階段を上り始めたのです。

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(吉本印天然素材番組終了で挨拶する私)

ぐるぐるナインティナイン開始は岡村さん猛反対

吉本印天然素材終了後、ぐるぐるナインティナインが開始されました。1994年4月スタートです。当初は日曜日の夕方20分枠の放送でした。ナインティナイン、初の看板番組です。この「ぐるぐるナインティナイン」の番組名付け親は私です。なぜ「ぐるぐる」か?会議で何度もぐるぐる同じ議論ばかり。タイムアップで決まらない毎日で、そのまま「ぐるぐる」に決まってしまいました。恥ずかしい名付けですが、今となっては普通に使われるようになりました。そしてあっという間に、ゴールデンタイムに進出することになり、西麻布の叙々苑の游玄亭で岡村隆史さんにゴールデンへの進出相談をさせてもらったところ猛反対されました。ゴールデンタイムという戦場の厳しさを乗り越えて行けるのか?どんな企画をやるのか?と問い詰められました。どのように合意まで持っていったのか、覚えてないですが、スタッフとしては外堀が埋まり、やるしか選択肢がなかったのです。岡村さんに「ゴールデン番組は5年もやり続けられたら、大成功やで」と言われたのは鮮明に記憶しています。
そして今、ぐるナイは26年という超長寿番組になりました。岡村隆史さんご結婚、ナインティナインも色々あり、ここからリスタートで飛躍をしてくれる予感がします。

株式会社シオン・グループ会長兼CEO
株式会社シオン代表取締役
伊藤慎一
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