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精神年齢が変わらないまま大人になった逆コナンの生い立ち

初めまして!マッチングありがとうございます! 愛媛出身で大学からは大阪にいました!
休日はYouTubeでロベルトカルロスのフリーキック集をみています!
サウナと焼肉が大好きで、大学でサウナサークルを立ち上げ、卒論では焼肉のつけタレについて研究しました。
意外性、ラッキーボーイと言われ続ける僕の人となりを教えられたらなと思います。

幼少時代「やっぱりレックウザ」

愛媛・松山でギリギリ2000年の1月に滑り込み、粂野敬祐は生まれました。
毎日、鼻水を垂らしてふざけている人間でした。
幼稚園の頃の夢はポケモンのレックウザだった覚えがあります今では「RECウザ」が口癖になっています。

小学時代「マジでみんなを楽しませるために漫画を描き、アニメ化決定」

登下校の班長を務め、この町を取り仕切っていました。
『「久」しぶりの「米」で「粂」です。先祖はパンばっかり食べてたんでしょうね!』という自己紹介1本でクラスの人気者にまでかけ登りました。
5年生の時に「ゴロゴロゴミック」という漫画雑誌をつくって、待望のアニメ化と謳って、パラパラ漫画を撮影して、DVDに焼き写すということをしてきました。
他にも、カードゲームを開発し、人気を集めました。
しかし、毎週みんなを驚かせるために、最強のカードを作りすぎて、ゲームの環境がぶっ壊れて、消滅しました。

中学時代「黙ってたらね…クラスのマドンナに言われた衝撃の一言」

サッカーからソフトテニスに移り、部活に明け暮れている毎日でした。
部活の顧問から怒られ、初めての坊主に。ショッキングでしたが、意外と楽だったので嬉しさもありました。
2年生のとき、クラスのマドンナから「黙ってたら粂野ってかっこいいよね。」と言われたことを境に、1年間、人と話すことをやめてみましたが、何も変わりませんでした。
しかし、三学期のクラス替えをする際のアンケート企画で、「この1年でなんか変わった人」投票で第1位をとりました。

高校時代「ハッタリ抹茶アイスから、一番好きなコトを見つける」

高校の目標は部活のソフトテニスで県1番になることで、高校1年の夏に県大会で優勝することができました。
高校の体育祭では団長を務め、日焼けしすぎて黒地蔵と呼ばれていました。
また監督に怒られて、坊主にしました。こればかりはクラスのみんなから不評でした。
そこから、趣味だった動画編集を本格的に始めてみました。
Twitterで投稿し、人からおもしろいと文字で伝えられるのが嬉しくて、それが原動力になっていました。フォロワー数が1000人を超えるまで成長しましたがバズらず…最高でいいね300くらいでした。
それでも校内では、「お!わんちゃん!」(Twitterのアカウント名が「わんちゃんけーすけ」だったため)と知らない人から言われるようになり、文化祭で自分の名前を掛け合わせた、チュロスのお店を出し、校内の売り上げ1位になりました。

本当に後悔がないぐらい編集作業が楽しかったです。これが今の仕事を見つけたきっかけになります。深夜に編集をして、アップロードして、寝る。朝に起きてコメントをみる、それが楽しみで毎日パッキパキで目覚めていました。

大学時代「なんと日本の人口の5%がみたツイートを企画」

イベントの企画や運営に興味を持ち、大阪芸術大学のイベント学科みたいなところに入学しました。
4年間焼肉屋でバイトをし、焼肉コンシェルジュという資格を取るほど好きになり、卒業論文では焼肉のタレの研究をし、発表会では挨拶がてらの「Nice to ミート you」がうまく刺さりませんでした。

そして、3年生でまさかのTwitterでバズりました。「2食のおっちゃんの引退式」というものです。
授業で、大阪芸大がある河南町をPRできるものをつくれという課題があり、こんなど田舎でPRするものはないだろうと思いながら、考えたらお腹が空いたので、ごはんを食べようと食堂に向かった時のことです。向かった第2食堂で40年間勤め続けた厨房のおっちゃんが辞めることが判明しました(おっちゃんからの引退宣告の直筆ポスターが掲示されていた)。「みんなから労いの言葉をかけられずに、あっさり引退させたくない」と思った僕は、おっちゃんにインタビューをし、引退式の承諾を得て大々的な引退ニュースのポスターを作成して引退式を開催しました。
引退日当日にメッセージカードと花束を渡し、記念に最後の晩餐をモチーフにした写真を撮って、ツイートをしたら、12万いいね、650万インプレッションがつき、日本中で賞賛をいただきました。
それでも、おっちゃんが喜ぶ姿を見れたのが1番うれしく、自分の行動でこんなにも感謝をしてくれる人がいるんだと過去1番の達成感を得られました。
自分が作ったものが評価されること、やはり、それが一番の原動力なんだと思い、放送業界を目指したのです。

また、サウナに出会ったこともターニングポイントになっています。
心がリセットされ、全身が性感帯になる瞬間を覚えたのです。どんなに疲れていても、リセット。それでも快楽を求め、年始に2日間で22ヶ所のサウナ施設をめぐったりするほどの狂気サウナーになりました。
大学のサウナサークルも設立し、部員10名ほどで、インスタで毎日サウナに行った報告をし、フォロワー数が800人を目前に控えております。僕はHIPHOPが好きなこともあって、呂布カルマさんのスポンサーになって、呂布カルマさんの腕にサウナサークルのロゴのタトゥーシールを入れて、大会に出ていただいたこともありました。

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担当するマツコ会議では、毎週企画会議が行われ、自分でもネタ案を発表いたします。
実績があり、尊敬するディレクターにアドバイスをもらい、経験を糧に、元気いっぱいで頑張っています。
今のところ心に残っているのは、特番でノコギリ作業から魔法の絨毯を作ったことです。こっちの力仕事の方が向いてるね、とディレクターに清々しく言われたのが印象的です。
ペーペーの1年目。まだろくに仕事をこなせていない僕です。
仕事ができずに落ち込んでいる時にラーメン屋に連れて行ってくれる先輩や、他番組だけどケバブサンドのお店の前でニヤニヤしながら迎えいれてくれる先輩のように、心のどこかを支えられるような先輩にいつかなりたいと思います。

ちょくちょくふざけたタイトルでしたが、自分の楽しかった思い出をタイトルにしておりました。
僕の人間形成においては、今の生き方につながっている重要な出来事です。
これから先どんな楽しいことや苦難が待っているのか、一体どんなタイトルがつくのかわかりませんが、面白いタイトルがつくことを祈っております。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
最後に、目次のページに戻り、上から順に「」の中のタイトルの頭文字をつなげて読んでみてください。
僕からのサプライズです。

株式会社シオン
アシスタントディレクター
粂野 敬祐

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