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「読め!」/久保田篤哉

せっかく自分の記事を書かせていただける機会をいただいたので、もうこの先書くことはないであろう自叙伝を書かせてもらいます。

日本テレビ「ニノさん」を担当しています、1年目ADの久保田です。
出身は静岡県の静岡市で、18歳まで静岡で育ちました。
正直、育ちは良い方なんだと思います。両親に感謝ですね。
そんな僕がテレビ業界に入ってきたわけをお話ししていこうと思います。

「テレビっ子」では全くなかった少年時代

幼稚園から高校まで、ずっとサッカーをやっていて、毎日泥だらけになって家に帰ってくる少年でした。母親にはよく「どうやったらこんなに汚れるの?」って言われてました。
「サッカーしてるだけだよ」って口答えしちゃってました。
今思えば、3人兄弟の末っ子だった僕は、兄2人に比べ、とても心配で放っておけない危険な子供だっただろうなって思います。そんな危険を察知した両親は、僕を小学4年生から塾に通わせてくれました。兄2人は中学生になってからの塾デビューだったので、僕は異例の速さで塾デビューすることになったのです。僕が通っていた塾は宿題の量が多く、毎日サッカーをしたい僕にとって、正直かなりの足枷でした。
泥だらけになるまでサッカーして、家に帰ってからは勉強という生活でした。

当時、「めちゃイケ」や「リンカーン」など、バラエティ番組を見たいなーって思ってましたが、僕の親は「テレビを見るくらいだったら勉強しなさい」と言って、あまりテレビを見せてくれませんでした。だから僕は、小学校から高校生までは、全くテレビっ子ではありませんでした。(見たいのに見せてくれず、泣いた日もありました。)
そんな生活の中、兄の影響で、深夜ラジオを聞き始めました。ラジオは、勉強しながら聞くことができますし、ラジカセさえ買えば自分の部屋で自由に聞くことができるので(親に止められることなく)、中学生からラジオっ子になりました。
芸人さんの面白いモノに触れたいという気持ちはあったので、テレビを封じられたから、じゃあラジオなら聞けるかという感じです。冒頭でも言いましたが、ここまで、両親への文句では全くないです。今思えば本当にありがたかったなーって思ってます。

↑阪神ファンでした。

面白いモノに興味を持った中学・高校時代

ラジオっ子の少年久保田は、芸人さんのネタやトークに興味を強く持っていました。
今思えば本当に奇行ですが、オードリーさんのラジオのフリートークを書き起こし、それをそのまま自分で喋ってみるってことをやってました。なんでそんなことしたんでしょう。だいぶキモいです。自分のエピソードでもないのに。
また中学生の時は、合唱発表会で歌う直前の曲紹介をするところで、友達とNONSTYLEさんの漫才を完コピしてやりました。合唱とは全く関係ないんですけどね。慣れない関西弁もそのままコピーしました。歌う練習をほとんどせず、漫才の練習ばっかりしてました。本当に意味がわかりませんね。でも、面白いモノに興味があって、なんか表現したかったのだと思います。表現方法は完全に間違えてると思いますけど。


↑漫才の練習中です

テレビ業界に入ると決めた浪人時代

そんな小・中・高を過ごし、大学受験に失敗した僕は、浪人することになりました。
実家を出て、横浜の予備校の寮に入りました。入ったことがないので分かりませんが、多分刑務所と同じ生活をしていました。朝6時に爆音の放送が入り起床し、門限は20時でした。
そんな“刑務所生活”での唯一の娯楽が、テレビを見ること・ラジオを聞くことでした。寮の共用パソコンで、TVerに釘付けになってました。ラジオは、起きている時間はずっと流していました。
最低限の衣食住のみ保たれた後に、次に求めるものがテレビ・ラジオだったんですかね。
そんな美談でもないんですが、とにかくテレビ・ラジオが自分にとっては大事だったんだなーって気付きました。それくらいから、将来はテレビの仕事をしたいなーって漠然と思うようになりました。
今思えば、子供の頃にテレビを見せてもらえなかった反動で、テレビを好きになっているのかもしれないです。反抗期真っ只中ですね。

↑草野球チームに入っていたこともありました

フランス料理に没頭した大学時代

大学生のときはとにかくバイトばっかりしていました。
「少し興味はあるけど、その職業に就くことはないだろうなー」っていう仕事をアルバイトしようと思って、フランス料理店のホール業務をやりました。オーダーを厨房に通す時はフランス語で通さなきゃいけなかったり、ワインの知識を付けなければならなかったり、なかなか大変でした。
週6ぐらいで働いていたので、本当にこれバイトか?って途中から思ってました。
めちゃくちゃ良い経験をさせてもらえたなーって思ってます。
アルバイトで学ぶことは本当に多いと思うんですが、そのうちの一つが異文化交流でした。
フランス人のお客さんも多かったので、海外サッカーの話をしながら口喧嘩になったこともあります。確か議題は、エムバペとメッシはどっちが凄いかっていう話だった気がします。

僕が働いていたお店に「ルトフル」っていうバングラディッシュ人の同僚がいたんですが、彼は洗い場の担当で、店中の洗い物を全て彼が洗っていました。彼は日本に来て、宗教的な違いや食文化の違いに相当びっくりしていたようです。立った状態で水を飲むことは絶対にNGらしく、一緒に買い出しに行ったことがあるんですが、僕が歩きながらお茶を飲んだら、20分説教されました。なんて言っていたかは全部忘れましたが。あと結局、何歳なのかも分かりませんでした。

↑ルトフルの家に遊びに行った時の写真

そんな学生時代を経て、2022年4月から社会人になり、シオンで働いています。
やりがいを感じられる仕事ですし、なかなか味わえない体験ができるので、生意気にもいい仕事に就いたなーって思ってます。

今までに読んだどんな自叙伝より薄い自叙伝になってしまって、正直がっかりです。
奇跡的に最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

株式会社シオン
アシスタントディレクター
久保田 篤哉

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