女神に忍び寄る病魔
卒業とは「アイドルが、アイドルでいられなくなる」その境目である
特設サイトにて公開された『キボウの名』を読んで、驚いた。これは偶然という名の運命の悪戯に違いない。下記サイトで『小説「キボウの名 / 高山一実」を読む』をクリックして、読んでみてほしい。
1ページ目の1行目から、ファンは過大なほどのシーンを想起する。乃木坂46の冠番組『乃木坂って、どこ?』『乃木坂工事中』におけるシングル曲の選抜発表で、かずみんはどこのポジションになるのかを楽しみにするのが半分で、残り半分は「今回”も”三列目かな」と定位置を図らずも期待していたことを。
2行目の「自分の曲とは言えそうにない。」も、そう。秋元康作詞による『君の名は希望』の話であるとわかる前だから、この段階では、センターを張ることができなければそれは「自分の曲」ではない、という強い信念を感じてしまう。
かずみんは、シングル表題曲でセンターを飾ったことがない。日本一のトップアイドルグループで欠かさず選抜されてきたというのは、ファンにとっても誇らしい出来事だということは揺るがない。これは新メンバーのオーディションに毎回何万人もの応募があることからも、わかると思う。何万人もの屍の山がまずあり、40人前後のグループの中で生き残り、常に新曲の舞台に立ち続けるというのは尋常なことではない。
けれど、そういった功績や人の好さがクローズアップされればされるほどに「有難いけれども、それはアイドルとしての評価軸ではないよね」という翳りが見え隠れする。累計25万部の作家と呼ばれたら、ふつうはそれを足掛かりに2作目3作目と続けそうなものだ。だが、アイドル業と小説家の並立は、現役のうちは忙しくて難しいと本格的な執筆は避けていた。徹頭徹尾、「アイドル」として勝負していきたいという、その概念に誠実な人なのだといえる。
けれども、この1ページ目に書かれたことは、決してかずみんへの好評価を妨げるものではない。卒業を前にして、未来とは何なのか、すなわち新たなときめきと出会いであり、まごうことなき希望であると、時を超えて伝えられたのである。まあ、その時限爆弾を仕込んでいたのが秋元康氏だと思うと、ほんとうにアイドルプロデューサーって怖ぇな、って思うのだけれども。
君の名はキボウ
境目を超えた先にあるのが希望であるとわかったときに、かずみんはポメラの電源を入れた。筆を執ったなんていう小洒落た表現ではなく、『トラペジウム』執筆のときと同じように、ポメラの電源を入れたのである。これは、かずみんの創作世界が地続きであること、この先に紡がれているのは確実に「かずみんの新作小説」であることを示している。
ラストステージのスピーチで、言葉にしきれない想いがあり、それを小説にしたと言ったかずみん。そこに描かれていたのは、寓話のようでもあり、心情の吐露でもあり、長く長く書かれた「さようなら」と「またね」の合間にある言葉のようで、自分自身を好きになるための話でもあった。
小説には、イシキという女と、夢作家が出てくる。夢作家は、未来をそのまま執筆しても正夢にはならないので、意味不明な内容をわざと書いてそこに寓意として仕込んでおく。そのことにイシキが気づいたことから、夢作家を突如訪問することになり……。という話だ。
物語の装置として夢日記が出てくる。以前、インタビューで「夢日記をつけている」という話が出てきた時に、ぼくもつけていたので、予期せぬシンクロに喜んだものだ。
けれど今回は、それ以上の驚きがあった。
ぼくの小説の愛読者であるなら、2020年に上梓した『きみに恋の夢をみせたら起きるよ』の内容をご存じかと思う。エッ!ご存じない!? これまた御冗談を。2022年6月1日現在、Kindle Unlimitedなら無料で読めるので、ぜひ読んでください!
とはいえこのブログを読んでいる人はこのブログが読みたいのであって、ここでいきなり横道に逸れて長編1本を読めというのは酷な話だろう。ぼくも鬼ではない、どちらかというと亡者である。何を言わせるバカ者め。
簡単に言うと「正夢を書き換えることで未来を変える話」です。すごい簡単にまとまったな。どういうこと!? 10万字あるやつだよ?
かたや、かずみんが『キボウの名』で書いたのは「夢の作者に会って正夢にならない夢を書かせる話」。どちらも正夢を扱っていることと、書き換えられることを前提にしていること。
かずみんが、いちファンに過ぎないぼくの小説を読んでいるとはちょっと思えないから、これは単なる偶然なのだけれども、偶然にしては出来過ぎというか。
これが偶然として偶然に成立するための、謎の力が働いていませんかね!?
閑話休題。
かずみんは『キボウの名』で、アイドルという物語を、きっと、書き終えた。アイドルとしての”一般的な”評価軸においては、いつも三列目の端だったかもしれない。でも、他の誰にも成しえていない「トップアイドル小説家」からの”返歌”としては、最高のものだと思う。
ラストステージで、作詞家によって編まれた「♪私の色 何色だろう」という歌詞は、的確な呪いみたいなもんだ。でも、ファンはきっちり、あの時に示せたと思う。観客席を埋め尽くした水色とピンクの景色。どちらの色が何かまではわからないけれど、片方は芸能の仕事だということは変わらない。卒業後の道もこの二つのフィールドに彩られ、支えられていくと思う。
アイドルには物語があり、ファンというのはそれを追いかけてやまない。卒業することで「アイドルとしての物語」は一旦、終着駅。新しい路線に乗り込んでしまえば、戻りたくても戻ることは無いだろう。
ぼくのアイドルに道を照らされてきたこの物語も、ここで終わってしまうのだろうか。卒業発表から約4か月、ありきたりな表現で言えば「心に穴が開いたよう」であったのだけれども、12月1日に公式サイトがオープンし、とりあえず出演情報は手に入るようになった。テレビで姿を見ることはできるし、いずれファンクラブができたら入ればいい。
どうにかなるさ、の気持ちを頼りに、2021年は過ぎていった。それにしても、紅白歌合戦をはじめお決まりの歌番組ステージに、かずみんがいないというのを認識するのはつらかった。
最悪のニュース
年が明け、1月も2週目になると、収録済み年末年始の単発番組が尽きたのか、かずみんの出演スケジュールは空くようになっていた。新番組来い! 新番組来い! 冠番組! 帯番組! レギュラー! MC! できれば「タイプライターズ」のMCをやってほしい……。あの番組、面白いんだけど、レギュラー陣が男ばっかりなので……。
そこへ、青天の霹靂。最悪のニュースが飛び込んできた。
ニュース記事に踊る『新型コロナ感染』の文字。
その瞬間思ったこと。ほんとうにおかしいとは思うのだけれども、2020年夏……あのとき、ぼくが都知事選で小池百合子に敗北していなかったら。ウィルスの魔の手がかずみんにまで伸びるほどのコロナ禍の拡大は、きっとさせなかった。そういう世界線があったはずだ。敗けたぼくが悪い。
過去に決定づけられた無力が、現在に襲いかかってくる。そんな後悔を、未来にわたって味わい続けなければならないのだろうか……。もっと力を得なければ。
いまだにあの都知事は「感染は止める、社会は止めない、これを両方やらないといけない」なんてブチャラティの名セリフみたいなことを言っている。寝言もいいところだ。なぜ2年前から今に至るまでに、社会をウィルスと戦えるように整えなかったのか。
しかし、そんな「風が吹けば桶屋が儲かる」ような、理路が崩れた因果を悔やんでいても仕方がない。何かぼくにできることはないだろうか……。できるわけないのだけれども、それなりに思案した結果、祈るしかないということになった。
けれど、行動の伴わない祈りに、何の効果があろうか。冬の空、ぼくは外へと出た。
(続く)
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