村瀬守保写真集の数々の怪しすぎるキャプションについて
村瀬氏の写真集『私の従軍中国戦線 村瀬守保写真集』ですが、これのキャプションがあまりにも香ばしすぎるので、一部の人々の間ではこの本は疑惑の眼差しで見られています。
なんというか、とにかく嘘っぱちが多いんです。
それも、普通の日本人が見てもビックリするレベルのものです。
村瀬氏はご自身でも『五冊のアルバムを点検したところ、半分ぐらいまでは記録をとって説明がつけてありますが、後半は、つい怠ってしまいました』 『毎日新聞社発行の『一億人の昭和史』などを参考に』などと書いていましたが、それを考慮してもひどすぎるレベルです。😑
(わからなくなったのなら書かなきゃいいのに! 💢)
酷いキャプション例について、生前のぎよみどんさんがツッコミされてましたので、スクショ画像を載せておきますね。
(現在、ぎよみどんさんのアカウントはご遺族の方が鍵垢設定されたので、以前からフォロワーだった人しか閲覧できない状態になっています)
これは非武装地域の『安全区(難民キャンプ地区)に軍人はみだりに入ってはいけない』と言う看板なのですが、『駐屯地への立ち入りを禁止する看板』と言う捏造キャプションになっています。
中国国民党の日本軍に対する反日プロパガンダ壁画を、キャプションでは日本軍の残虐行為の証拠として紹介。
割烹着と和服を着ている明らかな日本人女性を、キャプションでは強制連行されトラックに乗せられた朝鮮人女性のように書いています。
⬇のキャプションでは、証拠なしの唐突な日本軍による毒ガス攻撃ネタ挿入。
共産党員である村瀬氏が中国共産党のプロパガンダを盛り込みたいのはわかりますが、あまりも強引です。😑
あ、ちなみに日本側は中国軍の毒ガス攻撃を『証拠付き』で批判していましたからね。
この件については時間があれば書こうと思います。
(時間があればとか書いてる場合は、高確率でめんどくさくて書かない法則)
この他、揚子江の遺体についても、彼は南京陥落後2週間経ってから南京入りし、実際に虐殺現場を見たわけでもないのに、大量の遺体を見て南京大虐殺と勝手に決めつけたりもしていました。
(南京陥落直前の1937年12月12日には、挹江門での同士討ち、民間人含むパニック死、揚子江を渡ろうとして溺死、大火災による死者、城壁からの転落死、城外での激戦などで、大量の死者が発生していました)
また、村瀬氏に関してはこのような話もあります。
『同じ写真をあるときは徐州で撮ったものといい、あるときは南京のものと言ったりしていた。そこで阿羅氏は、丁重な質問の手紙を数度にわたって出したが、村瀬氏からはなしのつぶてだったという。』
📔 出典
『動向』(10)(1593),動向社,1999-10 (Page45)
記憶が曖昧なので『一億人の昭和史』などを見て書いたと、悪びれる様子もなく言い放つ始末。
こんなもので現代の日本人が激しい差別と憎悪の念を投げつけられていると考えると、やりきれない心境になります。😑
こんないい加減な情報で現代の日本人を苦しめ続ける村瀬氏と、それを利用して喜々として日本人叩きし続ける残念な人々には、猛省してもらいたいものです。
(猛省をしなければならないと思えるほどの良心すらなさそうなので、もう猛省なんて絶対しないでしょうけど)
📔 関連ページ
📓 南京大虐殺・731部隊・上海事変の捏造情報
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