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乾き 〜僕はバンドで生きていく〜

元々使っていたヲタクって言葉がちょっと懐かしくなった。
「オ」じゃなくて「ヲ」にこだわりがあったんだ。
そう言うのに気付かない人多いよなぁ
平然と多分善意でオタクって言葉使って僕らを紹介する人多いんだよね。
そしてそう言う人に限って中身を見ようとしない。
まあ他人なんてそんなものだよね。
僕も他人の拘りに全部気付ける自信なんて当然ないし。
僕が絶対的に正しいって顔が出来ないからカリスマ性がないって言われるのかもしれない。

「人が傷付く気持ち考えたことあるの?」
ドラマでも漫画でもアニメでも、現実でもよく聴く言葉だ。
まだまだ勉強することばかりなのに、最近少し年齢が上がってきてしまって、人に何かを教えたり説明したり指導したりしなきゃいけない場面がちょこちょこと発生する。
その時僕はよく言う言葉
「意図はあるの?」
年長者や立場が上の人にはこう聴く
「〇〇な意図ですか?」
あまりにも僕が分からない時は恥を忍んで
「どう言う意図ですか?」って聴く。
そこで即答できる人の話はとりあえず聴くようにしている。
他人から意見を求められている時は「とりあえずいいんじゃない?」って答える。
この段落の最初の質問は良くないと思う。
だって傷付けることは悪いことでしょ?って言う確認の文章にしか聞こえないから。
そして多くの人はそう言う意味で使っているはずだ。
不用意に人を傷付けることは良くないことであろう、無闇に人を傷付けることもきっと良くないことなのであろう。
しかし目的を持って動いている時って、そんなこと言ってられない局面って必ずぶち当たるんだよね。
その時躊躇いなく踏み抜ける人種がいることを想定していないから冒頭の悠長な質問が出てしまうのだろうな。
しかし残念ながらこのような状態で踏み抜けるか否かは優しさとかフワッとしたものの問題ではない。
結局覚悟があるかないかの違いなんだよな。
覚悟のない人間は必ずどこかで止まる。
才能や運が味方しようと必ず止まる。
だって覚悟が必要な場面ってよっぽど幸運な人以外割とすぐ出てくるでしょう。
しかもその時見せた覚悟がそこから未来永劫定期的に試され続ける。

そんな話をちょっとだけ珍しく友人に話した時に「お前そんなこと考えて生きてるの?そりゃ病むよ。」って言われた。
その後彼は話していたんだ。
最近競馬に勝って10万円のスピーカーを買った話、もらったボーナスで買った高いオーダーメイドのスーツの話。
転勤先でたくさん作ったセックスフレンドの話。
とても幸せそうに話していた。
僕は心底羨ましくなった。
それだけシンプルなことで快楽に浸れるのであれば、こんな鬱屈とした気持ちは感じないで生きていけたんだろうな。
そしてその快楽に乗じる機会が20代前半まではあったことを思い出すんだ。
もうちょっと物欲と性欲が強ければよかったんだろうか?
最近そんなことを考えてしまう。
高い買い物をして、異性と交わり、誰かに承認されて…
それで幸せな気持ちになれたのであれば、僕の人生はどれほど幸福に満ち溢れた気持ちになれたのだろうか。
最近行き詰まっているからきっと他人を妬ましく想ってしまうのだろうな。
どれだけ他人と異なる話をしたところで僕も卑しい人間の1人でしかないのだ。

次のアルバムの曲は時間かけるって決めたからたくさん失敗作が生まれている。
一度出来たとしてもメンバーに送る前に僕がクビにしてしまう。
いや、表現したいのはこんなんじゃない。
こんな曲はDiaryの劣化バージョンじゃないか。
そんなことをやりながら生きる日々はどこか居心地が悪くて、音楽以外のことも上手くいっていないように感じてある。
それでも辞めないの?って思ったでしょう?
そう辞めるべきなんだよな。どう考えてもそうなんだよな。
だけどもう知ってしまったんだ。
このどん底を抜け出した時にすごいトキメキが必ず待っていることを卑しい。
そしてそれがすごく気持ちいいことを。
とんだ快楽主義者だね僕は。
誰よりも卑しいよ。

今日も口から音と言葉を紡ぐ、ギターで音を弾く。
たいして金にもならないのに、音を出して模索し続ける。
そしてその先で、マクドナルドハンバーガーでは0円で売られているようなスマイル。
誰かのスマイルを見た時に勝手に救われた気持ちに、勝手に赦された気持ちになるんだ。

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