リュックを全開に開けて生活していて、結局1度しか声を掛けられなかった話
リュックを開けっ放しで生活している時があった。
別に何かの実験をしていたわけではない。
単純に家を出る時に閉め忘れている場合もあれば、リュックが勝手に開くときもあった。
リュックももう10年くらい同じものを使っているので、それはもうガタがくるというもの。
買い替えろという話だけど、なんだかんだでいつも買うのを忘れている。
それは今回は置いておいて、そんな「リュックを開け放す生活」をすることが10回以上あった。
でも今日に至るまで「開いてますよ」と声を掛けられたのは、1度しかなかった。
ちょっとだけ悲しい気持ちになる
まず前提として、リュックを開けっ放しにするぼくが悪い。
それは大前提なのだけど、なんだか悲しい気持ちになった。
電車に乗るまでの家からの道程、電車を待っている時間、街を歩くとき、誰一人としてぼくに声を掛けなかった。
そんなにぼくは声を掛けにくいのだろうか?
それともみんなが忙しくて、そんな一人のリュックを開けっ放しにしている男には興味がないのだろうか?
声を掛けたいけど、なんだか恥ずかしかったのだろうか?
リュックが開いていることに気が付いたときはいつもいろいろ考えてしまうが、「まあみんなどうでも良いんだろうな」と思う。
でも何も盗られることはなかったのでひと安心
たいがい、ぼくは目的地に着くとリュックが開いていることに気が付く。
リュックを「よいしょ」と肩から下ろすタイミングで、「あ、開いてた」と恥ずかしい気持ちになる。
あとはしっかりお財布や大事なものがあるかを確認する。
故意ではないにせよ、開けっ放しにしていることが10回以上(下手したら20回はいっているかも)あったが、幸いなことにお財布やスマホなどの貴重品は盗られることがなかった。
運が良かったのか、リュックが開けっ放しになるという不運と合わせてプラマイゼロなのか知らないけど。
声を掛けてくれた人に「ありがとう」
そんな「リュックを開け放す生活」で、今日もたまたまリュックを開けっ放しにしてしまった。
朝、リュックを閉めて家を出たはずだが、いつも同じような行動をしていて忘れるときは忘れるので、覚えていない。
ただリュックを全開にしていた事実は変わらない。
いつもの電車に乗って、いつもの駅で降りる。
エスカレーターで改札口へ向かう途中の事だった。
肩を叩かれ、振り返ってみる。
「たぶん同僚とかが挨拶のために肩を叩いたんだろう」と予想しつつ振り返ってみると、知らない女性が立っていた。
女性はマスクもしていたので一瞬「会社の人?か?」と、自分の目を疑うものの、すぐに女性が言う。
「バッグ、開いてますよ!」
ぼくはと言うと、唐突の事だったので
「え?あ、え?マジすか」
といった陰キャ丸出しの返答をしてしまった。そのあと女性がささっといなくなってしまったので、ぼくがその後絞り出した「ありがとうございます」が聞こえていたかはわからない。
なので改めてここに記しておこうと思う。
リュックが開いていることを指摘してくれた方、ありがとうございます。
やっぱりちょっと指摘された時は恥ずかしかったけど、今まで誰も指摘してくれなかったので単純にその一言が嬉しかった。
天気は曇りでちょっと肌寒かったけど、心はあったかくなった。そんな一日の始まりだった。
リュックが開いている人がいたら、勇気を出して声を掛けてあげた方が良い
リュックが開いている人を見かけたら、ちょっとだけ勇気を出して声を掛けてあげた方が良い。
ぼくも普段からそういう心構えではいるけれど、ぶっちゃけぼくみたいなぬけているやつは滅多にいない。現に出会ったことがない。
でも、ちょっとした勇気が誰かに温かい気持ちを与えられるなら、ぼくは声を掛けるようにしたい。
ぜひ君もそうして欲しい。
都内近辺でリュック全開の人がいたら、たぶんぼくだ。
だからってわけじゃなくて、本当にぼくは運が良くてお財布やスマホなどは盗まれなかったけど、リュックが全開になっている人がいたら恰好のカモだ。
そんな被害者を少しでも少なくするためにも、声を掛けるということには意味があると思う。
まとめ
特にまとめることもないけれど、リュックを新調しようと思う。
あとは家を出る前に再度リュックを閉めているか確認する。
......まあ、いつもそう思っているのに忘れているわけだけど。
あと、リュックが全開の人がいたら声を掛ける。
これをぜひ君にもして欲しいと思う。
誰かが安心できて、誰かの心がちょっと温かくなれば、ちょっとだけ世界は平和になるかもしれない。