死を選ぶ自由

4、5日前だったかな
旦那に死にたいと言った時に
「いつ死んでもいいよ、勝手に死んで」
と言われた。

一見すると冷たく聞こえるけど、その時の私の言葉の受け取り方でとてつもなく優しい言葉に感じた。

何も上手くいかないこの状況を終わらせるのも、続けるのも死だけは自分の意志が尊重されるんだなと。

死はどんな人でも平等に与えられた権利であって、救いでもあると私は思ってる。

よく聞く
「死なないで、生きていたらいい事ある」
だとか
「貴方が死んだら私は悲しい」
って言葉があるけれど、
それはあくまでも他者の視点や意思や願望であって
そこには私の意思や願望は1ミリも入っていない
残酷な言葉

その思考に至るまでの過程を想像してみたことがあるんでしょうか?
体験したことがあるんでしょうか?

一応は最後まで足掻いて、生きようとした証拠だけは何としても残そうと思う。
その為にもこのnoteを始めたんだから。
何もせずただ嘆いて終わりじゃなかった。
色んな公的機関に相談した 実際に行動した

その時々で動ける範囲で精一杯、死に抗おうとした事。

きっと健全な人はまだやり方はあったとか、死にたいと思うのは病気なんだから薬さえ飲んでいたらとか言うんだろうけど

私は病気だとしてもそれを含めて、私なんだ。
ちゃんと受け入れてる。
死にたい気持ちに正直でありたい。
この文章を書いてるのだって死への抵抗

以前、切羽詰まって坂口恭平さんがやっている
いのっちの電話にかけた事がある。

「もう残されてるのは書くことしか無いよ」
という一言が非常に印象に残っている。
絵を描くでもいいし何か創作した方がいいと。
その時私は好きな事を問われて、ネイルと答えた。
しかし、憂鬱な気分の時に机に座って何かアクションを起こすのは体力気力共に大きくすり減る。
ただでさえすり減ってその状態なのに更にだ。

だから結局スマホで完結する文章を選んだ。
文才はないし句読点の使い方も合ってるのかわからない。文章の勉強をしたいと思っても頭に文章が入ってこない。
手書きだと漢字もわからない。

それでも書き続けるしかない。
ね?ちゃんと抗ってファイティングポーズをとってるでしょう?

死ぬ事は自由であって平等。
今ここで飛び降りても良し、首を吊っても良し。

だから、もし私が死んだとしても非難される筋合いはない。
よく頑張ったと褒めて、何か賞でも欲しいくらい。

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