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「ダイスキ」の最上級は何だ?

言葉は時代により意味変していく。昔の言葉はどんどん正しい意味を失い、新しい意味に変わる。

それは時代により当然の流れであり、正しい言葉を伝え続けることが必ずしも正しいとはいえない。

例えば、「燃えるゴミ」と言う言葉は正しくない。正しくは「燃やせるゴミ」である。ゴミに対する形容詞が「燃える」であると正しくない。

ただ「燃やせる」が正しいからといって、燃やせるごみとしたところで何の意味があろう?

いつまでもそんなことにこだわって、鬼の首を取ったような指摘をしてくる人は、正しい言葉は使えるかもしれないが面白い事は言えないであろう。

つまり正しい言葉でなくても意味変された言葉が、伝わるのであれば問題ないと言うのが結論である。


「中毒」と言う言葉で考えてみよう。

・食中毒
・薬物中毒
・急性アルコール中毒

これらの言葉のように「中毒」とは「毒に中(あ)たる」と言う意味である。生体に対して毒性を持つ物質が許容量を超えて体内に取り込まれることにより、生体の正常な機能が阻害されることを指している。

しかし今、中毒と言う言葉は意味変が起こっている。

【活字中毒】【ブログ中毒】【Twitter中毒】

ハマりすぎて抜け出せない・楽しすぎて仕方がない。こんなプラスの意味を含んだ言葉になっている。

活字中毒と言えば、ある芸能人が本の読みすぎで暇なときでも文字を探して読んでしまうことが話題になった。ペットボトルのラベルの文字を読んでしまったり、レシートでも何でも文字があれば文字を見てしまうという。

そんな状況を【活字中毒】と呼んだ。
これはもはや褒め言葉ではなかろうか?

どうだろう?自分が活字中毒と言われたら。自分がブログ中毒と言われたら。僕は嬉しいと思ってしまう。

要するに【中毒】という言葉は今現在意味変されていて、ハマり過ぎてダイスキを超えている状態を指している。ご飯を食べることを忘れるくらい、スキすぎるという状態を指している。

ダイスキの最上級の言葉は【中毒】といってもよい。釣りバカ日誌の浜ちゃんは釣りバカの最上級【釣り中毒】の言葉を与えれば喜ぶであろう。

どうでもいい➡嫌い➡普通➡スキ➡ダイスキ➡バカ➡中毒

このように現代語においてダイスキの最上級の言葉が【中毒】なのだ。これが真理だ、間違いない。


僕の親父の話をしよう。

僕の親父はオーディオ中毒である。実家にはホームシアターを作り、120インチのスクリーンで映画を見たり、ジャズ音楽を聴いたりする。

レーザーディスク・DVD・ブルーレイ。一体何本あるのだろうか。自作した棚にびっしりと詰まっている。

スピーカーの配置や数にもこだわっていて、スクリーンで飛行機が前から後ろに飛んでいけば、飛行機の音は前から後ろに進んでいく。

右から左に車が走れば、右から左に音が消えていく。映画館さながらの本気のシアタールームが実家にはある。

東京都○○区×××にあるから、是非暇なときには立ち寄ってほしい。1作1,800円もらえれば見れるように伝えおくから。

・・・・

話を戻すが、親父が特にこだわっているのは音だ。

スピーカーの位置をミリ単位で調整し、あーでもないこーでもないといっているのだが僕にはさっぱりわからない。

いつも決まったジャズをかけては、しっくりくる音を探している。低音がどうだ、シャープさがどうだと言っているが素人には分からない。

自分が納得できるまで延々と微調整を繰り返す。途中で「ご飯だよーっ」と母親が言っても何も返事が返ってこない。

何度も階段下から読んでも降りてこない親父に痺れを切らし、母親がシアタールームに「ご飯だよ」と呼びに行く。

どれだけ集中しているのだろうか。ご飯を食べるのも忘れるほど夢中になることがあるだろうか。


僕が子供の頃から親父はそうだった。

平日の夜、親父に本屋に行くか?と言われてうれしくて僕と弟はよくついていったもんだ。

でも、親父は本屋で2時間ほど同じ場所でオーディオの本を立ち読みをしている。子どもにとって本屋で2時間はさすがに暇である。最初はうきうきして立ち読みしているのだが、子どもだから飽きてくるのは当然だ。

「おとーさーん、帰ろうよー」何回言っても親父は「あぁ」だか「んん」だか生返事をして微動だにしない。

次第に僕と弟はあきらめて本屋で走り回ったりして遊んだりする。結構他のお客さんに迷惑をかけてたかもしれない。

それでも、親父は微動だにせずオーディオの本を読み続けていた。そして、すぐ退屈になるって分かっているのに僕らもまた本屋に何度もついていったんだ。

親父も親父だけど僕らも懲りないね。やたらと記憶に残っているよ。

というわけで、親父はオーディオ好きを超えた、【オーディオ中毒】である。今度親父に会ったら、最上級の褒め言葉として伝えてみようと思う。


そして、中毒症状は遺伝される。

僕もまた常に何かをやり続ける中毒患者である。今はブログとツイッターと読書にハマっている。

暇さえあればブログ。暇さえあればツイッター。暇さえあれば読書。僕の時間のほとんどはこれらのうちのどれかに費やされている。

いや、ちょっと違うな。暇な時間なんてなくて、ブログを書くために無理やり時間を作っている。ちょっとしたスキマ時間にパソコンやスマホをのぞいてしまう。

その根本には親父の血があるのかもしれない。ハマったら周りが見えなくなるんだ。周りの見えなさっぷりっといったらひどいもんだ。

トイレでスマホを見るせいか、3回に1回はトイレの電気を消し忘れる。「お父さん、また電気消し忘れてる!」この言葉は最低でも2日に1回は家族から指摘される。

トイレの電気の消し忘れは、僕の母親も同じ頻度でしているようだから、これは母親譲りの遺伝かもしれない。だから、僕のせいではないと正当化しておく。

そして、娘が「お父さん、あそぼ―」っと5回言うまで、「あぁ」とか「んん」とか言っている。これは完全に親父譲りだ。僕のせいじゃない。

楽しいことをしていると集中してしまうのだ。周りでテレビがついていようが、誰かが話していようが見えなくなってしまう。

自分は聖徳太子のように、一度に何個ものタスクをこなせると思い込んでいるが、周りからは「お父さんは集中していると全然話を聞いていない人」というレッテルを貼られている。

そして、新しく生まれた言葉がある。「ダイスキ」の最上級の言葉である。

僕がまたいつものようにパソコンに向かってカタカタやっていた時のことだ。

娘がまた、何か僕に話しかけていた。「Δと▼■ん、あ➡←よ□」「お〇□×Δ、§そぼ×↙ー」

「ああ」

僕はパソコンに夢中だ。カタカタとパソコンの入力を続けていた。

すると、スマホにメールが届いた。誰からだろうと覗くと娘からだった。

「パソコンにのろわれたじじーめ」

ここで、我に返った。

パソコンの手を止めて娘に謝る。

「ごめんね、あそぼう」

「うん!」

子どものとの時間は有限だ。あっという間に大人になってしまう。僕がカタカタとやり続けたら、子どもも僕を見放すかもしれない。それは嫌だ。

子どもと遊ぶときには全力で遊ぶ。忘れかけていたよ。ありがとう。

それからというもの、僕は心を入れかえてブログを書いている。「お父さんあそぼう」と3回言われないように気を付けている。

それでもときどき言われるんだ。

「ブログに呪われた男」と.....

ただ、この言葉は【中毒】よりもうれしくもある。

「○○に呪われた男」というのはダイスキの最上級ではないかと考えるのである。


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