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新世紀エヴァンゲリオンの恐怖

今なおコアなファンが後を絶たない「新世紀エヴァンゲリオン」。大好きという方もたくさんいらっしゃるのでないでしょうか?

僕が中学校2年生のときに、テレビアニメで放映されていました。ただ、僕には新世紀エヴァンゲリオンは恐怖でしかありませんでした。

そんな過去の話を少しさせていただきたいと思います。


中学校2年生は、僕の人生の中で最も暗黒時代だ。

バスケ部に入って2年目、スラムダンクに憧れて入部したバスケ部。当時のバスケ部といえば、クラスの人気者がこぞって入部していた。

僕はといえば人気者ではなかったけど、運動神経はそんなに悪くなくて垂直跳びがやたら得意だった。

だから、バスケットはできると思っていたけど全然だったんだな。

バスケ部は体育館で練習を行う。週4の練習と朝練2日。その上、土日は練習試合となかなかハードな部活だ。


第一の事件はバスケットシューズ(以下バッシュ)だった。体育館で滑らないようにバッシュは必須で、かっこいいデザインがたくさんある。

中1の最初に母親とを買いに行った。そこで「これどう?」と母親がすすめたナイキのバッシュは白を基調としてロゴは青紫。

「うん、それでいい」と決めた。

バッシュって結構高い。15,000円位した記憶がある。そんなバッシュをいざはいてみたら、かかとのロゴがピンクだった。

ピンクって・・・

足の小さかった僕は女物のバッシュを買ってしまったらしい。

でも、15,000円もしたバッシュを買い替えるなんてそんなことはできない。かといって、中一の思春期に女物のバッシュをはいているなんてキツ過ぎる。

でも、僕は母親に言い出せずにキツ過ぎるほうを選んだ。

いつも誰かからバッシュを見られているような気がして恥ずかしかった。

かかとをみられないように行動した。

今思うと、言えばよかったとしか思えないんだけど、そのときには言いだせなかった。

そして、女子バスケの一人が僕と同じバッシュをはいていることに気づいた。

引け目はますます大きくなり、その女子からの目線も靴への視線も気になった。

そんなコンプレックスを抱えながらしていたバスケは、全然おもしろくなかったんだ。

一度すれ違いざまに「ホモッ」と呼ばれた。

何も言えずに立ちすくみ、僕は心にまた傷を負った。

それでもなんとか1年間は、がむしゃらに練習してついていった。バッシュもボロボロになり買い替えた。


第二の事件は中学校2年生になってすぐだ。今まではみんな先輩だったけど、後輩である1年生が入部してくる。

そして、いきなり僕よりもうまい奴が当然いるんだよね。

バスケ部ってのは縦社会で、先輩後輩の関係は絶対であり、バスケが上手い人と下手な人の関係も絶対だった。

すぐに中一に追い抜かれた僕は、後輩や仲間から下手くそ扱いされるようになる。

下手な人からどんどんバスケ部をやめていった。標的にもなっていたのだろう。10人以上がバスケ部をこの1年で辞めている。

そして、中2のメンバーの中で僕は下から2番目くらいになっていた。移り変わる標的になるのも当然だ。

徐々にエスカレートしていく言葉や態度は、いじめといってもおかしくはない。

後輩から言われた言葉。

「先輩、レイアップ下手ですね。1年やってそれですか」

ここで、僕の気持ちは折れた。

バスケ部の練習に行くのも苦痛だし、バスケ部員に顔を合わせるのも嫌になった。

そして、僕はバスケ部をやめた。


都落ちした僕の交友関係はガラッと変わった。

部活には何か入らなければならないが、何もやる気になれなかった僕はコンピューター部を選んだ。

バスケ部などの人気者がいないグループはどこかというと、必然的にオタクと言われるグループになる。

周りでは毎日アニメに関する話題が飛び交う。でも、つまらないプライドを持ち合わせていた僕は、オタクだと思われたくなかったんだ。

「昨日のエヴァ見た?」

飛び交う会話の中心は、当時めちゃくちゃ流行っていた「新世紀エヴァンゲリオン」の話が多かった。

ただ、オタクだと思われたくない僕はエヴァだけは絶対に見ないと決めていた。

これを見たら終わりで、これを見たら僕はオタクだと思われる。

僕は「エヴァ」が怖かった。とにかく怖かった。

僕の中でエヴァを見ること、エヴァについて話すことがオタクになることと同義だったんだと思う。

オタクのグループにいるのに、オタクだと思われたくない僕がしていた小さな抵抗がエヴァを見ないことだった。


このトラウマは高校時代、大学時代まで引きずることになった。オタクだとは絶対に思われたくない僕がそこにいた。

だから、ひたすらアニメの話はしなかったし、エヴァも頑なに見なかった。

そして、22歳を超えたある日。初めてエヴァを見ることになる。

今の奥さんと付き合うようになり、奥さんの実家にも時折遊びに行くようになった。

そこで奥さんの弟(当時中学生)とも普通に話すようになる。

そんな奥さんの弟はエヴァが好きらしい。

義弟はとても優しい少年で、まだ結婚もしていない僕とも色々と話すようになった。思春期の生意気な雰囲気や波もなく穏やかな少年だった。

そこで、エヴァをすすめられる。

「見たことないなら、DVDで全巻あるので見てみますか?」

僕はこの優しい少年が好きな物ならと、素直にDVDを受け取った。


僕は意を決してDVDを機械に押し込んだ。エヴァは10年間僕を苦しめた元凶でもある。

僕の偏見は完全に凝り固まっていた。

エヴァ=オタクの方程式が成立していて、エヴァ=恐怖だったんだね。

この気持ちはDVDを再生して数分でなくなった。

目まぐるしく変わる画像、世界観。

心の葛藤や謎、スピード感。

すべてが今まで見ていたのほほんとしたアニメとは全く違った。

夜を通して見続けた。少し寝ては見て、ご飯を食べては見て。

一気読みならぬ、一気見でエヴァを見通した。

僕のいた偏見の世界ではもっと暗く陰湿な世界のはずだったのだが、実際は作品といえる世界だと思った。


今ではオタクといわれる文化も認められて、爽やかなイケメンがアニメグッズを集めていたりする。

綺麗なお姉さんだって「エヴァ」見ていたりする。

「新世紀エヴァンゲリオン」を見ているだけで、オタクなんて思う人は誰もいないだろう。

僕も今では「エヴァ」と呼べるようになった。

ただ、あの頃のトラウマを思い出すきっかけとなるようなアニメであることは間違いない。

それ以来、エヴァは見ていないのだ。

ただ、面白かったアニメは何か?と聞かれると一番最初に思い浮かぶのは「新世紀エヴァンゲリオン」だ。

偏見と10年来の思いが乗っているからね。

ただ、対外的に答えてしまうのは「天空の城ラピュタ」だったりする。

ここでも、オタクと思われたくないトラウマを持った僕がいる。

ラピュタのセリフを覚えていて、「バルス!!!!!」だけではなく、「リーテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール」というのは誇らしかったりする。

ここでは、寧ろオタクと思われたいのだ。

僕がこの偏見とトラウマの呪縛の世界に打ち勝つには、一歩踏み出さなければならない。

恐怖に打ち勝たないと負けてしまうのだ。

「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」

「あんたバカァ?」と笑っておくれ。

「笑えばいいと思うよ」

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