文章を書くということ
なぜこうも文章を書くということに魅了されているのだろうか?思えばいつの時代も僕は書き続けている。
文章を書くこと、「それは僕にとって○○である。」この○○には何が入るのだろうか?もしかすると書き続ければこの答えが見つかるかもしれない。
3000文字チャレンジ、ツイッター企画として「文章を書くこと」をテーマにこの○○に当てはまる僕なりの答えを探してみようと思う。
「#3000文字チャレンジ」是非この言葉で検索をかけてみていただきたい。ここにはただただ文章を書くことに魅せられた人が集まっている。
ブログでお金を稼ぐといったところからかけ離れた世界、ただ文章を書くことが好きで読むことが好きな人が集まっている。
3000文字チャレンジ企画は今回で終わるという。
しかし、ここで集まった文章はきっと残る。それが文章の魅力でもあるのだ。
この3000文字チャレンジという企画がなければ、僕はエッセイのような記事を書くことはなかったであろう。
感謝の気持ちとともに最後の3000文字チャレンジに参加する。
一番最初に思い出す記憶・・・
そうだ、あれは中学校1年生の頃だっただろうか。
漫画ばかり読んでいた僕だったが、突如小説を読むようになった。
当時ハマっていた推理小説、江戸川乱歩・内田康夫・横溝正史。
とにかく毎日むさぼるように読み漁った。
犯人は誰なんだ?この謎の答えは何なんだ?想像することが楽しくて仕方なかった。寝る前は本を読まないと眠れなかった。
ここで読むことと対になったのが書くということだ。
ノートに細かい字で書き続けた自作の推理小説。あれはまだ実家に残っているはずだ。
数10ページに及び処女小説の最期はどうなったのか覚えていない。ただ、書き終わることなく小説も読まなくなったことだけは覚えている。
きっと犯人が結局誰かわからないまま小説は終わっているだろう。ただ、一心不乱にノートに書き続けたあの記憶は色あせない。
次の記憶は24歳、約4か月の出張期間。プレステ2を買って、たった10日でドラクエをクリアした。
このときとにかく危機感を感じたものだ。自分は何をやっているのか?何のために生きているのか?と。
時間があると余計なことを考えてしまうものだ。当時仕事以外の自分の価値を見つけられず、暇だと思いながらゲームばかりしていた。
危機感は人を変える。
このときもひたすら本を読み続けた。小説という小説を。図書館の本をすべて読みつくそうとしているかのうように。
休日には朝イチで図書館に行き、6冊の本を借りた。2日間ホテルにこもってひたすら読んで翌日には返す。
しまいには図書館の駐車場でひたすら小説を読み続けた。ホテルに戻ることも面倒だったし返すことも面倒だった。
時間という時間は本を読みたかった。自分の生きている意味を感じたかった。
こうして本を4カ月間読み続けた。
その後、僕は初めてのブログを始めた。当時のブログは本のレビューブログだ。
僕は読んできた本のレビューをひたすら書き続けた。読むことと書くことを交互に。
通算200以上の記事が記録として残っている。それは読むことが追いつかなくなるまで続いた。
読むことが追いつかなくなってまた、ぼくは書くことをやめた。
3つ目は今だ。
ブログを書くことをやめて10年以上たった今、また書くということに向かい合っている。
営業の仕事に本気で向き合い続けた10年だった。家族を疎かにしてしまうこともあるくらい残業もしていた。
ブログを始める直前には1年かけて、仕事に関する資格も取った。仕事が終わってから毎日3時間以上勉強して。
家族にも迷惑をかけた。僕はいつも仕事のことばかりだった。
だが、僕は今文章を書き続けている。もう一度ブログを始めて以来、パソコンの前に座らない日はない。
今書いていることは稼ぐという目的も一つだ、だから続いている。
いや、本当にそうだろうか?
稼ぐという目的だけではここまで続けてこられなかっただろう。
そうだ、僕は書くということに魅せられている。書きたくて仕方がないから書いているのだ。
この書きたくて仕方がない感情の中に、「書くということは○○である」の答えが隠されている気がしてならない。
自問自答を続けてみる。
僕の中の3つの記憶、この3つに共通点の中に答えが隠れているはずである。
整理してみよう。
1回目、小説をたくさん読んで小説を書き始めた
2回目、小説をたくさん読んでレビューブログを書き始めた
3回目、営業の仕事に集中してブログを書き始めた
そうなんだ。
僕の中から言葉があふれ出している。
僕の頭の中に文章が、経験が蓄積され続けてくると押し出されるように文章として表に出てきているのだ。
「書くということ、それは僕にとっては溢れてくるもの」である。
自分の知識や経験が溢れてくると、その力を誰かに認めてもらいたくなるのかもしれない。
誰かのためになることに喜びを感じるのかもしれない。
ただ、溢れてくる僕の言葉の受け皿が必要なのだと。
誰も読んでくれる人がいなくてもいい。
この溢れた言葉を僕は吐き出さなければならない。
それが文章を書くということに対する僕の答えである。
さて、ここまで書いて2000文字を超えたところでした。
3000文字チャレンジは基本3000文字程度で、絵やリンクなどを使わないテキストだけの文章で書くルールです。
つまり3000文字を書けていませんでした。
ただ、ここまで一筆書きで書けるようになったのも、3000文字チャレンジへの参加があったからだと思っています。
●自分語りの文章は読んでもらえない
●誰かのためになる文章を書け
●日記記事を書いてはダメ
これはブログを書くときによくわれることです。
でも、ただただ自分の書きたいことを書くという場が3000文字チャレンジでした。
読んでもらえなくてもいい、でも読んでもらいたい。
こんな葛藤に対して、3000文字チャレンジには「好きなこと書いていいんだよ」と教えてもらえた気がします。
今回のお題は「書くということ」
本当に今僕は文章を書くことが好きで、1日中暇を見つけては文章を書いています。
いや、暇を見つけるというより書く時間を作るためにどうしたらいいかを考えながら書いています。
「書くということは溢れてくるもの」としましたが、実は少し違うかもしれません。
もちろん自分のインプットした中から文章はアウトプットできません。
ただ、書くということ(アウトプットすること)をしたいがために、インプットしようと常にアンテナを貼って勉強しています。
逆になっている部分もあるんですね。
書くということに対する答えなんてなくて、人それぞれいろんな思いがあると思います。
だけど、このように「書くということ」に向き合って、いろんな感情を持てていることは本当に面白いです。
これだけたくさん文章を書いているにもかかわらず、ちっとも文法なんかはわからなくて内容もまとまっていないかもしれません。
でも、僕と同じような気持ちで3000文字チャレンジを書いてきた人もいるだろうなと考えるとちょっと嬉しいです。
このように好き勝手書いている記事を読んでくれた方ありがとうございます。
また、楽しい場を作ってくれた3000文字チャレンジのことは忘れません。
しんみりするのは嫌なのでひとつだけ。
3000文字ぴったりで終わらせたくて文字数を調整してます。
お疲れさまでした。ありがとう。
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