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Youはなぜ公認心理師に?

こんにちは。しんしん心理研究所の心理師Shingoです。今回は少し趣旨を変えて、私自身のことを書いてみようと思います。
あまり興味がないかも知れませんが、自分の気持ちを整理する意味でも備忘録的に書かせていただきます。超暇な時に読んでいただけると嬉しいです。

自己紹介

まず自己紹介します。
国内唯一の心理学系国家資格である「公認心理師」です。
現在「しんしん心理研究所」を立ち上げてトラウマケア専門の心理カウンセリングサービスを提供しています。「トラウマ」により自分らしく人生を生きていないと感じる方々に寄り添い、抱えている「トラウマ」からの解放を支える伴走型の心理支援を行なっています。

「しんしん心理研究所」は私のビジネスネーム「心理師Shingo」を略して
「しんしん」と周りの人に呼んでもらっていることと、「心身を整える」意味での「心身」の両方の意味を込めて名付けました。

公認心理師になって、オンラインメディアでメンタルヘルスの記事を書いたり、他の人の記事監修をしたり、オンライン精神科で心理カウンセラーとして活動を始めた際に「心理師Shingo」を名乗るようになったのですが、私のメンターである方から名前が長い!略して「しんしん」でいいじゃん!と言われて以降、気に入って「しんしん」と呼んでもらうように自己紹介でお伝えしています。

長く険しかったエンジニア時代

高校を卒業し大学に行くわけでもなく、目的もなくアルバイトをする日々を送っていた時に、一度はちゃんと正社員として働こう!と一念発起して小さな会社でプログラマーとして未経験採用してもらい、そこから転職してステップアップしつつ、約25年システムエンジニアとして働いてきました。

みなさんはシステムエンジニアと聞くとどんなイメージを持ちますか?
・難しそう!
・忙しそう!
・残業がすごそう!
・ブラックな職場じゃないの?
なんて大変なイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか?



「ええ!その通りです」(大きな声では言えませんが当時は大変でした。。。)
きっと今はコンプライアンス的に云々できっとホワイトな職業になっているハズ(いやなっていることを本当に願います)

徹夜や高稼働が日常的にある現場で、なんとかやって来たのですが、ある日朝目覚めると体が全く動かない(起き上がれない)状態になりました。その後重度のうつ病だと診断され、即刻休職のドクターストップにより、自宅療養の日々が訪れます。

当時のことは正直あまり記憶になくおぼろげですが、絶望した反面ホッとしていたのかも知れません。
周りのメンバーでもうつ病で戦線離脱する部下をたくさん見てきましたが、

「自分はメンタル強いからうつ病なんて自分には関係ない」
「うつ病なんて心が弱い人がなるものだ」
「うつ病になるまで頑張らなきゃいいのに」

とか、全くの他人事のように捉えていたのに、
「まさか自分がうつ病に!」
と正直もう自分の人生が終わったようなショックを受けました。

しかし仕事から離れて休養することでなんとか体も心も元気だった頃の状態に戻り、職場復帰を果たしまたリスタートして頑張ろう!と思えたのです。

が・・・なんと1年も持たずまたうつ症状が出て今度は産業医から休職命令が出てしまい再度休職することに。

うつ病はもう治ったと思っていた自分にはかなりショックが大きかったです。まあ今思えば主治医以外の助言やサポートも受けずに自己判断でうつ病は完治したと思ってしまった自分が悪いのですが。
(実際にはうつ病に完治はなく寛解という安定した状態があることを知るのはもうしばらく後の話です)

リワークとの出会い

2度目の休職でもう復職できないのではないかと怖くなってしまい状態は悪くなるばかりです。なんでこんなに心が弱くなってしまったのか自分で自分を責める日々が続きます。

しかし永遠に休職しているわけにもいかず、産業医から復職前にリワークという復職支援のサービスを受けることを勧められ、自分も復職に自信がなかったこともあり受けてみることにしました。

すぐに受け入れてくれるところを探してたどり着いたのが、自社のグループ企業の特例子会社(障害者雇用をするための特別な子会社)で受けることになります。

恥ずかしながらこの頃の私は障害者雇用のことも、自社のグループに特例子会社があることも知りませんでした。

リワークを受けた時に、心理支援の道に進むきっかけを与えてくれた精神保健福祉士の方と出会い、丁寧な心理的支援を受けました。そこで「認知行動療法」と出会い、「心理支援職」という職業があることを知り「心理学」にも非常に興味を持ちました。

リワークを受けた後、無事に復職はしたものの、自分の中でシステムエンジニアで生きていく人生に違和感を感じるようになり、「心理学」を学びたい!さらには「心理支援職」になりたい!と思うようになります。

ちょうどタイミングもよく、社内の大きく体制変更があるようで思い切って上司にリワークを受けた特例子会社への出向を願い出てみました。
たまたま運良く特例子会社でも親会社からマネージャクラスの人材が欲しいとのことですんなりと出向することが決まります。

特例子会社に出向してからは全てが変わりました。ミッションとして社内で新しい事業(障害福祉サービスである就労移行事業所)の立ち上げが与えられ、障害者雇用のことも、障害福祉サービスのことも全くちんぷんかんな私には、日々発見と驚きの連続で毎日成長している気持ちがしてとても充実した日々を過ごした期間です。

またこのときには、「心理学」をしっかり体系的に学ぼう!と意気込み通信制大学(私は費用面も考えて放送大学という選択をしました)でいちから学び無事5年かけて卒業(学士取得)しました。

障害福祉サービスもなんとか立ち上げて(行政に山のような申請書を出したり必要な什器を集めたりめっちゃ大変でした。。。)、障害を持っている人の就労支援に携わる日々の中で心理支援職としてのスキルも向上し、思い切ってスキルチェンジしたことを心底よかったと思っています。

そして公認心理師へ

そんな中、国の方針として国民の心の健康の保持増進に寄与することを目的に「公認心理師」という国家資格が誕生します。

心理支援職といえば、臨床心理士や精神保健福祉士などが多かった印象ですが国としては将来の日本に心理支援職のニーズが高まると考えているのでしょう。民間資格の臨床心理士以外の選択肢を増やすことで心理支援職の人数を増加する狙いがあるように思います。
(臨床心理士も公認心理師も取得のハードルは同じくらい高いです)

私の場合は、移行措置のタイミングでしたので、運良く大学院の単位がなくても現役の心理支援職として現任者講習を受講することで受験資格を得ることができたので、無事に受験でき、試験に合格して公認心理師になることができました。

令和3年に公認心理師を取得してからは、会社とは少し離れて個人的にも情報発信したい気持ちが強くなり、Webメディアでのライターや記事監修を始め、ご縁がありオンライン精神科で心理カウンセラーとしての活動もスタートします。
ここで「心理師Shingo:しんしん」が誕生します!(現在3歳)

さまざまなクライアントと接する中で、いろいろな悩み、困りごとの根っこには「トラウマ」が潜んでいることが分かりました。

多くの方に「トラウマケア」が必要ではないかと強く感じて、これこそ自分の心理支援職のミッションなのでは?と考えるようになり「しんしん心理研究所」を設立しました。

障害福祉分野から心理支援職としては10年目を迎えるこの年に新たなミッションとして「トラウマケア」を多くの行き辛さを抱えている人に届けられるように、情報発信や心理カウンセリングをお届けしていきます。

ここまで読んでくださった優しいあなたに感謝して筆をおきます。
いつも記事を読んでくださりありがとうございます。


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