聖人との対話「世界を超えることについて」
どうも、真仙です。
瞑想を深めていく過程で、聖なる存在たちと対話を繰り返すことになりました。
その対話は深い意味を持っていますが、読み解くためには瞑想と祈りが必要です。
聖なる沈黙ほど尊いものはありません。
沈黙がすべてを物語っていることが多いです。
神を味わったときの至福の中にすべての答えが含まれています。
しかし、この聖なる対話について「語るべし」という神の意志が吹き込まれてきます。
少しでも、神に至る道を照らすヒントとなれば幸いです。
私が天に問いかけることは、基本的に神と霊的真理にまつわることです。
人間が霊的に進化し、宇宙的な真実を探り当て、神と合一していくためのものが中心となっております。
・聖母マリアとの対話「優しく語りなさい」
語るべきか。語らざるべきか。
ある時、私は霊的な道について、もう沈黙を守ろうかと考えていました。
特に預言に関することや、これからの世界について暗示すること。
心を改めなければならない時期が迫っていることなど。
そういうことは語れば語るほどに誤解を招き、人々の心を塞ぐのではないか。
ただ徒労や無駄骨に終わるのか。
それとも、霊的な道を歩む改心の手がかりになるのか。
それがわからなかったわけですね。
すると、聖母マリアが慈悲の光を伴いながら現れて、告げてきました。
聖マリア「優しく語りなさい」
聖母マリアは、私の頬を両手で包み込んで、続けるのです。
聖マリア「恐れさせてはいけませんよ。優しく語るなら、純朴な人が聞いてくれます」
私「もう一度、聞きます。私は語るべきですか」
聖マリア「語りなさい。優しく語りなさい。それも慈悲の心で」
聖母マリアは繰り返し告げてきました。
彼女から流れ込んでくる慈悲に満たされ、心が溶けていくように感じ、深い平安がやってきました。
彼女の言葉によって「語る」と決意しました。
あなたなりのメッセージを伝えて欲しい、とも告げられています。
彼女が伝えたいことを自分なりに砕いて話すと。
それは来るべき試練の日は、そこまで遠くないということ。
このまま行けば、あまりにも魂の落第者が多いこと。
世界のリセットにまつわることを明かされています。
世界のリセットについては、パソコンにたとえるとわかりやすいです。
パソコンにウィルスが入ったら、対策ソフトによってウィルスを削除しようとするわけです。
しかし、それがうまくいかないほどにウィルスが増殖したら、パソコンを初期化するしかなくなるのです。
世界にも、それがあり得るのです。
決して、流行病のウィルスについて言っているわけではなく、彼女が伝えてきたのは魂のけがれについてです。
霊的堕落という問題です。
あまりにも多くの人の心の目が閉ざされ、霊性を発揮することができなくなってきました。
調和の欠いた生き方が中心となり、その行き着く先は人類同士の戦争や破壊です。
どこかの地点で人々が心を改めて神に祈り、魂を純化していく道を知る必要があります。
聖母マリアに祈るのでもよいです。
神へ取り成しを行ってくださり、心の純粋さを取り戻すことができます。
難しいことがわからない人も多いので、祈り方だけでも教えなさいと伝えられています。
その日は誰にもわからないのだから、いつ来ても大丈夫なように毎日心を込めて祈り、瞑想することが大切です。
そうして、神との繋がりを確固たるものにしておけば、どんなことがあっても大丈夫です。
・イエス・キリストとの対話「祈りは届く」
心を込めて祈り、瞑想していると、霊的なビジョンが見えてきました。
神の無限の光の中に、イエス・キリストの姿がおぼろげに見えました。
集中していると解像度が上がり、その姿がはっきりと見えました。
その愛。そのエネルギー。その波動。
それによって、イエス・キリストご自身だとわかりました。
キリストが手招きすると、私は神の無限の光の中に入り込みました。
気づいたら、広いソファーと円形の机がある場所に辿り着きました。
キリストの側に座って、ゆったりとした気分で向かい合いました。
私は前から聞きたかったことを問いかけました。
私「イエス・キリストよ。あなたは兄弟。偉大な兄弟。あなたのように人間的な弱さや欠点を克服し、神の栄光を現わせるようにしてください」
神に目覚めた師。至高の師。
イエス・キリストなら、その方法を知っているに違いないと思い、そう問いかけたのです。
キリスト「あなたはもっと自分の祈りが神に届いていることを知るべきだ。神の応えがあって、それを受け取りなさい。恵みに浸りなさい。恵みに浸れば、それを授かる」
その言葉で、すべてわかりました。
今までずっと神に繰り返し祈っており、それが届いていたことに安堵しました。
ただ、神の応えを受け取ればよかったのだとわかりました。
恵みとは、神の純粋な光のことです。
神の光に浸ると、至福に満たされていきます。
これ以上の恵みはないというほどの喜びがあります。
神の光によって、人間的な弱さが自然と溶けていき、神の力が現わされてくると確信しました。
神の光で自分を満たすようにすればいいということです。
・大天使ウリエルとの対話
ある日のヨガクラスにて、師の指示に従って瞑想していると、神の光が見えてきました。
神の光の中に、大天使ウリエルの姿が見えました。
人間とは明らかに違うほど美しい姿でした。
光の翼が燃え上がるように生えており、手には聖なる書物と剣を持っていました。
大天使ウリエルに話しかけて、いくつかの日常的なアドバイスをもらいました。
それを実践すると本当にうまくいくことがあり、対話できている確信が湧いてきました。
神の御許に住まう大天使たち。
最も純粋な存在に、神と世界の真実について問いかけることにしました。
私「この世界は夢幻のようなものですか?」
ウリエル「この世界は神の庭園。私はその庭師」
大天使ウリエルは、宇宙的なビジョンをその背景に繰り広げるように見せてくれました。
光で様々な色合いが織りなされ、世界が造られていきます。
世界は本当に庭園のようなものであり、神の手によって創造されたものでした。
大天使たちは神に宇宙世界を任され、神の手として創造・維持・管理しているのでしょう。
しかし、私は庭園の美しさだけではなく、苦しみという苦しみを知っていました。
いずれにしても、この世界を超えていきたいと思っていました。
神ご自身を味わうまでは、完全な救いも幸福もないことを知っていたからです。
私は問いかけました。
私「どうすれば、この世界を超えられますか」
世界を超えて、神に至る道を大天使に問いかけたのです。
大天使ウリエルは勇ましい姿で仁王立ちとなり、剣を地面に突き刺しました。
その両脇には、二つの道が現れました。
頭上に第三の道として、ひし形のゲートが開きました。
ウリエル「右と左。善と悪の境目を超えていけ」
右と左の道は、どちらも世界を超えるものではないということです。
この世界に対して、「あれが良い」「これが悪い」と囚われ、介入しようとする間は世界自身のとりこになります。
つまり、大天使の頭上のゲートが正解。
第三の選択肢として、大天使の頭上にゲートがあります。
その道を通れば、この世界を超えられるということがわかりました。
いわば、神の遊戯である宇宙世界に不動の心で影響されなくなった人だけが、第三の道を選ぶことができます。
そのゲートを通る前に、私は気になっていたことを聞きました。
私「至高の師と同じようになる方法を教えてください。神の権能を実現する力を与えてください」
ウリエル「あなたが神のすべてを得たいというなら、神と一つになりなさい。自分を神に捧げなさい。そうすれば、後は実る」
私「どうすれば、自分を神に捧げられるでしょうか」
ウリエル「自分を委ね切れ。あなたが得意とするところだ」
神にすべて捧げ、捨て切る覚悟がありました。
大天使ウリエルの頭上のゲートに、私の魂は突進しました。
一瞬で、世界がなくなったように感じられました。
神の至福に満たされる。
この世界を超えようとするなら、内面から世界の全てを捨て去ることです。
それは所持品や財産を捨てるといった物理的なレベルの話ではありません。
内面的にです。
心の内から、世界という囚われを捨て去って、神に完全集中することです。
そうすれば、その人は神と一つになることを許されます。
神を純粋に愛すること。
それが最速の道です。
神は真っ先にその人のところに歩み寄ります。
世界という重荷を取り去り、神の境地に速やかに導いてくれます。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。