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妄想と現実の境目。真の霊的能力と聖なる祝福について

どうも、真仙です。

今回は、霊的能力をテーマにして、その実体と真実に迫りたいと思います。

世の中には色々な霊能力者と呼ばれる方がいます。
それが本当の霊的な能力によるものか。
それとも単なる妄想によるものなのか。

そこには明確な違いが存在するのですが、世の中には判断がつかない人が多いようですね。

誰でも瞑想を行っていくと、時に霊的なビジョンが見えたりします。
それが自分の潜在意識が見せた妄想なのか。
それとも、聖なる祝福なのかわからないこともあります。

その違いをしっかり見抜けないと、大切なことを見逃してしまうことがあります。
素晴らしい祝福も、霊的な問題もわからなくなってしまうわけです。

今回の話を聞くと、その違いがわかります。
妄想と現実の違いが見えてきます。

霊的に成長するヨガを進めていく上でも、知っておいたほうがいいことなのでお話します。


・死神が見えると言われた生徒

ある日のヨガクラスの終わりに相談を受けることになりました。
ご夫婦でヨガをされている方だったので、お二人で相談に乗る形になりました。

生徒の旦那さんのほうが話しかけてきました。

「真仙さん、ちょっと相談があるのですが、いいですか?」

「どうぞ」

「実は……ある方と知り合いになり、その方は生まれた時から霊能力があると言っていて、そのせいで鬱とかで苦しんできた方だったんですよね」

旦那さんは話を続けました。

「どうも本当に霊能力があるように感じて話を聞くと、自分の後ろにデスノートの死神が見えると言われまして、それが憑いているというのです」

私は思わず聞き返しました。

「デスノートですか?」

「はい、あの漫画のデスノートのような死神が憑いていると言われたんです」

「ああ、あの死神ですか。デビルみたいな黒い翼のある死神ですよね」

「そんな死神が自分に憑いているのでしょうか? こんなにヨガをしているのに、そんな死神が憑くのかと思いまして」

旦那さんは、神と繋がる聖なるヨガを熱心に実践されていました。

朝晩ヨガをしており、神エネルギーも感じるようになってきていたのです。
確実に成長されているにもかかわらず、死神が憑くのかと疑問に思われているようでした。

旦那さんはお願いしてきました。

「よかったら、見てもらえませんか?」

私はオーラが見るのが得意なので、死神が実際に憑いているのか簡単に見ることができました。
しかし、その前に死神について説明することにしたのです。

「見る前にお話すると、死神というのは本当にいるのです。
黒い翼が生えておりまして、人の死期が迫るとやってきます。
死神の実体は天使でして、その役割は人間の霊体と肉体を繋ぐコードを切るのです。
すると、その人は肉体からすっと抜け出して、あの世に行けるわけですね」

いわゆる死の補助役。
それが死神の役割でした。

その役割を果たしてくれないと、肉体は死に絶えているのに、意識がとどまって大変に苦しんだりします。

自殺者などには死神が来ず(死ぬ時期ではないのに命を絶ったから)
死んだ後にも、肉体に意識が一定期間留まって苦しい思いをする人もいると聞きます。

私は、旦那さんに向かって話を続けました。

「病院とかで死期が近い人、特に死ぬ数日前の人を見ると、死神が憑いていたりします。
もし、本当に死神が憑いているとしたら、旦那さんは死期が迫っていることになるのですが、身体の調子とかは悪いですか?」

旦那さんは、けろっとした顔で答えました。

「いいえ、調子が悪いとかはありません。習ったヨガのおかげで、むしろ体の調子が良く、小指の握力も増しているぐらいです」

旦那さんが死ぬ気配は、一切見られませんでした。

私は最初の時点で直観力が働き、答えがわかっていました。
真面目な人がミスリードされているのを見ると、正義の心が語りかけてきて、何とも言えない気持ちになるのです。

人が見えないことをいいことに何でも言っていいわけでないのだ、と。
こういったことは山ほどあって、多くの人たちが気づかないといけないことなのだと思いました。

現実と妄想の区別の付け方。
人が学ぶ必要があることだと思いました。


私は論理的に話しました。

「もし、死神が憑いているのだとしたら、旦那さんは具合が悪くなって、死んでないといけないのですが……しかし、とても元気そうで、この数日以内に死ぬ気配もないですね」

というよりも、その話を受けてから、すでに数日経っていることは明らかでした。
つまり、現時点で死んでなければなりませんでした。

旦那さんは、いぶかしげに答えました。

「はい、まったくそんな気配がないのです」

「論理的に考えて、死神が憑いていると思われますか」

「どうも、話を聞くと思わないですね」

「ですよね。その霊能力があるという人は、まったく話の筋が通っていないのです。正直、現代で霊能力者と呼ばれる人の大半は、自分の妄想を見ていることが多いです。現実と妄想の区別が付いていません。統合失調症に本当にそういった症状があります」

私は統合失調症の方を何人か知っており、そういった妄想の症状が出ることを知っていました。
決して、統合失調症の方を貶めるわけではなく、学問的にそれらの症状は確認されています。

「精神疾患を患った方の中には、妄想が現実として見えることがあります。その人にとっては、本当にそう見えています。しかし、それは現実ではありません。もし、現実なら旦那さんは死神の手によって命を取られていないといけないのですが、元気にぴんぴんとされています」

旦那さんが生きている。
それこそが現実でした。

その死神が見えるという人の言葉は、誰がどの地点から聞いても妄想であることは明白でした。
現実と妄想の区別は、しっかりと理性を用いれば、明白になります。

「精神疾患などによる妄想と、霊的能力は似ているように思うかもしれませんが、まったく違うものなのです。真の霊的能力があれば、現実を捉えることができます」

その後、しっかり説明すると、旦那さんは納得された様子でした。
ここに追記しておくと、真の霊的能力がある人のケースも書いておきます。

私の先生は卓越した霊的能力を持っており、本当に死神が見えたケースがあります。
ある人に死神が来たのが見えた後、間もなく亡くなったのです。

誰がどう見ても、人が亡くなったという事実があります。
霊的に見えたことと、現実に起きたことが符合しています
つまり、客観的な事実として、死神が見えていたということ。

これが妄想ではなく、現実を捉えた霊的能力です。

統合失調症と霊的能力の違い。
その脳の働きは、真逆です。

統合失調症の場合は、脳の一部が機能停止に陥っており、制御を失うことで妄想が止まらなくなっているのです。
霊的能力がある場合は、脳の機能(特定のチャクラ)が活性化しており、しっかりと制御され、より深い見えざる真実が捉えられるようになっているのです。

その両者は、似て非なるもの。
杖をついて歩く人と、素早く走れる人ぐらいの違いがあります。


旦那さんはとても納得された様子でしたが、さらに完全に不安を払拭するために提案しました。

「この際ですから、一応見てみましょうか。見てみるまでは本当に死神が憑いているかわかりませんからね」

私がそう提案すると、旦那さんはお願いしますと言いました。
すっと呼吸を整えて、集中状態に入ると、旦那さんのオーラを見つめました。

意識が切り替わり、霊眼が開きました。

旦那さんの身体の周りにオーラが浮かび上がり、見えてきました。
そのオーラは白い輝きを放っており、とても健康的な色合いをしていました。

さらにそのオーラの背景を見つめると、天使の姿が見えてきました。
天使は白い翼が生えており、その片手に本を持っていました。

「死神どころか、白い天使が見えますよ。オーラも輝いていますし、健康的ですね。死ぬ気配はまったく見られません」

旦那さんと奥さんは顔を見合わせてから、少し笑われました。

天使は旦那さんの頭頂部を指差しており、そこに光の柱が立っているのが見えました。
頭頂部に、光が吹き込んでいたのです。

それは真のヨガを実践することで、神の光を得ている状態でした。

「頭の上に光の流れが見えるので、よかったら手をかざしてみてください。エネルギーを感じ取れますよ」

私がそう言うと、奥さんが興味深そうに旦那さんの頭に手をかざしました。
何度か手を前後させると、「ああ、感じます」と言いました。

「そこにエネルギーの流れがありますからね。行の成果はしっかりと出ているので、ご安心ください」

「良かったです」

旦那さんは、ほっとされたようでした。

私は、さらに集中して天使の向こう側を見ていました。
すると、天使の向こう側にキリスト意識のマスターたちが居並ぶのが見えてきました。

「キリスト意識の瞑想もされているのか。キリスト意識のマスターたちも見えてきます。ちゃんと神の光と繋がることができているので、ご安心ください」

旦那さんは、今までやってきたことが報われているのだなということで、笑顔になられました。

私は付け加えるように言いました。

「世の中の霊能力者と呼ばれる人は、そのほとんどが実際には能力を何一つ持っていないのが現状でして、妄想が現実のものとして見えているだけです。
本人には、本当にそう見えてます。
でも、それは現実ではないんですよね。
何の根拠もない話を聞いても、受け流してくださいね」

本当の霊能力者も一部ですが、ごく稀にいます。
しかし、そういったケースでも正しい行法を知らず、自己浄化ができていないので低級霊や邪気にやられています。

霊能力者の問題をいくつも見てきました。
多くのケースで、最後は正気を失っていました。

私自身も問題に直面したことがあります。
師と巡り合い、聖なるヨガを実践することで自己浄化が進み、解決してきたことでもあります。

どれだけの人が真価を見極められずに、道を踏み外しているのでしょうか。
この話は多くの人に伝えた方が良いと思い、ここでもお伝えさせていただきました。

これで話は終わりかと思ったのですが、奥さんがお願いしてきました。

「よかったら、私も見てもらえませんか?」


・聖母マリアがオーラの中に見える

生徒の奥さんのオーラも見させていただくことになりました。

「わかりました。見てみましょう。少し時間をくださいね」

私は自分の第三の目に集中してから、奥さんのオーラに意識の焦点を合わせました。

奥さんのオーラが見えてきて、それもまた輝きを放っているのがわかりました。
旦那さんのオーラが力強いものだとしたら、奥さんのオーラはより繊細なものに見えました。

オーラの向こう側を見つめていると、聖母マリア様が浮かび上がってきました。

「これはわかりやすいですね。はっきりと見えます」

奥さんが耳を傾けていると、私は話を続けました。

「聖母マリア様が見えますね」

「聖母マリア様ですか」

奥さんは少し驚かれたような顔になってから、続けて言われました。

「聖母マリア様にすごい祈っているんですよ。一番やってるぐらいです」

「ああ、それは聖母マリア様が見えてくるわけです。確かに加護を頂いていますよ」

聖母マリア様に心を込めて祈っていると、本当にオーラに見えてきたりします。
それは霊的な繋がりができているということでもありました。

奥さんが日々行っている祈りと、私が見えているものは合致していました。

聖母マリア様を見つめ続けていると、不思議なことが起きました。
その手から、花束を差し出されたのです。

それは百合の花でした。

百合の花言葉は「純潔」です。
まさに聖母マリア様を象徴する花でした。

聖母マリアに天使が捧げた百合の花

聖母マリア様と百合の花は、よくセットで描かれていたりします。
それは百合の花が彼女の性質を現わしているからです。

私の先生曰く、聖母マリア様は百合と薔薇の花が好きだそうです。

聖母マリア様が、わざわざ百合の花束を奥さんに向かって差し出されていたのです。
そうして、聖母マリア様はこう言いました。

『あなたは私が祝福した人』

花束が聖母マリア様の手から放たれて、奥さんの頭の上に収まりました。
そうして、溶け込んでいくのが見えたのです。

私は見えたこと、聞いたことをそのまま伝えた上で、こう言いました。

「聖母マリア様に祝福されていますね」

それは霊的なイニシエーションでもありました。
聖母マリア様との繋がりを強くするものでした。

奥さんは、その話を聞いただけで、とても感動された様子でした。
この世に生まれてきてよかった、と思うほどだったそうです。
すべてが報われるような気持ちになったそうです。

聖なる祝福を受けると、魂の奥底から感動するんですよね。

それはどんな言葉でも表せないほど素晴らしいものです。
その後、奥さんは夜に聖母マリア様に祈りを捧げていると、ハートにあふれるほどのエネルギーを感じたそうです。

ハートからエネルギーが放射状に流れていくように感じたそうです。
それは愛でした。
愛と生命とエネルギーは、本質的に同じものです。

聖母マリア様の慈愛のエネルギーでもありました。
霊的なイニシエーションを受けることで、聖母マリア様の慈愛が流れ出すようになったのです。
奥さんは、聖母マリア様がハートに常にいてくださるのを感じるともおっしゃいました。

愛の体験というものは、どんな現実よりも現実的です。
どんな真実よりも勝るほどの真実です。
これは人が頭で考えたり、想像で感じ取れるようなものではありません。

今回の機会は、聖母マリア様の祝福を見届けるためであったのだとわかりました。

人はこうやって突然に祝福されたり、イニシエーションを受けたりすることがあります。
それは偶然ではなく、本人が心から求めて祈り、行じてきたことが天の応えによって結実したのです。

その手助けができたことは、本当に喜ばしいことでした。

聖母マリア様の慈愛を受け取れるようになれば、人は誰でも心が純化されて霊的に進化していきます。
そうして、聖母マリア様を通って、神に至ることもできます。

このような祝福された出来事に立ち会えたのは、幸いなることでした。