極東条項があるのに米軍が中東紛争処理の補給拠点として在日米軍基地を使用できる理由 ~「寄与米軍」の論理とその他、場当たり的な言い訳の数々~

・「極東条項」の抜け道
・極東条項など非現実的だと相手にしようとしない米国人
・「直接発進」でなければいいという言い訳
・結果として「極東の平和と安全に寄与」できているのならそれで良いとする「寄与米軍」という考え
・「事前協議」の有名無実化 ~米国からの申し出がない以上、戦闘行動のための基地使用という事実も存在しないという理屈~
・湾岸戦争など、在日米軍が極東の範囲を超えたことが明白になっても、それは「単なる移動」だとして事前協議の対象にはならないとする思考閉鎖

 俗に「日米同盟」などと言われる「日米安全保障条約」だが、戦争を放棄した日本が米軍と一緒になって共通の敵を相手に戦えるというわけではない。

 1960年1月に調印された「新日米安全保障条約」の第6条には「極東条項」と呼ばれる項目があって、それによれば、
「日本国の安全に寄与し、並びに"極東"における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」に、
日本はアメリカに対し、米軍による日本の施設、区域の使用を許可するということになっている。

 ところが、でありながら、1990年8月に発生した「湾岸戦争」においては、在日米海軍と海兵隊の戦闘部隊が、大挙して中東戦場に送り込まれていった。

 また、2001年9月11日に発生した「9.11テロ事件」に対する報復として開始された「アフガニスタン戦争」においても、在日米軍から陸軍特殊部隊や海兵隊、および横須賀の空母キティ・ホーク戦闘群が出撃して参戦した。
 なお、このとき海上自衛隊の護衛艦部隊が横須賀から出港するキティ・ホークを「演習以外ではじめて」護衛する布陣をとって随伴した。
 軍艦は港湾内での停泊中が最も戦闘力が発揮できない状態にあるため、もし万が一の敵の襲撃に備えるための行動だったという。
 平時においては米軍も、日本の領土・領海では自由に戦闘行動を取ることはできなかった。
 が、このときは別に日本でも「防衛出動」が発動されていたわけではなく、その状態では自衛隊の指揮官にも、米空母護衛のために対空ミサイルや機関砲を発射する権限はなかった。
 また、その後も日本は「海軍任務部隊」をインド洋に派遣して「兵站」「情報」支援を行ったが、これは自衛隊にとって初めてとなる「戦闘中の作戦を支援」するために海外出動した事例となった。
 でありながらこれも、日本にはそのときはまだ、その行動の根拠となる法律が作られておらず、直後に「テロ対策特措法」の新法が成立して「任務」が変更されたが、それまでは「事実上の作戦行動」を、「調査・研究」という名目で送り込んでいた。

 結局、日米関係においては法律などあってないようなものか。久江正彦氏の『米軍再編』という本には、そもそも米政府内で極東条項を認識している人間自体がきわめて少なく、極東条項を熟知している米国人でも、日本の論議は現実離れしていると受け止められているのだということが書かれている。


・「直接発進」でなければいいという考え

 江畑謙介氏の『安全保障とは何か』によれば、米軍側が日本の基地を戦闘作戦行動のために使用するに当たっては、日本の基地から米軍が「直接に戦闘に投入される」かどうかという「直接発進」の場合のみが問題にされるのだという。
 つまり、極東地域以外に戦闘目的で在日米軍を派遣しても、米軍部隊が日本の基地から「直接」に、戦地へ行くのでなければ問題ないのだという。
 だから日本の基地から出て、どこか途中に別の国の基地や寄港地に立ち寄っていれば、「直接発進」にはならず、極東条項違反にはならないのだと


・「寄与米軍」という考え

 古くは「ベトナム戦争」のときに、爆撃機が在日米軍基地から出撃していったが、1960年の政府統一見解では「極東」の範囲を、「フィリピン以北、日本とその周辺海域、韓国、台湾」と定義していた。
 ただし、同時に、「極東の区域に対して武力攻撃が行われ、あるいは、この区域の安全が周辺地域に起こった事情のため脅威とされるような場合、米国がこれに対処するためとることのある行動の範囲は、その攻撃または脅威の性質いかんにかかるのであって、必ずしも極東の区域に極限されるわけではない」という抜け道も併記していたという。
 さらに政府はまた、「日米安保条約第六条の主旨は、施設・区域を使用する米軍の能力や任務を極東地域内に限定することにあるのではなく、第六条が定める目的に合致した施設・区域の使用が行われているか否かは、施設・区域を使用する米軍が、我が国を含む極東における国際の平和と安全の維持に寄与する役割を現実に果たしているという実態があるかどうかによって判断されるべきものである」との見解も示していたという。
 つまり、結果的に、「極東の平和と安全に寄与」すればいいとの論理で、域外での活動を可能とする能力と任務を容認し、日米安保条約に関わる外務省や防衛庁の担当者たちの間では、こうした理屈で極東の範囲外でも活動できる米軍を、「寄与米軍」と呼んでいるとのこと。


・「事前協議」の有名無実化 ~米国からの申し出がない以上、戦闘行動のための基地使用という事実も存在しないという理屈~

 また、1960年に行われた新日米安保条約の改訂・調印の際、両国政府が第六条に関して交わした岸・ハーター交換公文では、「事前協議制度」を規定している。
 その事前協議の対象は、「日本への米軍配置・米軍装備の重要な変更、日本からの戦闘行動のための基地使用」とされているのだが、これまで日米で事前協議が行われたことは一度もないという。
 一度もないということは、「日本への米軍配置・米軍装備の重要な変更、日本からの戦闘行動のための基地使用」がなされたことは一度もなかったということになるが、日本政府としてこれまで、他に米軍による核の持ち込み行為なども含めて、「米国側から協議がないので、要協議事項はないものと信頼している」との認識でいるのだという。


・湾岸戦争など、在日米軍が極東の範囲を超えたことが明白になっても、それは「単なる移動」だとして事前協議の対象にはならないとする思考閉鎖

 米国側からの申し出がない以上、日米安保第六条について「事前協議」が必要になるような行為が米軍によってなされた事実もないとした日本政府だったが、しかし「湾岸戦争」以降、在日米軍が極東の範囲を超えたことが、誰の目にも明白になってしまう。
 が、そうなると今度はもう開き直ったのか、日本政府は、
「米軍の運用上の都合により、米軍が我が国から他の地域に移動することは事前協議の対象にならない」という見解を示すこととなる。
 これはどういうことかといえば、つまり在日米軍がどこへ行こうが、それはもう日本にとって「単なる移動」だから知らないということ。

 日米安保条約を諸葛する外務省では、結局、在日米軍が実際にどこで活動しようとも、日本の米軍司令部がどこまでの範囲を指揮しゆとも、あくまで名目上「日本防衛と極東の範囲」と定めて、それを越えたら「極東の平和と安全に寄与している」という論を貫けばいいのだという考えなのだという。


まだ記事は少ないですが、ここでは男女の恋愛心理やその他対人関係全般、犯罪心理、いじめや体罰など、人の悩みに関わる心理・メンタリズムについて研究を深めていきたいと思っています。