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案山子

着替えと数冊の本が入ったリュックサック、それと大量のお土産が詰まっている紙袋を後部座席に投げ入れ、ふーっと一息ついてからエンジンをかける。
今乗っている軽自動車は、スマホで再生した音楽がBluetoothで繋がり、車内のオーディオで聴けるようになっている。
大抵は好きなアーティストの曲だけを永遠に流すのだが、気が向いた時は選曲をスマホに任せて、ランダムで再生することにしている。

一人での長距離運転はあまりに暇なものだから、色々と妄想をする。
最近なんかは、「全国3000人に聞いた!あなたが選ぶ『北の国から』名場面ベスト100」という緊急アンケートを実施した。
無論、私の頭の中でのアンケートである。
第3位
「誠意って何かね?」(’92巣立ち)451票
第2位
「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!!」(’84夏)619票
第1位
「泥のついた2枚の一万円札」(’87初恋)1147票
以上のように、第1位が圧倒的大差をつける結果となった。
ちなみに私が票を投じたのはベスト3のいずれでもない。
詳しくは将来著そうと思っている『「北の国から」私論ー拝啓、五郎さんー』に譲る。
無論、私の頭の中だけの出版物である。

ご覧になった方はご存知だと思うが、「’89帰郷」ではこの2枚の一万円札がきっかけとなり大事件が起こってしまう。
純ほどではないにせよ、「父と一万円札」と聞けば胸がキュッと締め付けられるような苦い記憶が、私にもある。

「ぼくのお父さんは髪が薄い。耳が遠い。おまけに歯がない」
これは私の長兄が中学生時代に、「主張大会」という行事で発表した作文の書き出しである。
父の特徴をこれほど簡潔かつ的確に表現した一文を、私は他に知らない。
他の生徒や保護者たちのほか、賓客も多く集まる体育館の壇上で父のことを語ったこの主張は、たしか優秀賞かなにかを受賞した。
大衆の面前で清々しく貶められた父に、幼い頃の私は溺愛されていた。
三兄弟の末っ子で、一人だけ年が離れているせいもあっただろう。
それはもう、ものすごぉくうっとおしかった。
最も嫌だったのは、「入れ歯カチカチプー」なる必殺技だった。
長兄が言った通り歯がない父は、若い頃から入れ歯をはめていた。
その入れ歯をちょっと浮かせて、上下にカチカチ動かしながら頬や鼻頭にチューをするという悪夢のような仕打ちである。
餌食になった私は必ず大泣きし、母の膝下にすがりついたものだ。
今となっては良き思い出である。

札幌の高校へ進学し、それからすぐに両親が離婚すると、実家を離れた父とも次第に疎遠になった。
いや、正確に言えば、私が勝手に父に対して引け目を感じ始めた。
一番の要因は、ズバリ金である。
父が自分をどのように見ているか、想像すると怖かった。
長男と次男はようやく自分の稼いだ金で生活できるようになったが、末っ子はまたなんでか石川県の大学に進学した。
それに飽き足らず、今度は大学院に進学して研究職を目指すという。
理系ならまだしも、趣味の延長のような日本文学を学んだところで、まともな職に就けるのか。
と思っていたら、研究者への道を諦めて札幌に戻り、一緒に住む母に寄生しながら書店でアルバイトを始めた。
25歳にもなりそのような生活をしていて、将来どうするつもりなのだ。
帰省して一緒に訪れた親戚や知人の前で、父は私のことを「こいつはただの金食い虫よ」と罵った。
「島に帰ってきて漁師やればいいべよ。儲かるど」と周りが言えば、「ひょろいし不器用だし、漁師なんかできるもんでねえ」と一蹴した。
「どうせ小遣い目当てだべよ。金も無えんだら、いちいち帰って来なくていい」とも言われた。
半分以上は図星だから、何も言い返せない。
腹立たしさよりも、情けなさのほうが強かった。

父に言われるがままの状態が嫌で、その壁をぶち破ろうと試みたことがある。
当時の父はすでに還暦近かったが、夏になればウニやコンブの漁に出た。
中でもコンブはウニと違って、採って即出荷、というわけにはいかない。
天日で干して、屋内に堆積して、筵やビニールシートで覆って伸ばして、一定の長さに切断し、結束する。
その後、長さや重量、葉幅などによって等級が定められ、ようやく出荷の日を迎えるのである。
採取してから島に冬の気配が漂い始める時期まで、父は自分の家の目の前にある浜小屋にこもり、ひたすらコンブを作っていた。
10年ほど前、書店でアルバイトを始めたばかりの、夏の帰省時だったろうか。
小屋の中に入ると、様々な漁具が置かれた奥に、積み重なったコンブの山がある。
父はその山の前にあぐらをかき、備え付けられた小さなテレビで甲子園を観ながら黙々と作業をしていた。
入ってきた私を一瞥しただけで声をかけることもない。
左耳につけている補聴器がピーピー鳴っていた。
普段から世間話をする間柄でもないから、気まずい空間に耐えられなくなった私はすぐに行動に移った。
「はい」
振り向かない。
一度で聞こえないのはいつものことである。
「はい!」
父はようやく振り返り、私の手元を見て呟いた。
「なによ、それ」
「小遣い」
「え?」
「小遣い!」
「小遣い?馬鹿にすんな!10年早えじゃ!」
勢いに気圧された私は、差し出した一万円札を慌てて引っ込め、そそくさと小屋から退散した。
実家に戻り、一緒に島に来ていた母や次兄にそのことを伝えると、
「馬鹿でないの。当たり前だべさ」
と笑われた。
確かに私は血迷っていた。
こちらが小遣いをもらうことを目的に帰ってきたと思われたくなくて、見栄を張った。
所詮はアルバイトを始めたてで、自分で生活していくほどの器用さもないフリーターであるにも関わらず、心の中では、感心した父がありがたく受け取ってくれるものだと思い込んでいた。
札幌に戻る前の晩、父は実家に顔を出すやいなや、
「ほら旅費。無駄遣いすんなよ」
と言ってさっさと帰っていった。
渡されたのは、ヨレヨレになった5枚の一万円札だった。
酔っ払いながらその様子を見ていた次兄が言った。
「お前、それ泥のついた一万円札でねえぞ。潮で焼けた一万円札だ」
母がそれを聞いて、また笑った。
格の違いを見せつけられた感じがして、何より自分の甘さが恥ずかしくなって、こちらも苦笑するしかなかった。

それから10年ほどが経ち、たまたま用事があって帰省した去年の6月、父と母方の祖母と三人で、隣町まで行き昼飯を食べた。
「おらももう間もなくだ」
88歳の誕生日を迎えたばかりの祖母は祖父が死んで以降、誕生日の度に同じことを言う。
その割には、注文した盛り盛りの天丼をぺろっと平らげる。
父と私はそんな祖母を見て、
「こりゃあ、まだまだいかねえで」
と笑った。
「俺払うわ」
「え?」
「俺払うって!」
「お、いいのか」
アルバイトから社員になり、ようやくではあるが、父の前でもいち社会人として堂々と振る舞えるようになった。
財布から一万円札を取り出し、三人分の会計を済ませた。
その翌朝、父は心筋梗塞で倒れた。

朝から島中の親戚が大騒ぎで、病院に搬送された父の元に集まった。
旭川か札幌の大きな病院で処置をする必要があったが、天候不良でドクターヘリが出動できない。
「これで間に合わなくても、もう仕方ねえ。そういう運命だったってことよ」
意識があり、まだギリギリ一人で動けた父は、万が一の場合を覚悟しているようだった。
幸い夕方発の旅客機で父は札幌へ飛び、空港から一番近い病院で処置を受けることができた。
付き添いを義姉に任せて稚内から車を飛ばしながら、私は前日の昼飯を思い出していた。
祖母の誕生日のこと。
自慢気に出した一万円札のこと。
すべてフラグになっているように思えて怖かった。
「たかが昼飯ごときで、これまでの借りを清算できたと思うなよ」と、誰かに言われているような気がした。

2週間後に退院した父は元気で上機嫌だった。
迎えに行くと、担当してくださったお医者様に家の住所を聞いている。
島からウニを贈るつもりなのだ。
私の見栄っ張りは父に似たのかもしれない。
お医者様は恐縮して「受け取れません」と固辞した。
父はひどく不満気だった。
その後、父は私の家に3日間泊まった。
「島に帰ってもしばらく休むんだべ?」と問うと、
「いや、まだウニ(漁)もあるし、コンブも作んねえばなんねえし、冬まで休んでる暇ねえんだ」ときっぱり言われた。
一時は自分でも死を覚悟していたというのに、何のために無理をするのか理解できなかった。
齢はもう70に近い。
息子たちも、ひとまずなんとかやっている。
必死になって働く理由などないではないか。
それが例えば、「男の意地」というものなのだとしたら、ちょっと格好つけすぎじゃないか。
少し痩せた父を見て、そんなことを思った。

父が倒れてから一年が過ぎた今年のお盆。
稚内から札幌へ戻る300キロの道のりを、軽自動車でひた走る。
日が落ちても海の向こうにくっきり見える利尻富士の山影を横目に、昼間の父とのやり取りを思い出していたら、ふと笑いがこみ上げてきた。
去年と同じように、父と母方の祖母と三人で行った隣町の食堂で、父は盛り盛りの天ぷら定食をぺろっと平らげていた。
これなら、まだ当分は大丈夫かもしれない。
「俺払うわ」
「え?」
「俺払うって!」
私が財布から一万円札を取り出してそう告げると、父が制した。
「いや、いい。お前が払って、また心筋梗塞になるといけねえ」

まったく、冗談じゃねえぜハゲ親父ッ!落語の「芝浜」じゃあるまいし!

車はオロロンラインを南下する。
私は、長兄が中学時代に書いた「主張文」のことを考えた。
それで借りを返せるとは到底思えないが、札幌に戻ったら、自分なりに父のことを書いてみようか。
今年も相変わらず、オンボロの浜小屋でコンブを作っている父のことを。

ランダム再生している車内のオーディオからは、いつの間にかさだまさしの『案山子』が流れていた。

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