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サンバとマエバ。

酒の味を知ったのは5歳くらいのときだった。
と書くと誤解を招くおそれがあるが、その頃から日常的に飲んでいた訳ではもちろんない。

小さい頃は毎年大晦日に、家族で寿司を食べながら紅白を観た。
番組が終わって「ゆく年くる年」が始まると、祖父、祖母、兄2人と共に厚手の防寒具を着込む。初詣に出かけるためだ。
初詣と言っても、人が大勢集まるような場所ではない。家から300mくらいの距離にある、この集落のさびれた神社だ。
雪が舞う中、懐中電灯のあかりだけが頼りの真っ暗な道を5人で静かに歩いた。

規模の割には立派すぎる鳥居をくぐって50mほど進んだ先に、小さなお社があった。半分凍りついた扉を開けると、そこにはあらかじめ奉納されていた一升瓶が数本並んでいる。
鈴を鳴らして一年の願いごとを唱えたあと、その一升瓶のうちの1本を開けてお猪口に注ぎ、全員でひと口ずつ飲んだ。防寒具を着込んでいてもなお冷え切ってしまった体に、氷点下でキンキンになった日本酒は、子どもながらに美味く感じた。
この、一年に一度だけ赦された(自分が勝手に赦しただけだが)飲酒により、私の肝臓はアルコールを無尽蔵に受け入れる最強の臓器と化す、わけはなかった。

大酒飲みの多い家系の中で私はとりわけアルコールに弱い。飲み始めてすぐに全身が赤くなる。私が今持っているiPhone SE 2のプロダクトレッドくらい赤くなる。
そして、生ビール中ジョッキで換算すると大体4杯を空けたあたりでキャパシティを超え、戻す。

「戻す」という言い方は下品だ。私の祖父はかつて、成人式で飲みすぎて帰宅と同時に戻している私をじっと見て、

「なんだおめぇ、上げだのが?」

と聞いてきた。
「上げる」。上品な言い回しだ。「下げる」の逆だから「上げる」。それ以来戻すことを「上げる」と表現しようと心に決めた。なんという下品な決意だろうか。

世の中酒にまつわる事件は後を絶たないが、酒が巻き起こす災難を私は大学生活で学んだ。

金沢では6年間学生寮で過ごした。寮生活はこれまで30年余の人生の中で最も濃密な時間だったが、それはまた別の機会に書きたいと思っている。
学生時代の友人は一生モノという。まさしくその通りで、卒業までの数年間を寮でともに過ごした同期たちには、故郷の幼馴染たちとはまた違った愛おしさを抱いている。

Sくんは、そんな寮の同期の中でも特に気の合う親友だ。長野県出身の彼は、私が北海道出身で、しかも故郷が最北の利尻島であることに、出会ったときから関心を持ってくれていた気がする。
愛想がよくリーダーシップもあったから、同期や後輩には常に慕われていた。一方でちょっと抜けた部分もあったりして、それが先輩からも可愛がられる要因だった。私はその様子を傍目で見ながら幾度となくうらやましがったりした。

私は文学部、彼は法学部で、大学での講義は全くかぶらなかったが、同じ準硬式野球部に所属していたから、一緒にいる時間は他の同期に比べて多かった。
通学や部活の行き帰りにはいつも、彼が運転するCR-Vに乗せてもらった。
富山や福井などのちょっとした遠征の帰り道、彼はよく運転中に居眠りをする。「人ってこんなにわかりやすくウトウトするんだ」っていうくらい明らかな居眠りをする。
北陸道は1車線区間が長く、少しでもハンドル操作を誤れば一発アウトだ。彼は知らないかもしれないが、助手席に乗せてもらっている分際で、遠征帰りの私はいつも気が気じゃなかった。彼の黒目が上を向き始めるたび、どうでもいい話題を発して現世に連れ戻した。
今、2人がそれぞれの場所で無事に日々を送れているのは、私のおかげと言っても差し支えないと思う。

寮から歩いて20分ほどの場所に、金沢最大の繁華街、片町がある。居酒屋やスナック、ラウンジなどがひしめくこの街には、代々寮生でアルバイトを回している店がいくつもあった。
私は居酒屋、Sくんは飲食店に野菜を配達するアルバイトをしていた。
バイト先の居酒屋は寮生にも人気で、毎日寮の同期、先輩、後輩の誰かしらが飲みに来る。店長も寮生が来ると喜んで、注文していない料理をサービスしたり、代金を少し安くしたりした。

ある日、野菜配達のアルバイトを終えたSくんが、野球部の後輩を連れて飲みに来た。
私のシフトは店がオープンする18時から日付が変わった午前2時ごろまでだったが、その日Sくんは20時くらいから飲み始め、私が退勤する時間まで滞在した。
彼は私と同じく、そこまで強いわけではない。その日は大酒飲みの後輩に付き合って珍しく深酒したようで、帰る頃にはベロンベロンになっていた。

当時私たちの中で流行っていた曲がある。FNN・FNS系列のテレビ局である、石川テレビマスコットキャラクター「石川さん」のテーマ曲『石川サンバ』だ。まだ幼い店長の娘が「石川さん」をひどく気に入っていたこともあって、店が暇なときには店長が自分の携帯電話でこの曲を流す。
ずっと聴かされているうちに、こちらも自然とリズムや歌詞を覚えてしまうような、中毒性のある曲だった。

ほや、ぞいね 石川サンバ 香林坊でリンボーダンス
ほや、わいね 石川サンバ 今日も元気にあんやとね 
あらまったがんこな髪型やじー とんがり毛先につやつやキューティクル 
正直重たい頭なんやけど いつも笑顔でコパ・カヴァーナ 
あら、どいね、どいね、どいね、どいね! 
あら、いーじ、いーじ、けなるいじ~ Yeah!
 ほや、ぞいね 石川サンバ お米が美味くてすいま千枚田 
ほや、わいね 石川サンバ 今日も元気にあんやとね
石川テレビ公式HPより抜粋

この日はいつになく暇だった。店長が『石川サンバ』を流し続けるもんだから、酔っ払ってご機嫌のSくんにとってこの曲が格好の餌食になってしまった。当然の結果として、彼は後輩とともにエンドレスサンバ状態に入ってしまった。

お互いアルバイトの通勤手段として自転車を使っていたが、泥酔状態の彼が寮まで自転車を漕いで帰るのはあまりに危なっかしいと思った。しかし、

「歩くかタクシーで帰ったら?」

と勧めても、

「どいね、どいね、どいね、どいね!」

と言って聞かない。それどころか超ハイテンションの彼は、荷台に後輩を乗せて漕いでいくと言い出した。もう好きにさせることにした。普段頼りになる友人が完全に壊れていく様を見るのが、実は私も楽しかったのだ。

寮までの道のりは、遠征帰りのCR-Vの車中くらい気が気じゃなかった。後ろに後輩を乗せたまま立ち漕ぎしながら、Sくんはずっと熱唱している。その上、たまに勢いに任せて歩道から車道に飛び出すから、シラフのこちらはひどく慌てる。

「おい、まじで危ないから!」

「こーりんぼーでリンボーダンス〜!」

もう知らん。構わず彼らの先を進むことにした。

大きな通りから左手の細い道に入って坂道を登れば、寮は目の前だ。

「お米が美味くてすいませんまいだ〜!」

(ふぅ、なんとか無事に着いた…)

「ほや、わいね〜!」

(しっかしあいつ、やべぇな…)

「石川サンバ〜!今日も元気にあんや」

ドゴッッッッ!!

「トネッッ!!!」

暗闇の中で、ものすごい音がしたのと同時に聞いたことのない断末魔が響いた。
急に『石川サンバ』が止まったので坂の下を振り返ると、電信柱の前で自転車とSくんと後輩が並んで倒れている。急いで引き返し様子をうかがった。

「痛った〜っ!」

(良かった、2人とも死んでなかった)

「マジびびった!一気に酔い覚めたわ」

(…ん?あれ…?)

「志昇、俺血とか出てない?」

「いや、血は出てないけど…お前…」

「えっ?」

「前歯なくなってるぞ」

「えっ?」

不謹慎だけど、このとき多分一生のうち20年分は笑ったと思う。
Sくんはサンバを熱唱しながら電信柱に自転車ごと衝突し、マエバを欠いた。
酒のせいで赤かった顔はみるみる白くなっていった。激しく動揺しながら、

「どこ!?歯どこいった!?歯!!」

と暗闇の中で四つん這いになり、必死に吹っ飛んだ前歯の下半分を探している。
破片は奇跡的に発見された。すっかり酔いが覚めたものの、すでに別の意味で冷静さを失った彼は、かつて自分の一部だった小さなモノを握りしめて寮まで爆走した。

折れた歯は、保存状態によっては元に戻せることもあるらしい。そのためには乾燥しないよう、牛乳に浸けておくのが望ましいそうだ。
彼はどこで学んだのかそのことを知っていた。寮の玄関に設置された自動販売機で牛乳を買って紙コップに注ぎ、破片をその中に投入した後、安心したのか気絶するように眠った。

翌日、冷静になったSくんを見て、笑いを堪えるのに苦労した。
昨晩はアルコールと興奮のせいで麻痺していた全身の痛みに顔を歪め、すっかり意気消沈している彼をここでイジってしまえば、一生私に心を閉ざしてしまう気がしたからだ。

数日後、幸い彼の歯はきれいに元通りになった。もしも吹っ飛んだ歯が見つからなかったら?牛乳に浸けておくことを知らなかったら?考えるだけで恐怖と、それ以上に笑いがこみ上げてくる。もしかしたら私はとても薄情な人間なのかもしれない。
酒は怖い。『石川サンバ』も怖い。彼も私も、そのことを身を以て知る出来事だった。

昨年の暮れ、Sくんが出張で札幌まで来たついでに、2人で久々に飲んだ。気持ちいいくらい優しくて頼りがいのある様子は、昔とちっとも変わらなかったけれど、もちろんお互い当時のようなバカな飲み方はしない。

後日、今度noteにこのエピソードを書いてもいいかとLINEしたら、すぐに

「存分に使ってください」

と返事が返ってきた。
ありがとう。存分に使わせてもらったよ。どうか怒らないでおくれ。

今年の春、彼には第2子が誕生するらしい。きっと奥さんや子どもたちからも慕われる優しい夫であり、父親なんだろうな。

そんなことを考えながら、今日は珍しく家で酒を飲んでいる。

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