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満たされる基準

朝起きて、満たされていない気分だった。
満たされていないこともないはずなのに、むしろ割りと満たされているような生活を送っている気はするのに、どうしてか満たされていなかった。

不幸せな気分とはまたちがう。ただなんかぽかんと穴が開いているような。
原因は見当たらないけど、したいこともいっぱいあるけど、何もしたくなかった。今日1日を充実させようと思えば思うほど、それはなんだか遠ざかっていくような感じがした。

ひとまず洗濯機をまわした。とりあえずセッティングさえすれば勝手にまわってくれるし、人の時間を邪魔しないので洗濯の時間は割りと好きだ。なんだか清らかになっていく気もするし。気持ちがいいしね。

いつもは洗濯機をまわしながら何かをするんだけど、今日はそんな気分にならなかった。ソファーに座って、頭をもたれかけてボーッとした。ガランガランごろんごろんと洗濯物がまわる音が少し遠くに聞こえながら、部屋の中に群がる大きな植物の葉っぱたちが揺れるのをじっと見ていた。冷房の風に吹かれて、ゆらゆらしている。

何かをしようと思えば思うほど、充実させようと思えば思うほど、時間との戦いになってイヤだった。今はまだ朝の7時だけど、あっという間に12時になるんだ。私は朝の5時くらいから11時になる前までの時間が好きだ。だから何かを考えすぎて、その時間がムダになるのが本当にイヤなのだ。

このよく分からない気分を払拭するためには、朝ごはんを食べながら映画を観るしかないと思った。ホットケーキを食べたいと思ったけど家に粉がなくて、近くのセブンで買った。牛乳も。大きいペットボトルのアイスコーヒーも買った。

ホットケーキの粉、卵と牛乳をまぜて、ゆっくりじんわり焼いた。いい形、いい色。上手にできた。ソファに座ってまずはひと口。この甘いバランスとアイスコーヒーブラックのキリッとした感じを交互に味わうのが幸せの印。

なのに、どうして間違ったかなー。ブラックじゃなくて”甘さ控えめ”を買ってしまっていた。口に含んで初めて気がついた。あーあ、と思いながらホットコーヒーを淹れた。

映画選びがとても重要になるぞと思った。アマプラのウォッチリストをスクロールしながら気になるものを探した。ウォッチリストなのにどうでもいいようなものばかり入っていてピンとこない。と、そのとき目にとまったものがあった。これだ、と思った。

『星の旅人たち』
私はいつだったか、この映画を見たことがある。アマプラとかではなくて、DVDだったような気がする。とてもいい映画だ。私がスペインを歩くよりももっと前に見ていたので、もちろん感銘は受けていたものの、詳細なシーンは忘れていた。

カミーノを歩くと決め、スペインへ旅立つころにはあえて見なかった。事前にいろんなことを知りたくないと思っていたから(街並みとか雰囲気とか)。そして、今日、スペインを歩いて5年経った今、この映画を見ようと思った。なんか今日みたいな気分のときにいいんじゃないかと、ピンときたから。

私は映画が始まってそんなに経たないうちに、涙を流してしまった。それから、度々、何かのシーンに触れるたびに涙が流れた。単純に親子の愛情(この映画は父と息子の話)に涙してしまったような気もするし、自分がスペインにいたころを思い出して、琴音に触れたような気もする。

最近私は外国の、”私の知っている外国”の姿を目にすると、少しだけうるっといてしまう節がある。過去に置いてきた輝きみたいなものが、懐かしかったり、羨ましかったりして、”私自身”の”真実”の輝きも、遠い過去の記憶のように感じてしまう瞬間があるから。

今の私はつまんない。そういうわけではないけれど、あのころのものとは別のものになっていて悲しいとときどき思う。あのころになかった違うカタチのものがたくさんあるのに、それでもあのころの、旅をしているときの自分だけは、どうしても過去のものにしたくないのだと思う。その象徴はきっと、自由だとか、強さだとか、冒険だとか、その類いのもののような気がする。

自分の強さは、自分が一番知っている。
満ち足りないのはきっと、その部分を自分で感じられる機会が減ってるからではないかと思った(旅に限らず)。
そんなことを思いながら、私は「甘さ控えめ」のコーヒーをしぶしぶ口に運んだ。
うーん、やっぱりここはブラックでしょ。
強めにいきたいよね。

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