悪霊の話
映画の専門学校に進学する前、僕は毎日毎日退屈していた。
田舎での生活は退屈で、僕はそれに嫌気が差していた。
映画や小説の勉強がしたいと専門学校への進学を頼んだ時、両親は最初NGを出した。だが僕の熱意に押されたのか、その内OKを出した。
住むところは学生寮に決まり、仲の良い友人にも恵まれた。
都会での生活は色々と大変だったが、それでも充実した毎日を送っていた。
「ホラーものやりたい」
僕が言うと目の前の友人たちは苦い顔をした。
「ホラーもの、ねえ」
そう言ったのは友人のKだった。
「なんかしんたの言うホラーってゾンビってイメージ」
「でもそれで卒業制作、通るの?」
こう言ったのは友人のAだ。
「通るかどうかはわからない」
僕は胸を張って言った。
「ただやってみる価値はある」
AとKが顔を見合わせる。
「それで、どんなものを登場させるの? クリーチャー? ゾンビ?」
「いやあ、そこまで考えてないんだよね。登場させるなら悪霊、かな」
「それならさ」とKが言う。「ぐっと強い奴がいいよね。神社吹き飛ばせるぐらいの強いお化け」
僕はそれを訊いて鼻で笑った。
「そんな強い悪霊いるわけ……」
そこまで言った時だった。
背後から「おおおおお……」という声が聞こえた。
僕の背後は壁だったから、隣の部屋の人がふざけているのかな、ぐらいの気持ちでいた。
だが次の瞬間、後頭部をガッと掴まれた。
目の前のKとAは顔を真っ青にして僕の方を、否、僕の背後を見ていた。
やがて、
「やめろ、しんたを離せ!」
「お前なんか呼んでないぞ!」
「おおおおお」
二人は背後に向かって怒鳴り続けた。
やがて十分ほど経った時だろうか、やっと僕の頭は解放された。
「なあ、何があった?」
Aは顔を真っ青にしており、口をきけそうにない。代わりにKがこう言った。
「お前の後ろに真っ黒焦げに焼けた女がいた」
何かヤバいんじゃないか、という事で僕は同じ学生寮に住んでいるNの部屋に向かった。彼は神社の長男でもあるのだ。
事情を説明するとNはすぐ実家に電話してくれた。そして翌日、お祓いを受ける事になった。
Nの実家に行くと僕はNの父親、つまり神主に改めて事情を説明した。「あのね、ホラーとかそういう話はお化け集まりやすいから気をつけないと。若いからやりたい事に情熱を向けるのは結構なんだけどね」
うんぬんかんぬん。
そしてお祓いを終えた僕は日常に戻った。
――はずだった。
翌日、朝食を摂っていると
「しんたくんやりますね」
食堂で後輩のH君が声をかけてきた。
「ん? どういう事?」
「またまたごまかしちゃって。昨日見ましたよ」
彼はにこやかに笑いながら、
「しんたくんの部屋に女の人が入っていくところ」
一緒にいたAとKがH君の顔を凝視する。
「なあそれ……」
「髪の長い女だったか?」
「なんだ。二人とも知り合いなんですか。寮長には内緒にしときますけど、合コンセッティングしてくださいよー」
僕ら三人は顔を見合わせた。
食事を終えるとAとKが一緒に部屋までついてきてくれた。
ドアを開ける。
そこには何もなかった。
「なんだ、何もねえじゃん」
僕がつぶやく。
「学校、行けるか?」
Aが訊いてきた。
「何とか」
僕はそう言ってワードローブクローゼットを開けた。
瞬間、息を呑んだ。
そこには目玉がプカプカと浮かんでいたのだ。
僕は再び、Nの部屋に向かった。
Nはため息をつくと再び実家に電話した。
翌日、神社に向かうと神主に、
「また君か!」
と呆れた顔をされた。同じ話もまたされた。
お祓いが始まる。
十分ほどしたところで僕は、ぎゃああ、と悲鳴をあげた。右手の親指の付け根が誰かに捻られたように痛んだのだ。
それでも何とかお祓いは終わった。
「あのさ、君」
神主は言いづらそうにしている。
「よっぽど気に入られたみたいよ。その人に」
それ以来、僕は親指の付け根の痛みと付き合い続けている。
どんな時に痛むかって?
怖い話をして心底怖い想いをした時、死ぬほど怖い映画を観た時、かな。
悪霊も怖がるのか、それともそうやって自分の存在を主張しているのか。その辺はわからない。
だがそれ以上害はないからそのままにしている。
そうそう、あの寮で一緒に過ごした仲間たちは今も元気にやっている。Aは美人の奥さんをもらったし、Kは会社員、Nは占い師として活躍している。
僕はと言えば相変わらずだ。こうして小説や映画、小説のレビューを書いてはネットにアップしている。
それでも時折、やっぱり親指の付け根が痛む時、あの日の事を思い出す。
そして、自分が死んだ時の事を考える。
あの女はその時をずっと待っているんじゃないかと。
何十年も。
神主とした会話を思い出す。
「あの、僕が仮にですよ、死んだらその女はどうするんでしょう?」
「さあねえ」
神主は肩をすくめた。
「……連れて行かれるんでしょうか?」
「どこに?」
「あの……地獄とか……」
「そりゃ、死んでみないとわからないよね」
その台詞を聞いた瞬間、僕はうなだれていた。
そして親指の付け根に痛みを感じていた。
了
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