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炒り卵

 ふとした拍子に、ごく幼いころ食卓に上がっていた「炒り玉子」という料理の事を思い出した。

 まだ、幼児の頃、わりと頻回にこの料理は食卓にあった。
昭和の香りのするこの料理、最後に食べたのは、私が8歳か、10歳くらいの頃だったと思う。
 久しぶりに 思い出したように 炒り玉子 をこしらえた母が、
「お母さん、これ、好きなんだよね…しみじみした味わいがあるでしょ?」と私に問い、「わたし、これ あんまり好きじゃない…玉子焼きの方が好き。」と答え、母がちょっと淋しそうに笑って、それきり、この料理が食卓に上ることはなくなった。

子どもの口には、ぽそぽそした玉子の食感が ‟美味しい”とは感じられなかった。具材も、見た目も、味付けも、何もかも 地味 で、パッとしない。
それに比べると 母の甘い玉子焼きは うきうきとするような華があった。
 かなり、甘めの味付けだったが、いつも絶妙な塩加減でピッとしまったところがあり、酒塩も香りを添えていた。中心を半熟に巻いているので、かぶりつくとトロッとあまい玉子が口に溶け出す。外側のしっかり焼けた玉子は油が馴染んで、いい香りがした。
 玉子焼きに軍配が上がるのは 当然の事に思えた。

 そのまま、食卓に上らなくなったことにさえ 気付かずに忘れてしまっていた「炒り玉子」。
 思い出したら、気になりだして、「具材はなんだったっけ?」「味はどんなだったっけ?」と思い出そうとするのだが、味を思い出せない。
 母に聞いてみようかとも思ったが、この母、若い頃から とにかく人にものを教えるのが下手な人で、娘時代に 母に教わるのは断念した。今は90歳という年齢でもあり、もう、自分の料理も覚えていないかもしれない。

 具材で思い出せたのは、干し椎茸と、かまぼこと、豚肉。干しエビが入っていたような、いないような・・・多分入ってなかった。
 気になるので 作ってみる事にした。

具材を 小さく切りそろえ、長ネギの青いところも加えてみた。
フライパンを火にかけたところで、母の言葉を思い出した。

 まだ、包丁も握ったことが無く、火前にも立ったことのない私に言っていたのか、誰ともなく独り言のように言っていたのか定かではないが
「具材は一つ一つしっかり炒める。汁気を飛ばしてパラパラになるまで。それより前に玉子を入れてはだめ。最後に玉子を入れて、しっかり炒める。玉子が締まって、油が滲みだすまでしっかりと」

おお、そうだった。先に具材をパラパラになるまで、だったね。そして、玉子は締まって油が滲みだすまで、だったね。

なんだ、聞いていたんじゃないか、と思いながら、料理を続ける。

味付けは、塩と酒と薄口しょうゆ。
いつもの癖で 具材を炒める時に白湯の素を入れそうになって、
「ダメダメ、今日はそういうコンセプトじゃないから…」と独り言。


出来上がった「炒り玉子」はしみじみとした味わいだった。
あと一味足りないのは、多分ごま油だろう。
それと、記憶の中の母の「炒り玉子」は もっと玉子の粒が大きかった。
焦がしそうでやたら掻き回したから、粒が小さくなってしまった。玉子に完全に火が入ったら、母が言う通り、玉子から油が染みだしてきて、くっつかなくなったので、途中で掻き回すのを、少し我慢してみよう。

玉子、と言う食材はとてもおもしろい。
白身、と黄身、という、味も 性質も全く違う素材が同居している、という点だけでもかなりユニークだ。しかも液状だから、混ぜ合わせたり、泡立てたりと、扱いのバリエーションも豊富だ。熱性変化も繊細で多彩。
 昨今巷では卵料理といえば「フワッ」「トロッ」一辺倒にも見えるが、
玉子の持つポテンシャルはその範囲にとどまらない。
 西洋料理の世界では、「料理人の修行は、玉子料理に始まり、玉子料理に終わる」という言葉もあると聞く。
 日本では、江戸時代に「万法料理秘密箱 卵百珍」という本が出版され
人気を博したという。百種類の玉子料理を紹介した本だ。


 思い出の味を辿って、ノスタルジーに浸ろうか、などと思っていたのが、
幼い思い込みで、止まったままになっていた自分の味覚に気付かされる結果になった。
 私のテキトー料理では、母の味の再現でも、難しいかもしれないが、
「試してみたいこと」が新たに増えるのは、大歓迎だ。


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