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海外観光客向け〈オルタナティヴ・ニッポン〉都道府県観光ガイド(第十六回)

世界の皆さんこんにちは。私はニッポン在住の旅行ライター、日比野 心労です。
今回は昔話からお読みください。

昔むかし。貧駄国(ひだのくに)という貧しい国があったそうな。畑も田んぼも実りは少なく、川の魚は小魚ばかり。山も痩せた木ばかりで、そこに住む人はみんな困っておった。
ある日、そこで暮らす女の子が、国を治める殿様に言ったそうな。「とのさま、とのさまの蔵にある米を、わたしにも分けてくださいな。」
殿様はケチで有名で、大きな蔵にたいそうたくさん米を貯め込んでおった。渋る殿様に女の子はこう言った。
「心配いりません。たった一粒のお米でいいんです。そのかわり、今日は一粒、明日は二粒、あさっては四粒と、1日ごとに倍の数のお米を100日分くださいな。」
なんじゃ、そんなことなら構わんわい、と、殿様はその子の手にたった一粒のお米を放り投げたそうじゃ。
さて翌日。殿様の元へまた女の子がやってきた。殿様は、ふん。と鼻を鳴らすと、二粒のお米をその子の手に放ったそうじゃ。
その翌日、そのまた翌日と、女の子は毎日毎日やってきた。その度に四粒、八粒と米を渡した殿様は、だんだん気味が悪くなってきた。十日が過ぎ、二十日が過ぎた頃、大変なことに気付いた殿様は女の子を門前で追い払ったそうな。ところが不思議なことに、蔵の中のお米は倍、そのまた倍と減っていく。そしてついに三十日を過ぎた頃、とうとう蔵のお米の半分が無くなってしもうた。
殿様は女の子を呼び出して平謝りし、これからは国の民に獲れたお米を十分に分け与えるように約束したその途端、目の前に煙が立ち昇り、その子は消えてしまったんじゃと。
それからというもの、田畑に作物は良く実り、魚も木もよくふとり、貧駄国はニッポンでもいちばん豊かな国になったそうじゃ。そして肥田国(ひだのくに)と名前を変えて、そこに住む人以外にも、肥田国に訪れる人みんなにたんと食べ物を持たせてやれる国になったそうな。
これでちょっきりきのこわし。
gift県に伝わる民話「米のとのさま」より

今回は、この昔話の精神が現代でも息づく「gift県」の観光についてご紹介と注意点を記していきます。

第十六回 gift県[ぎふとけん]
(観光難易度:3【やや難】)

・gift県の名称の由来

まず読者の皆様におかれては、いささか奇妙なこの県名について説明しておかねばなりません。英語+漢字表記のこの県は、その成り立ちにおいて米国人宣教師の働きがあったことは特筆すべき事でしょう。
ニッポンの封建国家制度が終わりを告げたメイジ時代において、肥田藩(肥田国)は他藩にならい、旧来の藩名を改定することにしました。そこへ使節兼行政指導にやってきた米国人宣教師のセディ・リー・セマイナーが視察に訪れた結果、この表記以外には有り得ない、とするセマイナーがこの県名を贈ったのです。
お世話になったセマイナーに持たせた数々の土産物へのお礼として彼女から贈られた名前に対し、旧肥田藩の重鎮たちは喜ぶと共に恐れ慄きました。このままではニッポンが、世界が、いや宇宙ですらが破滅を迎えてしまう、と。
考えに窮した旧肥田藩の重鎮たちは、セマイナーを幽閉し、事故死と偽って彼女を闇に葬りました(現在では、この事件を悼む石碑が県庁所在地であるgift市に残っています)。
その結果、gift県は現在のようにニッポンを観光する客にとっての最終目的地としての地位を獲得できたのです。

・ニッポン観光における〆、gift県

さまざまな土地を訪れ、さまざまな人とふれあい、神秘的な景観を見て不可思議な体験をし、さて帰国しよう。と思った読者の皆様、なにか一つお忘れではありませんか。
そう、ニッポンの誇るおもてなしのひとつ「おみやげ」を買って帰る事。それこそがニッポン旅行におけるクライマックスにあたります。
これまでの観光ガイドにおいて私はおみやげについてあまり触れてはきませんでしたが、それには理由があります。ここgift県では、観光客に対して全ての土産物が無料で提供されます。その種類と品質は他県のそれを遥かに凌ぎ、gift県で手に入らないニッポン土産は無いとまで言い切る旅行者も少なくはありません。
これはgift県における長い歴史の中で育まれた伝統的な風習で、先の昔話の成立と前後して、こうした贈与文化が発達してきたことが近年の調査で明らかになっています。おそらく、前述のセマイナーもこのような慣例・風習の恩恵を身をもって味わったからこそ、gift(贈与)県という名称が閃いたのでしょう。

gift県はかなり広い面積の県であり、その土地それぞれにさまざまな土産物が存在します。それでは、各エリアごとにおススメの土産物をご紹介していきましょう。

・メインエリア「gift市周辺」
ここはgift県の中でも政治経済の中心であり、ニッポン中央・地方との交流が盛んな地でもあります。そのためか、gift県地場の土産物というよりもニッポン全国のおみやげ集中する都市であり、良く言えばバラエティに富み、悪くいえば現地感の無い土産物が多く手に入ります。北は極大道の極上スイーツから南は竜宮県の泡盛まで、全国各社の土産物製造業者がそれぞれ工場を持ち、ここgift県で製造と無償供与を行なっています。また、ここでしか手に入らない各地の限定土産も数多く提供されており、幅広いニーズに応えた巨大土産物店が軒を連ねる柳ヶ淵商店街もこの市に存在します。

・東エリア
諏訪神県に隣接したこの地方では、山の恵みを使った菓子が有名です。景観が有名な「エエなぁ峡」近辺では、栗の実をすり潰し、人間の頭部大に巾着形で固めた「メガ栗きんとん」(略してメガトン)が世界中のフードファイターに人気を博しています。

・北エリア
楯山県境に近い肥田貴山(ひだたかやま)エリアでは、安産や良縁、子供の成長や無病息災などを願うお守り「サルボーボ・ボーボボ」という毛むくじゃらの人形が評判高い土産物です。ニューヨークセレブの間では、この人形の手足を腕に巻き付けてナイトパーティを繰り広げるのがブームになっているそうです。

・中央エリア
このエリアは工業製品が特に有名です。正気市(せいきし)の刃物(切れ味は鋭いですが取り扱いを間違えると正気を失います)や美意夢市(みいむし)の陶器(ミーム焼きとして知られるこの陶器を使用して飲食すると、無自覚に言葉や画像に対する認識が変わってしまうことがあります)などが、贈り物として喜ばれています。

・西エリア
「関ガッ原」
という、ニッポンの戦乱時代おける激戦地のあるこのエリアでは、現代においてもなお当時の甲冑や武器が大量に発掘されています。この地方の土産物屋は県の許可を得てそれらを発掘、修繕し、観光客に提供しています。
なお、ごくたまに当時の武者の怨霊が取り憑いている武具甲冑もあるそうですので、土産物の吟味の際はご注意をお願いいたします。

如何でしたでしょうか?それこそ此処には書き切れない程の土産物が、まだまだgift県には存在します。皆さんはそれらを一切の金銭の支払い無く、希望するだけ手に入れることができます。また、荷物がかさばるご心配も不要です。ご要望があれば、現地で入手した土産物は、gift県の誇る工業力を結集して造られた空間転送ポータルゲートを通じて皆様のご自宅に即座に転送されます。
このように、ニッポン旅行の大きな魅力のひとつである「おみやげを買う」という行為がタダで行なえる、観光客にとっては夢のようなシステムがgift県の最大の魅力ではありますが、そこには一点だけ条件が付けられます。それは、「土産物には絶対に対価を支払わない」というものです。この条件を守らなければ、ニッポンが、世界が、いや宇宙ですらが破滅を迎えてしまうのです。

・gift県に掛けられた制約について【具体例】

例を挙げましょう。あなたはエエなぁ峡でメガ栗きんとん一個を土産物として持って帰ろうと考えます。律儀なあなたは無料で提供されるメガ栗きんとんに心苦しさを感じ、店員には内緒でこっそりとチップを置いて店を去ります。「ありがとうございました」のメモと一緒に置かれたチップを見て店員は恐怖します。店員は追いかけようにもあなたは既に去ったあと。品物も転送を完了してしまい、取り戻す術はありません。
あなたは翌日、自宅へ帰ります、リビングを見ると昨日貰った(正確に言えば、チップやありがとうの言葉と引き換えに入手した)メガ栗きんとんの包みが「二個」、テーブルの上に置かれています。あれ、数を間違ったかな、とあなたは訝しみますが、気にせずビッグな栗きんとんをひとつ、平らげます。そして残ったあとひとつの栗きんとんをキッチンの戸棚にしまいながらその存在を忘れてしまいます。
4日後の朝。あなたはキッチンから聞こえたガラスの割れるような音で目覚めます。駆けつけたあなたが見たものは、バラバラになったキッチンの戸棚と、床に転がる16個ものメガ栗きんとん。何が起こったかわからないあなたは、ガラスまみれのメガ栗きんとんと戸棚の破片をポリ袋に入れて捨ててしまうことにします。直径約30cmのメガ栗きんとん16個の入ったポリ袋はパンパンです。燃えるゴミの回収日は3日後の朝。あなたは仕事で一泊二日の出張に行くために家を出ます。ポリ袋は玄関先に置かれたままです。
そして2日後。出張先から帰ってきたあなたは玄関を開けます。と同時にポリ袋を破った65,536個のメガ栗きんとんがあなたを襲います。パニックに陥ったあなたはゴミ回収業者に依頼してそれらを回収してもらおうとします。スケジュールの都合上業者が来るのは明日。仕方なくあなたはメガ栗きんとんを家に押し込み、六万五千個以上もの栗きんとんと一夜を明かすことになります。
翌日。42億9千4百96万7296個のメガ栗きんとんに、ニッポンは埋め尽くされます。もちろんあなたはその中心部で圧殺され短い生涯を終えています。
翌日。1,849億個オーバー。もはやメガ栗きんとんの数は人類の総数を遥かに超えています。
翌日。341兆個オーバー。地球全体がメガ栗きんとんの層の下に埋もれます。
翌日。翌日。翌日……と、最終的には太陽系・銀河系はおろか、深宇宙やその先の宇宙までもがメガ栗きんとんで覆い尽くされてしまいました。ゲームオーバーです。

・gift県に掛けられた制約について【解説】

さてここで冒頭に挙げた昔話を思い出してください。あのお話では単純に2倍、2倍と米が増えるケースでしたが、あのお話で女の子に化身していたgift県の神様(?)は、サービス精神が過剰すぎるのか、贈り物へ対価を受けた場合はその物品数の2乗で同じ物品のオマケを付けてきます。(これはあくまで初期段階の実例から導き出した仮定の計算です。実際にはこのような事態に至る前に返品したり、対価を取り消したりすることで「オマケ」は止まるそうです。)
gift県の神様の 迷惑なことこの上ない 有り余るサービス精神はgift県そのものも対象としています。gift県で収穫した作物、製品の原材料は、収穫もしくは取得したその日のうちに製品へと加工し、消費してしまわなくてはなりません。さもなければ倉庫などに貯蔵した原材料は数日のうちに膨れ上がりニッポン全土を覆い尽くしてしまうでしょう。そのためかgift県の産業においては徹底した生産調整と在庫管理が為されており、文字通り米の一粒ですら翌日に残さない生産体制が敷かれています。
なお、禁じられた贈り物への対価は金銭だけに留まりません。前述のセマイナーの「名前を贈る」などの非物質の返礼や、例に挙げた「ありがとうございました」の意思表示なども対価に当たります。ですのでgift県では他県で見られるような、豊穣をもたらしてくれた神に感謝する収穫の祭の類いは全く見られません。むしろこの特性は、神から一方的に贈られた厄介なギフトとでも認識できるものではないでしょうか。

以上のことから、gift県に観光に訪れた皆様は、お土産品を手に入れるときは金銭を支払わず、感謝の辞も述べず、ただ黙って無言のうちにその店舗から去ってください。さもなければ最終的に宇宙が破滅を迎える程の災厄に見舞われることでしょう。

・おわりに

このように豊かな恩恵が厳しすぎる制約の上に成り立っているgift県ですが、それは我々観光客という部外者視点から見た場合のものであって、実際にそこで暮らすgift県民は至って平静にその制約と恩恵を受け入れています。
というのも、gift県では「私有」という概念が長い歴史の中で消え去り、衣食住やサービス、文化芸術に至るまで全てのプロダクトや行為は「共有」されています。共有であるが故に県民同士での贈与関係は成立しづらく、課せられた制約を自然と回避しながら、県民は日々の生活を送っているのです。
故に、「高度な」原始共産制社会が形成されている特異な県として、近年は社会学分野から研究対象として注目されていますが、当人たちにとってはそれを「評価」の対象から除外し、自分たちを「研究」だけの目的で利用するよう研究者に主張しています。あくまでも事実を与え、それに対する保護や是正は一切求めないというgift県のスタンスは、ある種の高潔さを表しているような気がしてなりません。

以上のようにgift県は(ほぼ全ての)経済活動を自県内で完結させており、外部に向けては「贈与」という形でしか接点を持ってはいません。かと言って閉鎖的な性格を持った県民は寧ろ稀で、多くの県民は旅行者に対してとても好意的かつ親切に対応してくれます。
そのおもてなしに対して礼すら言えないのは旅行者として心苦しいばかりですが、皆さんはその分、心の中で厚くお礼を述べておいてください。モノでもカネでも言葉でもないお返しは、きっとgift県民が唯一受け取れるあなたからのギフトなのかもしれませんから。

(第十六回 おわり)

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