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海外観光客向け〈オルタナティヴ・ニッポン〉都道府県観光ガイド(特別回)

世界の皆さんこんにちは。私はニッポン在住の旅行ライター、日比野 心労です。

特別回と銘打った今回は、以前ご紹介しました某県(リンク先あり)の北地域について、食に関する興味深い取り組みが行われている事例をご紹介しようと思います。
なお、ご訪問の際は先に挙げましたリンク先から某県についての諸注意を十分にご理解された上で、各自の責任において旅行を楽しまれることを推奨致します。また、目的県の名称については某県に統一させていただき、各地域の名称はあくまでも仮称とさせていただくことをご了承ください。全ては秘匿されなければなりませんので。

県北グルメ浪漫紀行

1:村神市

 某県の最北端に位置する村神市。山gate県と隣接するこの市は鮭で有名な地ではありますが、もう一つ、県内外に誇れるブランドが存在します。「村神牛」と呼ばれるブランド肉牛がそれですが、ニッポン国内において高い評価を得ているこのブランド肉牛、近年の海外でのニッポン肉牛人気の高まりを受け、海外向けに村神牛アレンジレシピを考案しようというプロジェクトが最近になって発足しました。
 たまたま、某県からの赦しを得て帰郷を果たせた私は、普段行き慣れていない県北地方の取材を、このプロジェクトを追うところからスタートしてみようと思い付き現地に通りがかったのですが……

「すみませーん。係の方いらっしゃいませんかー」
 私は会場である牧場の厩舎の隣にあるプレハブの施設に入口で担当の人を呼びました。何回か『はーい』という声は聞こえるものの人影は見えません。殺風景な施設のホールには、おそらく来場者に見本として見せられているのであろう牛が1頭、こちらを向きながらもしゃもしゃと口を動かしています。
 私は思わず入口に立てかけられた看板を見直しました。「村神牛アレンジレシピ発表会場」。うん、ここが会場で合っている。
「すみません、取材の申し込みをしました日比野ですが、どなたか……」
「さっきからいますよ。入ってきてください。」
 多少イラついたような声が聞こえてきます。私は、あっハイすみません、と入口を抜け、会場となるホールへ入りました。
 イベント自体の開始時間まではまだかなりの時間がありましたが、ホールの中にはキッチン台がひとセット、観客席、カメラ機材などが既に設置されており、誰もいないホール内では1頭の牛がウロウロとうろつくだけで、主催者もスタッフも姿が見えません。
「おかしいな、時間を間違えたかな。」
 私はホール内の時計を見ますが約束の時間であることは間違いありません。首を傾げる私でしたが、不意に肩をチョンと叩かれ話しかけられました。
「お時間通りです。初めまして、お電話頂きました村上太郎です。日比野さんでいらっしゃいますか。」
 嫌な予感がして振り向いた私でしたが、そこには牛が一頭、つぶらな瞳で私を見つめるばかり。
「……リモートかな。はい。日比野ですが、村上さんはどちらにいらっしゃいます?」
 私はホールにあったカメラ機材の前に行こうと動き出しますが、ジャケットの裾をその牛に咥えられて引き止められました。
「なんだ牛くん、ちょっと離してもらえないかな……僕はいま担当者の方とお話しを」
「ですから私が担当者の村上です。」
 牛は咥えていた裾を離しました。その方向から男性の声が聞こえます。私はすたすたと奥の方を見に歩きました。
「おかしいな。マイクとかスピーカーは見当たらないのに声が」
「まだ気づかないのですか。これだから人間は。」
 先程の声がして振り返りますがそこにはやはり牛が一頭。私は気味が悪くなってきました。これはまさか……
「紹介が遅れました。私、牛の村上太郎です。」
 嫌な予感が当たりました。
 私は帰りたくなってきました。

「というわけで、本日の企画運営を担当します村上太郎です。」
 目の前の牛……村上太郎氏はモゴモゴと口を動かしながら話しかけてきます。あ、ゲップした。私は身を引きながら太郎氏に問いかけます。
「あの、ひとつ良いでしょうか。牛肉料理レシピ、と銘打たれてますが、あの、その、これって共食ぃ…」
「何を仰っているんですか。共食いなどする訳がありません。不謹慎ですね。あなたカニバリストですか。あなただって人間肉料理なんてしないでしょう。違いますか?」
 涎を垂らしながらそう捲し立てる太郎氏に何か釈然としないものを感じながら、私は、はあ、と気の抜けたような返事をしました。
「私はいわゆる『目覚めた』牛です。」
 何から目覚めたのかいまいちよくわかりませんが、私は彼?の話を聞くことにしました。
「ニッポンにおける某県の肉牛研究技術の粋を集め、私は上級知性を持った牛としてこの世に生まれ出でました。肉牛の身体とコンディション、熟成具合がいちばん分かるのはやはり牛です。人間なんぞが分かったような気になって、やれ熟成だやれ霜降りだと騒ぎ立てる昨今の風潮に私は異議を唱えたい。そんな中、目覚めた牛である私は人間どもに真の肉牛の美味さを味あわせるべく、この企画を県に通したのです。」
 何やら一等見下されている感がありますが、私は努めてその違和感を押し殺してふむふむと頷きながら彼?のご高説を賜ります。太郎氏はまた大きなゲップをひとつ垂れ流しました。
「いまいちご理解が難しいとは思いますので、取材に際して、日比野さんにはイベントで提供する料理の試食をお願いしようと思います。あなた、エプロンなんかは持ってきて頂けましたか?」
 エプロン?と訝しんだ私が首を横に振ると、太郎氏はチッ、と舌打ちしました。どうやって牛が舌打ちするかは分かりませんが。
「まあいいでしょう。調理の手順は私が指示しますので、日比野さんはキッチンに立って実際に調理をしていただきます。使用する食材と肉は冷蔵庫に入っています。まず最初の料理を指示しますので中の食材を出しなさい。」
「えっ私が調理をするんですか」
「当たり前じゃないですか。蹄の足でどう調理を行えと?」
「はぁ」
 何かこう……呼ばれておいて釈然としませんが、とりあえず私は指示に従うことにし、冷蔵庫のドアを開けました。野菜、調味料、牛肉……肉?
「村上さん、これは、」
「村神牛の肉です。恭しく取り出しなさい。」
 太郎氏の澄んだ瞳が私を見つめます。聖性すら感じるようなその瞳の力に気圧されながら、私は金属のプレートに載せられたひと塊の肉塊……を冷蔵庫から取り出しました。
真球に近いその肉塊?は絶えず収縮と拡張を繰り返しながらもその体積は均一で、表面を認識すると同時に内部の全ても認識できます。キッチンの照明に照らされた肉?の表面は艶のある照り具合を見せながら、内部のサシや筋繊維もまた視界に入ってくるのです。また、総体としての肉?を認識しつつも、それがひとつひとつの細胞の集合体であることも同時に認識でき、その肉塊?の構成する物質、栄養素、味、香り、食感、温度までもが既知のものとして視覚情報以上のものを私に与えてくれています。
「村上、さん、こ れは?」
「村神牛です。現界するにあたっては解像度を下げているため、さしずめ……高次元牛肉とでも呼びなさい。」
 私は見ているだけでその【高次元牛肉】を完全に理解しました。私の脳に、この肉を過去に食べたことがありまた未来にも食べることになるという膨大な経験情報が流入してきます。あ、これは我々の世界の牛ではない、ということを理解し、太郎氏に共食い呼ばわりした自分を恥じて私は涙を流しました。
「さあ人間。ぼーっと突っ立ってないで早く始めますよ。まずは前菜からです。いいですか……」
 太郎氏の声に我に帰った私は、慣れない手つきながらも指示された通りにさまざまな牛肉料理を調理していくのでした。

【実食】

(前菜) 村神牛のリエット
あらかじめ下ごしらえをされ煮込まれた村神牛をバター・生クリーム・塩・胡椒で味を整え、フードプロセッサーで攪拌し、ペースト状のリエットをバゲットとエシャロットを添えたもの。

ペースト状の村神牛のリエットは神々しい輝きを放ち、小さなココットに収められた姿ではありますが圧倒的な存在感をもって皿の上に鎮座しています。私は思わず合掌してからバゲットを手に取り、たっぷりのリエットを塗って口に運びました。
口腔内に入るや否や、まろやかでコクのある肉の旨みがいっぱいに広がります。それはこれまで食べたどの肉のパテとも違う奥行きと広がりを持って私の意識を世界へと拡張してくれました。咀嚼するごとに私の視野は広がり、村神市、某県、ニッポン全土、そして海を越えアジア、空を越え地球へと視野が広がりその全ては認知出来るものとなりミクロの世界からマクロの世界までもの情報が一気に私の脳内に流れ込みこれが全知という事かと私の脳は限界を超えて理解を

「人間。大丈夫ですか。」

太郎氏がかけた声で私は我に返りました。
「おいSIかったでス」
感動を振り払い私は声を絞り出しました。

(スープ) 村神牛のテールスープ
昨夜のうちに野菜と一緒に煮込まれた村神牛テールをアク取りし、生姜、ニンニク、青ネギと共に更に強火で炊き上げます。表面で虹色に輝く脂を丁寧に取り除き、スープ皿に盛り付けます。

生姜とニンニクの香りにも負けない力強い村神牛テールの風味。鼻腔内に思い切りその香りを吸い込んだ私は、臭みの一切を排除した神々しい香りに当てられて軽い酩酊状態に陥りました。香りだけでこの幸せが感じられることに感謝し、私は思わず合掌しました。
スープをひとくち飲みます。舌が幸せの味で踊っています。滋味深くまろやかな旨みが口の中いっぱいに溢れ、私は多幸感に包まれました。
思えば、これまでの人生はこのスープを飲むことである種のクライマックスを迎えたのかもしれません。生まれ出でてからの人生を振り返り、母の、父の人生を想いました。飲むごとに私に繋がる人たちの人生が目の前に浮かび、その全てに私は涙しました。そして想いは遥かなる祖先と生命の源である海を感じこの地球が初めて生命を宿した母なる海の偉大なる偶然とその愛を全身に感じ私はいつの間にか咽び泣いて生命のスープを啜り嗚咽を漏らしな

「おい人間。無事ですか」

太郎氏がかけた声で私は我に返りました。
「suバラしい味でシた」
私はグシャグシャになった顔をハンカチで拭き、鼻をかむとそう答えました。

(主菜) 村神牛のステーキ

 主菜はこれまでとはうって変わってシンプルにステーキです。先程取り出した肉を確認します。部位は、あれ、部位は……
「太郎さん、これ村神牛のどの部位の肉なんですか?」
 私は真球に近い形の肉塊を見つめて訊ねました。真紅に染まったその肉塊(?)は、照明を受けて更に名状し難い赤へと変容していくようでした。
「それは村神牛のハヒンフンの肉です。」
 ハヒ?ハヒンフン?これまで聞いたことの無い部位の名称を聞き、私は思わず聞き返しました。
「それは一体どこの部位の……」
「チッ」あ、また舌打ちした。
「ハヒンフンはモヌオッペの周囲にある肉です。人間で言うところのお尻、ヒップですね。」
「牛で言うとランプ肉ですneエフっ!」
 私は太郎氏の頭突きをみぞおちに喰らい悶絶しました。
「人間。無礼(なめ)るなよ。ただの牛と一緒にして良いほど卑しい肉では無い。このひと塊りを手に入れるのに俺がどんな代償を払ったかを貴様は分かるまい。心して焼け。分かったな。」
 私は太郎氏のつぶらな瞳に向かってがくがくと首を振り、調理に取り掛かりました。

 塩胡椒を細心の注意をもって振りかけ、熱した鉄板の上に切り揃えた丸い肉を恭しく載せます。立ち昇る脂の香りと肉汁の蒸気。ジュワジュワと焼ける肉の音……音?音がしません。脂の弾ける音も、肉が焦げ爆ぜる音も全くの無音です。まるで動画を消音で見ているかのようなその光景に畏れを抱きながら、私は肉を裏返します。しばらくして香り付けのブランデーでフランベを行い蓋をして炎を消すと、蓋を取った鉄板の上には何も残っていませんでした。
「太郎氏??これはいったい……!?」
「ご心配なく。肉はそこに存在しています。さあ、皿に取り食べるのです。」

 訝しみながらもコテを使い私は肉?を取り上げようとします。見えないながらも確かに重さを感じるコテの先からは、湯気が立ち昇っていました。注意深く皿の上にそれを載せた私は、ナイフとフォークで肉?を切り分けます。何の抵抗もなくスッと入るナイフ。突き刺したフォークに感触は感じません。おそらくひと口大かと思われるその肉片?を私は口に頬張りました。

馥郁たる肉の香りが口腔から鼻腔を突き抜け溢れ出る肉汁は清泉の如く私を陸の上で溺れさせる。はらりとした弾力は噛み締めるごとに力強さを増し、濃厚な脂の旨みと相まって頭蓋の内部は天上の調べで満たされたああ神の食物とはこれの事かと思った瞬間身体中が歓喜の歌を歌い出し私を構成する細胞のひとつひとつが欣喜雀躍しその波動は私の意識を昇天させるああ讃えよ地の恵み天からの愛を神からの慈しみは私の意識と溶け合いこの地を地表を空を遥か彼方の星々そして宇宙を満たし遍く虚空の隅々を照らし闇は今反転した全てが光に包まれ全知全能の力が存在の根源を剥ぎ取り顕にされた真理そう真理が目の前にいまこのしゅんかんわたしおたかいところえとつれていつてくれrrぅたkあiうつくsiいきrEイな

「見つけたぞ!こっちだ!」
 絶頂に達した私の意識を切り裂いて、複数の人影がキッチンに駆け込んできました。私は垂れ流していた涎を拭き、キッチン何が起こったのかを確認しようとしましたが、焦点の合わない視界にはモゾモゾと動く影しか見えません。
「チッ、意外と早かったな。あと一品でこの人間を此方側に引き込めたものを。」
「観念しろ!出口は全て固めた!もう逃がさんぞ!」
 ブフォ、という牛の鼻息を間近に感じ、私は痙攣する脳にメッセージを受け取りました。
人間、残念ながらこのイベントはここまでだ。あと一品、デザートが残っている。冷蔵庫の中にある牛乳を使い、何か甘味を作るがいい。作り終えたその時、人間、お前は時の始まりと終わりを知ることになるだろう。ではさらばだ。
「そっちへ行ったぞ!逃すな!」
「なっ!照明が消されたぞ!」
「ダメだ!暗くてよく見えん!」
「何処へ行った!奴め!消えてしまったぞ!」
「探せ!まだ遠くへは行ってない筈だ!」
 暗闇のキッチンの床に転がり、ビクンビクンとのたうちながらその騒ぎを聞き留め、私は遠のく意識の中で太郎氏の無事を祈るのでした。

 気がつくと私は会場の入口に立ち目を覚ましました。正確には、ボーっとしていた状態から覚醒したとでも言いましょうか。『村神牛アレンジレシピ発表会』と印刷された立て看板の向こうには、大勢の人で賑わっているキッチンスペースが見えます。
 私は人混みをかき分けてフラフラとキッチンに近づきました。すると、キッチンの前には一頭の牛がつぶらな瞳を瞬かせてこちらに顔を向けています。
「おや、取材の日比野さんですね。だいぶお待ちしておりました。村神市観光協会の村上です。ささ、もうデザートの発表しか残っていませんが、どうぞ味わってみてください。肉牛で有名な村神牛ですが、意外なことにその牛乳も美味しいんですよ。村神牛のアイスクリームです。召し上がってください。」
 近づいてきたひとりの男性が満面の笑みを浮かべて、アイスクリームの入った紙カップを差し出してきます。
「いや、あの、その、私は、遠慮して……」
 村上氏に腰の引けた返事を返す私を見ながら、会場で大勢の人に撫でられ可愛がられている牛から

「チッ」

と舌打ちをする音が、確かに聴こえたような気がしました。

(おわり)

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