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ちいさい おじさん【ショートショート】

 今日も会社のパソコンのかげから、おじさんが顔をのぞかせる。
ちいさい、おじさん。私の推しキャラマグカップにちょうど隠れるくらい。

 私のいつもの目配せ挨拶にこたえて、ちいさいおじさんの口がパントマイムで動く。
“ お は ” と。

”  きょうは なにしてるの? "  
と小さい口をパクパクさせる。なぜかおじさんの意思は読めてしまう。この人生、読唇術など習得した覚えはないのだが。
"  仕事にきまってるデショ  "  
語尾を目ぢからで強調して、ふたたび目配せで答える。
"  いつもやってないじゃない   "
と、さも当たり前のようにいうのはどういうことだ。失笑がもれる。
キミハ ワタシノシゴトヲ ハアクシテイルノカイ?
これは目配せしてないのでおじさんには伝わっていない。はず。

 隣の席では会計係のみずきちゃんが月締めの作業をこなすべく、猛スピードでパソコンのキーボードを叩いている。まるで、ラ・カンパネラを演奏するピアニストのようだ。今日は残業できません、と朝イチ上司にいうだけあってやることやるのね、さすが。いつも頼もしいこと、この上ない。なんなら私のデスクにのせられたこの書類も、メールで送られてくる数々の案件も、その勢いのままにやっつけてくれるといいのにな。

 ふう、とため息をついた私を、おじさんはじっと見つめている。
どこで拾ったのかフェイクの木の葉を一枚ぎゅっと握りしめている。
“ どしたの? なに? “
多少、投げやりな目配せになってしまったがしょうがない。
“ ねぇ、森に行きたいからついてきて ”
"  またですか?!  "
"  はい、またです  "
フッと吹き出しそうになるが、いかんいかん。ここはフランスの街路カフェでもなく、ドイツの黒い森のほとりでもない、営利追求の闘う空間だ。

 私はちらりと隣の鍵盤、いやデスクに視線をとばし、それからくるりと瞳をめぐらせて社内の様子を盗み見た。その間に履いていたパンプスをデスクの下で軽く脱ぎとばし、常備されているウォーキングシューズに足をつっこんだ。
 みずきちゃんのこだわりコーヒーはデスクのはじに追いやられたまま、すっかり冷めて香りを失ってしまっている。
上司はいずこへいったやら、場違いに上等な椅子の背もたれとそのむこうの窓に切り取られた青い空が見えた。チャンスだ。
“ OK ”
目配せのかわりに右手の親指をクイとたてた。これやってみたかったの、一回。
”  ん  "
おじさんはおもむろにうなづくと、いつものように胸で両手をふわりと組み、呪文を唱えるかのように、もごもご口を動かした。

ヒュッ

「いたた」
おじさん、いやいや、幼い少年がおしりをさすって転げている。
幼稚園とか、小学生に入るか入らないかくらいの小さい子。
ちいさいおじさんは会社から移動すると、いつも幼い姿になってしまう。
瞬間移動? テレポート? タイム・リープ? なんでもいい。

 私といえば、会社の制服のまま青々とした草はらにぶざまに転げていた。
いいの、いいの。もう慣れたわよ。つっかけたままのウォーキングシューズの片いっぽうがアザミのむこうで横倒しになっていた。
「くもりだね」
と、少年のおじさんがケタケタと笑っている。おクツの天気予報でございますか……。
「は、ちょうどよかった。会社、退屈だからね」
「ん。いつもそんなカンジ」
ここでは、おじさんとの「音」での会話が成立する。
まあ、どっちにしろ伝わるから問題はないんだけどね。
「いこ。ハルちゃん」
少年のおじさんはそういって、いつもハルちゃんではない私に幼い手をさし出すのだった。

 私とおじさんは、それから私たちをとりかこむ大きな大きな森を見渡して、好きなところで好きなだけ、好きなことをして過ごすのだ。

 小川に足をひたしてぼーーっとしてみたり、川底の光るきれいな石を探したり、大きな湖のほとりで平たい石を探して水切りをしたり、原始人ぶって火起こししてみたり、ひたすらカニを捕まえてみたり、夕日の沈むのを暗くなるまでながめたり、顔が火照るまで盛大に焚き火をしてみたり、竹をくりぬいた笛をピープーならしたり、粘土をこねて動物をつくったり、水晶の洞窟を探検してみたり、葉っぱや枝で仮面をつくっておどったり、高い大岩によじ登って風に吹かれてみたりする。

たくさんの遊びと
      たくさんの笑いと
     たくさんの工夫と
        たくさんの挑戦をして。


 遊びつかれて、ちいさい少年のおじさんがあくびをしだすのが帰るタイミングだった。
なんたって、呪文を唱えるのはキミだからね。はい、起きて起きて。
ねかぶるおじさんの首を支えつつ、無理やり両手を組ませ、なんとか呪文を全うしてもらう。

ヒュゥ…

勢いのなさにヒヤヒヤしつつ、問題なく会社の自席に座っていることを確認する。前髪に赤いモミジがぶら下がっているのを、そ知らぬふりで握りとる。
手の中でクシャリと乾いた音がした。

 ほっとため息をもらし、もそもそとパンプスにはきかえて、表情を会社モードに戻していく。完了シマシタ。ピーー。

 まだ温かいカップに口をつけながら目をつぶり、耳をすますと、単音のラ・カンパネラが聴こえてきた。

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