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《堕落の推し活》を振り返る

皆様こんにちは、肴矢三祈です。
初めましての方へ、さかなやさいのりと読みます。
今回は2023年11月に投稿させていただいたこちらの記事の続き、限りなく蛇足に近いお話になります。
前回の記事を簡単に説明させていただきますと、
『ある日突然ある作品の一キャラクターにドハマりして人生レベルで壊れかけた所、今の推しに不思議な形で出逢いジャンルを移動したことで助かった』
と言う内容でした。
この記事では前回からしばらく経った今、狂っていたあの頃を自分で考えてみようと思います。

前回の記事を読んでくださった方は、ここまでドロドロの中身を知りたくはないと思われる方もいるかもしれません。
十分に注意してお進みください。



【自ら地獄に堕ちていることに気が付かない】

2019年の冬、私はそのキャラクターをネット上に投稿されていた二次創作で発見しました。
その頃の私はそこそこの昔に同人活動のアレコレで筆を折って以降、読むし観るし買うけれども創作活動はしないオタクとして過ごしていた状態でした。
好きな作品やキャラクターがあっても殆ど購買意欲がなく、ゲームがあっても毎月の課金額は500円くらい。
アニメもサブスクか初週の無料配信で観るだけ、グッズも描き下ろしのクリアファイルやカードがあったら購入する程度でした。
しかし《堕落の推し活》のきっかけとなったそのキャラクターは、それまでの私の金銭感覚を完全に破壊するほど私を魅了したのです。

このキャラクターはある漫画作品のキャラなので、昨今世間で話題に上る貢ぐ貢がれるの関係とは訳が違います。
人間と人間であれば人間関係がありますが、キャラにハマる場合は大体こちらの一方通行です。
なのに何故私は、貯金が底を尽くまでそのキャラにお金を注いでしまったのか?
『自己肯定感の低さを、自分が肯定する為』と前回の記事では書かせていただきましたが、今回は実際当時の私に何が発生していたのかを考えました。

その時私の中で起きていたのは、
『そのキャラの背景・性格・言動から、これだけ不遇ならば応援しなくてはと言う強迫観念を自分で生み出していた』
と言う異常な心理状態だったと思います。

当時の私はそこが地獄なのに天国だと思い込んでいたのです。
振り返っている今、この《堕落の推し活》の異常さを列挙すると、

原作漫画の内容が合わず、アニメをサブスクで観られる部分だけ観て後はネットに投稿されている感想だけで本編を追っていた。
●そのくせグッズが出たら描き下ろしはもちろん既存絵もすべて購入し、全く同じグッズを20点から30点近く買っていた。
●リアルイベントも盛んなジャンルであるのにも関わらず、そう言ったイベントに参加することもなく他のファンとの交流も一切せずただひたすらに身に纏って悦に浸っていた。
●そんな程度で観ていた内容の中でそのキャラの部分だけ追いかけたせいで、そのキャラがどれだけ可哀想な生い立ちでどれだけ苦痛に耐えているのかと言うことだけを考えまくっていた。
『だから』私はこのキャラを応援しなくてはならない!と言う一心で買い続けた。

頼まれてもいないのに貢ぎ続ける。一方通行の相手に。
しかし作中でそのキャラが何度も叫ぶ、助けを請う台詞。
私は自分が言われているような気持ちになってしまっていたのです。

【気付く事は痛みを伴うけれど……】

呪いに等しい激しい妄想の末、貯金の残高がゼロになり毎月の昼食を減らし消耗品を減らしグッズを買い続けていたある日、《救済の推し活》が始まり突如として私のそのキャラの推し活は終わりを告げます。

今思えば、そのキャラは私の《夢》に一度も出て来てくれたことはない。
私にとってそのキャラは、容姿と能力どちらを取っても憧れを抱く要素が少しも無い。
可愛くもなければ凄くもない。性格もかなりひん曲がっていると感じる。
活躍を思い返しても良い所が少しも思いつかない。
私が憧れると感じる要素が一つもない。
つまり冷静になった状態で見ると、そのキャラは私の《好き》には合致していなかったのです。
終わった今、そのキャラが私に与えたものは情けなさと後悔だけです。
費やしたお金と時間も膨大ですが、マイナスしか与えない推し活をしてしまったことが何より辛かった。
すべて私が弱かったことが最大原因です。

《堕落の推し活》は、楽な生活でした。
何も聞かず何も見ず何も知ろうとせず、ただただ推していれば良い。
頭を使わないで買い続けるだけで貢献しているつもりになれる。
そのキャラの助けを求める台詞に応えているつもりになって、自分はそのキャラを支えられる強者、施す者なのだと勘違い出来る。
そのキャラを批判する人あらば、心の中で勝手にマウントを取っては勝者の気分になれる。
作品の展開が気に入らなければ、そのキャラの価値を制作側はわかっていないとまたマウントを取って覇者のような気分になれる。
何の生産性もない、推し活本来が与える良さが微塵もない生活。
けれどその気楽さと貫ける思い込みに縋りつき、堕落していったのです。

【蜘蛛の糸ならぬ蜂の蜜】

《救済の推し活》を与えてくれた今の作品に出逢えなければ、私はどうなっていたかわかりません。
こうして記事を書いて皆様に読んでいただくことはなかったでしょう。
そしてその当時もしネット上での活動をしていたら、私は大炎上していたと思います。
当時の恐ろしい人間性のまま、そしてそれこそが正しいと思い込みながら公の場で活動していたらと思うと、ぞっとします。

これからは、自分に憧れてもらえるような私になりたい。
かつての様なとんでもない私ではなく、思い返した時に『あの時の自分がこう選択したから、今の自分になれた』と思ってもらえる私になりたい。
そう願って、今日を生きています。

2024.04.29 肴矢三祈


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