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嬉しくなった瞬間




今日も3歳の息子に「ママ、笑ってわらって〜」と言われてしまった。

ぼっくん(息子)はおもちゃのカメラで「ハイちーず」と声をかけると、向こう側の相手がニコーッと笑うことを知った時から、ママがちょっとキレそうになる(顔がムッとしている)と、必ずカメラを構えるポーズをしながら、「ママ、笑ってわらって〜」と言ってくるのである。


その度に、
あぁ‥また顔に出てるぞ自分‥と自分への苛立ちと、
笑顔を強制されることへのプラスの苛立ちを覚えて、まだたった3歳の息子にさらにイラッムカッとしてしまう。
自分にいかに余裕がないかを知る瞬間でもある。

できるだけ子どもの気もちを受け止めてあげようと思いつつも、保育園の迎えから寝かしつけまでのほとんどの家事・育児をひとりでしていると、どうしても余裕がなくなってしまう。(私の性格なのかなぁ〜)

どうしたらいいんかなぁと考えるが、じーっと考えてる間もなく、次のやらなければならないことが先にある現実。
解決策やうまくやりきる方法はあるのかもしれないが、『まぁ育児ってそんなもんだよね〜』と言い聞かせて進んでいく毎日である。


今日も寝顔を見ながら
『私もぼっくん(息子)も、あーちゃん(娘ちゃん)もみんなお疲れ〜〜〜』という気持ちで、いつものように「ふたりはママとパパの宝物だよ。明日もたくさん遊ぼうね。生まれてきてくれてありがとう、大好きだよ。」と愛を言葉にしておやすみなさいをした。


叱りたくないのに叱ってしまったり、
優しく伝えたいのにキツく言い過ぎてしまったりする瞬間が育児の中では多い。

「ママあんなにキツく言わなくてもよかったよね、ごめんね」と、できるだけ気持ちを言葉にして伝えるようにはしているが、どこまで子どもに思いが伝わっているかは不明である。

おやすみの時には、「大好きだよ。宝物だよ。ありがとう。」を伝えたくなる。
これも親の自己満足なのかも、とも思う。


そんなある日。
節分の時にくすりと笑えるエピソードがあった。



『鬼』というワードにどハマりしていてぼっくん(息子)。楽しみにしていた節分の日であったが、保育園では誰よりも怖がって、鬼に豆を投げられなかったようだった。


私:「鬼さんやっつけられた?」
ぼく:「怖いから投げられなかった(ドヤ顔)」
私:「そっかぁ。じゃぁ次、家に鬼が来た時は投げられるかな?」
ぼく:「い〜や〜(むりかな。)だって、ぼくはママとパパのタカラモノでしょ?タカラモノ、オニにとられてもいいの?(ドヤ顔)」


パパと顔を見合わせて笑ってしまった。
子どもっておもしろいなぁ。


鬼はみんなのタカラモノを取りに来ていて、豆を投げる=戦うこと。戦いに負けたら、ぼく連れていかれちゃうよ?困るでしょ?だからぼくは戦わないよ!ということらしい。



戦わないための言い訳が成立していることに感心し、自分が親にとっての宝物であることを理解していることが嬉しかった。


すこしでも愛情が伝わっていてよかったなぁと嬉しくなった瞬間だった。

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