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読書感想#00 自己紹介

目的 

 その本を読むことによって得られる問題提起を、その著者の体系を参考にしながら、時には言葉を借りて、時には著者とは全く異なる方向に突き進みながら、自分なりに解決していくこと

内容

 いわゆる、この本にはこういうことが書かれている、あるいはこういうところがおすすめ、という風に本を紹介して行く類のものではなく、自身の読んだ本を自身の思想的な系譜のなかに組み込んでいく、換言すれば私自身の哲学論文集ともいえるようなものになっています。

主に取り上げる本

 基本的に二次資料(『「〇〇」を読む』、『「〇〇」入門』)といわれるものを介さず、直接原著(ただし翻訳済みのもの)にあたります。難解なものも多いですが、その道の人しか読まないような本ばかりなので、掘り出しもの?が沢山見つかると思います。選書にも自身はあります。ただデメリットとして、私の見解は客観性に欠ける点と、その業界の共通認識に欠ける点は否めないです。

noteで達成したい夢

 このnoteでは多種多様な本を取り上げて行く予定ですが、特に下記の二点に該当する本については、特別な思いを持って執筆しています。

1京都学派の再発掘

 京都学派とは、哲学者・西田幾多郎を筆頭に、田辺元や三木清、京大四天王(西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高)などの思索共闘を一括する名称です。一般に知られているのは、京都学派の弁論が太平洋戦争を助長したと戦後に判断され、闇に葬り去られたということ。しかし私自身が直接彼らの本に目を通し、真っ先に感じたことは、忘却されるにはあまりにもったいない中身を有しているということです。マルクス・ガブリエルの「世界は存在しない」しかり、ドゥルーズの「永遠回帰」や「微分」しかり、京都学派に通じていれば何ら驚く必要はないとさえいえるでしょう。むしろ先取り出来たといっても過言ではありません。

 それだけの内容を持ちながらも戦争に加担したなら仕方がない、確かにそういえるかも知れません。ただ私が主張したい点2つ目は、「京都学派の戦争加担」という言葉が一人歩きして、ろくに検証すらされていないということです。まさに映画を見ずに映画のレヴューだけを見て文句をいっているような類です。あくまでも私自身の個人的な感想ですが、仮に京都学派の本に影響を受けて戦争意欲が高まった人がいるとするならば、その人はおそらく他のどの本を読んでいたとしても戦争意欲が高まっていたことでしょう。本は読み手の読みたいように読めるものだからです。それこそ最近流行りの、実は日本は凄かった、太平洋戦争の真実などといったものでさえ、切り抜き方次第では戦争賛美の本と定義付けることが出来ます。もちろん話の本筋はそこではない筈です。その本筋ではないところで切り捨てられている、これが京都学派の現状であり、私が勿体ないと思う所以なのです。

 京都学派はよく、戦前には右翼から執拗に敵視され、戦後には反転して、左翼から批判の的にされたといいます。一体これ以上の理不尽が思いつきましょうか。もはや内容で非難されているのではなく、非難するために非難されているというのは一目瞭然です。私の活動を通じて、京都学派の無念が晴らされんことを切に願う次第であります。

2建築論の常識化

 建築界にはル・コルビュジエやルイス・カーン、レム・コールハウスなどといった、面白い思想家が沢山います。アドルフ・ロースやルドゥなど、既に枠を超えている面々も少なくありません。にも関わらず、その存在は世間一般には浸透していません。建築家だけでも十分に哲学的な系譜をつくれそうなものですが、いまだ日本に於いては十分なものはないのです。日本で建築というと、真っ先に土木のようなものがイメージに浮かびます。もし一般の人の中で建築論が頭に浮かんだ人がいるとしたら、その人はよっぽど博識であると見て間違いないでしょう。普通は建築論などその存在すら知られていないからです。しかしここに私は一石を投じるチャンスがあるのではないかとも期待しております。もし建築論を常識に位置づけることが出来たなら、それは必ずや大きな偉業となることでしょう。京都学派の再発掘ほどの熱意はありませんが、これもまた私の一つの夢であります。

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