福原恕

「実用的な信仰」をテーマにスピリチュアルで哲学的なことを書いています。

福原恕

「実用的な信仰」をテーマにスピリチュアルで哲学的なことを書いています。

最近の記事

自分を好きになる方法 自分の人生を愛する秘訣

自分自身を愛することができると他人からも愛される。 同様に、自分自身の人生を愛することができると、人生のほうも私たちを愛してくれる。 私たち自身とその人生を決める運命を愛することができれば、幸福に手がとどく。 しかし、それは簡単なことではありません。 自分を好きになれといわれてなれるものではないし、境遇に感謝しろといわれても納得できないことは多いでしょう。 愛しがたい自分と受け入れがたい人生。 それらを愛するにはコツがいります。 そのコツとは独自性(唯一性)を愛することです

    • 「ニーバーの祈り」実践法

      日々を生きる上で役に立つ実用的な祈りとして「ニーバーの祈り」があります。 ニーバーの祈りは、 ・毎日をよりよく生きる心構え ・逆境を乗り越える秘訣 ・前向きで建設的な生き方 ・あらゆる場面で適切な決断ができる冷静さ ・「今日」という時間の恵みを味わう能力 を私たちにあたえてくれるメッセージです。 しかし、言うは易し行うは難し。どんなに優れた祈りの言葉も実践するとなるとむずかしさを感じる場面が出てきます。 ニーバーの祈りを常に胸に刻み、その精神を実践していけたら悩みはなく

      • 期待せずに信じるということ - 今はもうさっきまでとは別世界

        何かに挑戦したけれどだめだった。 夢があったけれどあきらめてしまった。 失敗を繰り返して自分に絶望している。 そんなあなたに紹介したい聖書の一節があります。 それはルカ書に出てくる「もう一度網を下ろしてみなさい」という言葉。   ★   ★   ★ 漁師シモン「ぜんぜん魚が取れなかった。もう網を片づけよう」 イエス「その間に少し話をするよ」 シ「ふむふむ。片付けも済んだしもう帰ろうかな」 イ「もう一度、網を投げてごらん」 シ「えっ…夜通し漁をしたのに収穫なしだったんだけ

        • なぐさめに宿る慈悲

          「なぐさめ」のなかに神さまのやさしさがあります。 つらい時期、どうにもならない日々のなかにも小さななぐさめが用意されている。 気づかないほどさりげなく、落ち込む人の肩をそっとたたく見えない手がある。 なぐさめはさまざまな形を借りて私たちを励ましてくれます。 たとえば、ため息をつきながら飲む一杯のお茶として。 どんなときにも私たちの肩にそえられているなぐさめの手。 そこに、神さまの慈悲は宿っているのではないでしょうか。 ◆いつでもなぐさめはある なぐさめはいい時期にもわるい

        自分を好きになる方法 自分の人生を愛する秘訣

          「導かれている」7つのサイン あなたが行くべき道の特徴

          行き詰ったときもっとも効果的な祈りは「正しい方向にお導きください」。ゆだねたら、あとは偉大な手の導きにしたがって進むだけ。 直感(インスピレーション)を信じていけば自分にとって正しい道を通ることができます。 しかし、それでも私たちはまた迷います。 一度は信じた道をまた疑い始めます。 そんなとき、どうしたら直感を信じて正しい道に戻れるのでしょうか。 実は、「正しい道」にはいくつかの特徴があります。 その特徴を知っておけば迷ったときの道しるべになるでしょう。 神さまが示す道に

          「導かれている」7つのサイン あなたが行くべき道の特徴

          行き詰ったときもっとも効果的な祈り

          「行き詰った…」と思えるとき、そんな状態を切り開く祈りがあります。 『正しい方向にお導きください』 この一言の祈りによって人生の突破口は開かれるのです。 ◆潜在意識から「答え」を引き出す 人生が行き詰ったと感じる。 何をどうしたらいいのかわからない。 そんなとき、私たちは自分の“外側”に答えを求めます。 情報収集したり、誰かに相談したり、ネット上の意見を眺めたり… しかし問題を解決するような答えと出合えることはまずありません。 なぜなら「答え」は常に自分の無意識の領

          行き詰ったときもっとも効果的な祈り

          最後の一葉

          信じること、希望をもち続けることがむずかしくなる時期があります。 寒くなり葉が枯れ落ちる季節にはとくに、なぜか気持ちが落ち込んで、いままで信じてきたことが揺らいでしまうものです。 そんなときに思い出したいのは、目に見えるものよりも、見えないものにこそ力が宿るということ。 目の前のものにまどわされずに、その先にあるものを心の目で見つめること。 見えないものを見つめることの価値を思い出させてくれるお話があります。 アメリカの小説家、オー・ヘンリーの『最後の一葉』です。 ■オ

          最後の一葉

          足元の支え―神が姿を見せない理由

          なぜ神は姿を見せないのでしょうか? つらいときに現れ、手を差しのべてくれないのでしょうか? その理由は、神が私たちの足元を支えてくれているから。 私たちが歩く道が崩れないように、地面の下から支えてくれているので目の前には出てこられません。 私たちが自分の力で立っていられるように、両足を押さえてくれているので正面からは手を差しのべられないのです。 見えないところで支えてくれている存在こそ、もっともあなたのことを大切に思っています。 だから姿を見せないことが、神が私たちを愛し

          足元の支え―神が姿を見せない理由

          「自分には才能がない」と思えても大丈夫な理由

          あらゆることが多様化する現代。 自由な生き方が選べるようになった一方で、むしろ他人との比較に悩む人が増えています。 その結果、周りを見回して「自分には才能がない」「能力がない」と思ってしまう人も多いようです。 でも、大丈夫。 あなたのなかには潜在能力が眠っています。 その潜在能力とは「超」隔世遺伝です。 ◆始まりはみな同じ才能や能力について悩むのは、生まれ持ったものの違いに悩むということでしょう。 そんなとき考えてみたいのは、私たちの祖先はみな共通だということです。 アダム

          「自分には才能がない」と思えても大丈夫な理由

          希望を持つ方法

          希望を持つ方法があります。 次の2つのことに気づくと希望はかならず芽生えます。 1.自分にはまだ知らないことがある 2.自分が知らないことを知っている何者かが存在する この2点を忘れさえしなければ希望を失うことはありません。 無知であることが私たち人間の希望。そしてすべてを知る者の存在を信じることが救いになるのです。 ●まだ知らないことがあるから希望がある世界にはまだ私たちの知らないことがあります。その知らない部分、わからない部分に希望があります。未知とは無限の可能性で

          希望を持つ方法

          「喜ぶ」とは「味わう」こと

          精神世界を追求していくときたびたび出合う「喜ぶ」という言葉。 「喜ぶ」とはどういう意味なのでしょう? 嬉しい、楽しい、ありがたい、めでたい、快い、気持ちいい…辞書を引けばそんなポジティブな言葉がならんでいますが、はたしてそれらは神の言う「喜ぶ」と同じ意味なのでしょうか? 神の言う「喜ぶ」の意味は、人の感覚でいえば「味わう」に近い意味なのではないかと思います。 「喜ぶ」という言葉を「味わう」と読みかえてみると、嬉しいことばかりではない現実の日常のなかに生きる喜びが見えてくるの

          「喜ぶ」とは「味わう」こと

          心の「いいね」がいちばんいい

          この世界には目には見えない「いいね」が飛び交っています。 それは心のなかだけでつける無言の「いいね」、“心のいいね”です。 私たちが日々の暮らしのなかで心に抱いた「いいね」は、そのいいねを送った人にとどいています。 あなたの行動や思いにもどこかでだれかが無言のいいねを送っています。 心のいいねは、それを意識することで感じとれるようになります。 心のいいねはまさに愛と慈しみの波動。他意を含まない純粋な敬愛の念なのです。 ■目には見えない「いいね」がある私たちが住むこの世界

          心の「いいね」がいちばんいい

          愛されない人が愛される人になるただ一つの方法

          愛される人になる方法があります。 それは、何か偉大なものに愛されていると気づくことです。 誰かから愛された人は、誰かを愛せます。 誰かを愛せる人は、誰かかから愛されます。 偉大な何かに愛されていると知った人は、愛される人になれます。 自分が偉大な何かに愛されていると知る。 それが、愛されなかった人が愛される人になれるただ一つの方法です。 ◆愛を知る二つの方法愛される人になるためには、人を愛することを知っている必要があります。 愛することを知るには愛された経験が必要です。

          愛されない人が愛される人になるただ一つの方法

          自分と似ている人のために祈る ―精神的な隣人を愛するということ

          他人のために祈るのはいいことです。 “情けは人のためならず”と同じように、他者への祈りは自分のためにもなります。 災害や惨事が多い世相ではとくに、誰かのための祈りが意味を持ちます。 しかし正直な話をすれば、「みんなのために祈る」のはむずかしいのではないでしょうか。 社会のため、世の中のため、顔も知らない誰かのために……。そんな漠然とした対象のための祈りに気持ちを込めることができるでしょうか。 博愛主義者を気取ってみても本心から他人を思うことはできません。 だから、「みんな

          自分と似ている人のために祈る ―精神的な隣人を愛するということ

          心の目で明るい世界を見る方法 ~世の中が暗いと感じたときは

          「世の中が暗い」と感じてうんざりしたときの対処法です。 一言でいえば「いい部分を見ましょう」というお話。よくある安易なポジティブシンキングです。 しかし「明るいほうに目を向けましょう」というだけではただのきれいごと。もう少し踏み込んだ、心を明るいほうに向ける考えかたをいくつかご紹介します。 ◆「おかしい人」の陰には大勢の「まともな人」がいる世の中にはおかしい人、残念だけれどおかしくなってしまった人、何かの影響を受けておかしくなっている人がいます。 人は変わることができま

          心の目で明るい世界を見る方法 ~世の中が暗いと感じたときは

          「遅れてやってくる神」を待つ

          けっして冬に木を切り倒してはいけない けっして落ち込んでいるときに決断してはいけない 待とう 嵐が過ぎ去り 春が来るまで 牧師・ニューソート作家、ロバート・H・シュラーの言葉。 忍耐が必要な状況にある人が多いであろう今、まっさきに私の心に浮かんだのがこの名句です。 苦境にあるとき、前向きななぐさめの言葉が心に効かなくなることがあります。 「止まない雨はない」と言われても洪水に飲み込まれているときには腑に落ちません。 「夜明け前がいちばん暗い」という言葉もありますが、雪国の

          「遅れてやってくる神」を待つ