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徒然コンテンツ評④『PSYCHO-PASS』は承認欲求への警鐘だ

 何ヶ月ぶりなんだという声があちこちから聞こえそうですが、久々にこのシリーズを動かしたい。あと、今コロナに罹っているのでコロナ期間中は執筆が増えるかも。今回紹介するのはアニメ『PSYCHO-PASS』シリーズだ。なんと、もう1期から10年経つらしい。しかし、恥ずかしながらこれまで一度も履修してこなかった作品だったので、今回1期と2期を見た感想を書いていこうと思う。

1.作品概要

 SF作品な為、舞台や専門用語の解説に時間がかかるがご容赦を。これは今から大体100年後のお話。世界中の国は反乱でカオスなこととなっているが、日本だけは平和な国を維持している。それを司るのが「シビュラシステム」である。

 シビュラシステムは国民全員を監視するAIのようなものであり、あらゆる人々の生活基盤となっている。例えば、誰と付き合うか、今日どんな服を着るか、将来どんな職業に適しているか、といったことまで全てシビュラが予測し、決めてくれる。

 そんなシビュラのもう一つ優れた点が人々の精神を数値化してくれるシステムである。心が穏やかな人ほど数字が低く、犯罪者ほど数字が高い。これを「犯罪係数」という。公安局はこの犯罪係数を高い人、つまりは潜在犯を早期に発見して収容する。

 一度潜在犯となると回復は難しく、一生収容室で過ごすことも珍しくないが、一部の潜在犯はシビュラに適性を見抜かれて、同じ潜在犯を駆り立てる仕事が用意される。それが「執行官」と呼ばれる人たち。

 ただ、もちろんハイテク社会で普通の銃を使うわけではない。公安の人間が認証を受けて使用を許可されるのが変形型の銃である「ドミネーター」だ。相手に向けることで、対象の犯罪係数を測り、基準以上なら麻痺機能、あまりにも高いと殺傷機能を持つ銃へと変形する。このドミネーターが執行官に渡されて、潜在犯を確保する。

 しかし、執行官も潜在犯である。もし任務中に執行官が犯罪行為に走った時、きちんとそれを制御できる役割も必要である。それが「監視官」だ。監視官にもドミネーターは渡され、執行官の監視と指示出し、任務の統括を行う。

 長くなって申し訳ない。以上がPSYCHO-PASSの設定である。そして、こうした世界観で新米監視官の常守朱と執行官である狡噛慎也の2人を中心に、物語は進んでいく。

2.AIの発達は、人を江戸時代に戻す

 さて、突然大きな問いを投げるが、この作品の大きなテーマは「人間の自由意志とは?」である。シビュラシステムの適性検査のままに就職し、シビュラシステムの相性診断のままに結婚する。果たして、こうした人間に自由意志はあるのだろうか?

 そして、この状態は江戸時代以前の日本と重なるのではないか?士農工商という形で職業が確立されていて、農民の子どもが武士になるのは不可能だった。結婚相手も自由恋愛ではなく、親からの命令であった。これと似たように映るのは自分だけだろうか?「親という人間2人から、AIという信頼できるところに頼んでいるからいいんだよ」と思うかもしれないが、それにしたってそこに自分の考えは介入していないし、ネタバレしないようにぼやかして書くが、シビュラも大概である。

 音楽が好きで、将来はミュージシャンとして暮らしたいと願っても、シビュラに「音楽の適性はない」と言われたら将来の夢を捨ててしまう。そんな社会は健全なのだろうか?また、そうした状態で生きている価値はあるのだろうか?北朝鮮では未だに言論統制が根強いことは想像に難くないだろうが、シビュラのある世界も似たように映る。「シビュラをぶっ壊す!」と声高に叫べば、それだけで犯罪係数が急上昇して、即座に執行対象となってしまう。何も違和感を覚えないような、超監視社会を作る恐ろしさを目の当たりにした。

 最近読んだ柞刈湯葉先生のSF短編集の中にある、『たのしい超監視社会』と近い部分を感じる。是非こちらも読んでほしい。AIの発達の行く末は、前時代への回帰かもしれない。

3.「紙の本を読みなよ」

 閑話休題。ちょっと話を変える。というか、本筋とは少し逸れた話を。PSYCHO-PASS、特に1期では多くの著作が紹介、引用される。その引用ジャンルも様々で、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に代表されるSF、キルケゴールの『死に至る病』に代表される哲学書、シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』に代表される古典文学というように多岐にわたる。しかも、ただイキって引用しているのではなく、全て意味のある形で引用されるから凄い。個人的に本を読むのは大好きなので、是非この機会にみんなにも本を手に取ってもらいたい。

 章タイトルの「紙の本を読みなよ」は『PSYCHO-PASS』作中のある人の発言である。ここではネタバレしないように誰とは言わないが、作品を見ていけば誰が言いそうかは何となく想像できるだろう。自分も本は現物派なので、この意見には大賛成。やっぱりページは実際に捲ってなんぼだ。漫画だけは多すぎて電子に移行しちゃったけどね。みんな本を読もう!哲学書とか難しいけど、読めた時の達成感は半端ないぞ!ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とかおすすめ!じゃ、次の章に行きます。

4.承認欲求は人をも殺す

 一応こっから少しネタバレになっちゃうようなことを書くので、苦手な人は自衛頼みます。とはいっても、なるべく話の美味しい部分は残しておくつもり。

 作中では、ある仕掛けを使って自分の犯罪係数を低く保ったまま犯罪行為に及ぶ者が現れる。当然街は大混乱…
しないんだな、これが。ここが怖いポイント。目の前で男性が女性に対して馬乗りになって、ボコボコに殴っているシーンがある。しかし、ここで誰かが警察を呼ぶわけではない。事態は収拾しない。では、周りの一般人は何をやっているのか。そう

カメラを向けている。

え?と思うかもしれないが、これである。こんな異常事態が起きても、最初にやることは通報ではなくてSNSでの拡散である。しかも、「誰か助けて!」というような危険を周知する意味での拡散ではなく、「殴られている人いる!やば!笑」といった目の前で起きていることへの当事者意識に欠けるような、いいね稼ぎのような拡散である。自分はこのシーンにとてもショックを受けた。

 数年前、大阪で女子高生が飛び降り自殺をした。その時の様子が第三者によって動画に収められており、すぐに拡散された。どうしてそんなものを撮影し、なおかつSNSに載せて拡散なんてしたのだろうか?それは「他人の命より、自分のいいねの方が尊いから」である。承認欲求もここまでいくと病気だなとつくづく感じる。

 最近では、USJにほぼ下着なのでは?と疑われてもおかしくないような格好で写真撮影をして問題なった女性たちがいた。あの一件も、別にああいった服を着るのが好きなのは止めない。だが、なぜ不特定多数がいるUSJでその格好をして、さらに写真撮影までしたのか。やはり、これも承認欲求だろう。とにかく自分の投稿にいいねがほしい。その考えが行き過ぎると、品性もモラルもない人間が生まれてしまうことを改めて認識した。

 人は社会の中で生きる動物である。誰からも認められず、何も承認されない生き方は不可能といっていいだろう。しかしながら、それにしか頼れない生き方というのも、あまりにも不健全ではないか?自分は趣味でポケモンカードをやるが、一部のポケモンカード過激派はこれである。「誰よりも強くないといけない」と過度に考えすぎるあまり、他者を侮辱したり、極端に礼節を欠いた態度を取ったり、挙げ句の果てにはイカサマをしたりするケースが後を立たない。承認欲求は劇薬である。少しならいい人生の起爆剤だが、増えすぎると身を滅ぼす。「好奇心は猫をも殺す」という西洋の有名なことわざがあるが、まさに「承認欲求は人をも殺す」である。いいねに飢えているインスタ女子にも是非知ってほしいが…どうせ彼女たちはこんなクソ長い文読まないか。「紙の本を読みなよ」。いや、このブログも読んでくれ。


5.作り込まれた世界観

 ここからは作品の含意とは少し離れて、作品の純粋な魅力について考えていく。この作品といえば、アクションとしての面白さは外せないだろう。まず、監視官と執行官に渡されているドミネーター、これが本当にかっこいい。

変形前のパラライザーモード
変形後のエリミネーターモード

 めちゃくちゃかっこいい。対象の犯罪係数が100を超えるとパラライザーモードとして機能し、相手を行動不能にする弾を打てる。対象の犯罪係数が300を超えるとエリミネーターモードに変形し、相手を粉々の肉片に変える弾を打てる。男子は変形武器が好き、なんていうのは『仮面ライダー』シリーズが始まった時から決まっているのだ(僕は全然通らなかったけど)。この武器を使って正確に相手を仕留める執行官、本当にかっこいい。

 しかも、技術の発達はあるが、あくまでこの作品は「刑事モノ」をしっかりと貫いていることも、面白さに拍車をかけている。総監督である本広克行氏は『踊る大捜査線』の監督としても知られており、元々の構想自体はアニメ化の随分前からあったそうだ。そんな人が手がける作品だけあって、敢えてかなり古典的な刑事モノ的アプローチが目立つ。だが、それがいい。 SFだからといって、変に技術や能力に頼りすぎるのではなく、知恵を振り絞って、時には肉弾戦も辞さない。そうしたベタベタな方法を踏襲することで、キャラ同士の関係性やそのキャラ自体の魅力がより浮き上がる。外したことをしすぎるのではなく、他に魅力があるのなら、敢えてクリシェをやっておくのも作品全体の完成度に大きく寄与している。

 そしてSF的なアプローチ。これは『攻殻機動隊』が好きな人たちにはドンピシャでハマるのでは?アレとはまた少し角度を変えたアプローチだが、これはこれで1つの近未来の描き方である。なんなら、昔すぎない分、今の若者には『PSYCHO-PASS』の方が取っ付きやすいかもしれない。ホロアバターに関しては本当にこれから実装されてもおかしくないとすら感じているし、どこまで時代の先を行くのかと驚かされるばかりである。

まとめ

 『PSYCHO-PASS』の世界は本当に面白い。2期になって若干の盛り上がり不足感は否めなかったが、それは1期があまりにも面白かった裏返しでもある。10周年を迎えた『PSYCHO-PASS』シリーズ、今度公開される映画はどうなることやら。次回はそろそろ音楽系のレビューでも。自分の手元にライブ映像が3つも来てしまったんでね、体調治ってリビングが使えるようになったら早速視聴しようかな。では、また次回!

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