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母の短歌 筆談の兄との会話は弾みたり話が何よりの馳走と言いつつ

 筆談の兄との会話は弾みたり 話が何よりの馳走と言いつつ

 耳遠き兄との会話の筆談に チラシの余白を埋めつくしたり

母は、4人兄弟姉妹の末に生まれ、2人の兄と 1人の姉がいた。次兄は昭和20年6月に沖縄本島南部で戦死した。姉は数年前に亡くなり、あとに12歳年上の長兄が残っていた。姉が亡くなったときに長兄は、とうとう二人だけになったなとしみじみと言ったらしい。そのときのことを母はこう歌った。

 「とうとう二人きりになったなあ」と八十五歳の兄は言いたり

伯父は、穏やかな人だった。伯母が亡くなり、荼毘に付す日に、火葬場の控え室のテーブルにばらばらと置かれた菓子を少しばかり、手に取りに、確か手前に寄せるように「これだけ頂きます」と誰に言うのでもなく言った。この世にある糧の中で自分が生きるための最少の糧を頂こうとしている、遊行僧のようなその姿に、私は改めて禅僧として長い道を歩んできた伯父の偉大さを感じた。伯母の遺体が入った棺桶が火葬部屋に送られる時には、観音経を読経していた。

耳が遠くなってからは、母とチラシに文字を書いて筆談していた。冒頭の歌はその頃のことを歌ったものである。それから数年して、伯父は89歳で亡くなった。

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