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昭和の小岩の縁日

小岩の駅前通りに毎月2の日(2日、12日、22日)に縁日が開かれていた。夕方になると露店の準備を始まり、夕食を済ませた人びとが家族そろってやって来た。幼児から小学低学年の頃は、それが楽しみでよく家族で出かけた。駅前通りの千葉街道に近い方から植木市が並び、その先は何の店、それから先は何々と店の場所が毎回、決まっていて、駅近くまで続いていた。屋台ではなくて、地べたに敷物を引いて、その上に品物を並べていた記憶がある。

子どもたちのお目当ては、玩具や人形で、特に雑誌の付録は廉価で、お気に入りが見つかった。先ず植木の方から店頭に並んでいる商品を吟味しながら、購入候補に上げておき、店が途切れる所まで来たら、来た道をもどりながら、お目当ての品を決めて、それを買うというのが、買い物上手の姉のやり方だった。姉は、「よく、どこの店にあったかを覚えているね」と大人たちに誉められていた。縁日には、かなりの人が出ていた。それは、テレビがまだ普及していない時代の庶民の楽しみだった。

この縁日がどこの寺社に関係するのかは、気にもかけなかった。駅前通りには、素通りしてしまう小さな祠があった。調べてみると、小岩箭弓(やきゅう)稲荷神社といい、この神社の縁日だったらしい。わが家にテレビが入った頃から縁日は忘れられて、一家中、夜はテレビに釘づけになった。昭和35年に歩道に花壇が設置されたために縁日ができなくなったらしい。たまたま、テレビが入った時期と一致していたので、その年に縁日がなくなったことも知らなかった。いつの間にかなくなったな位の気持ちだった。

小岩箭弓稲荷神社の縁日が2の日の理由は何なのだろう。今では駅前通りは、フラワーロードと名前が変わり、駅前通り、昭和通り、区役所通りと言っても誰にも通じないだろう。小岩駅から放射状に出ている3本の道路を西からそう呼んでいた。



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