母の短歌 唇の熱きも忘れ
唇の熱きも忘れ六十路来て
肩をふれつつバスの旅行く
「唇の熱きも忘れ」に与謝野晶子の「柔肌の熱き血潮に」の歌を連想するが、母にもそのような情熱が隠れていたのかと感じている。そう言えば、母の普段の理路整然とした落ち着いた語りぶりとは打って変わって時に豊かな感情が表れることがあった。
母の60歳の頃は、退職した父と静かな生活を楽しむことができるようになっていた。短歌会や絵画のサークル等でたくさんの友人ができた。この歌もそのような友人たちとの小さな旅だったのだろう。バスに揺られて旅を楽しんでいる母の顔が浮かんでくる。
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