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「他人の写真は楽しくない」という言葉

船旅をしたときに出会った人で「おれは他人が撮ってきた写真を見ても全然楽しくない。だって、おれはそこに行っていないし、見てないんだから」と言う人がいた。面白い考えだなと印象に残った。いろいろと考えさせられる言葉ではある。

考えさせられるとは、その考えが正しいとか納得が行くとかいうことではなく、新たな視点を提供して、考えるヒントを与えてくれるということだ。だから、その言葉を聞いて、写真というものを考えて見なければならない気持ちになった。

確かに、写真からは、撮影者と同じような旅の共感を持つということは不可能である。見せられた者には共通の旅の体験がない。語り手があそこは良かった、楽しかったと言っても、喜こんでいることは伝わっても、旅の共感は伝わらない。

では、写真の効能はどこにあるのだろう。情報の提供と芸術的感銘の二つだと思う。
①情報の提供
写真からは、言葉で言い尽くせないものが提供される。自然景観や都市景観の写真を見れば、自然や街並みに興味がある人には有意義な役に立つ情報が伝わる。一方、興味がない人には意味がない一枚の紙に過ぎない。
また、古い写真は、今は失われた過去を語ってくれて、貴重な歴史的な価値がある遺産になる。そこから過去の情報が得られる。
②芸術写真
芸術は、現実を芸術家の心を通して表現されたものであり、芸術作品としての写真は、現実そのものの直接的な表現はなく、写真家の手が加わわり、非現実化された形で印象的に表現されている。現実はゆがめられているので、正確な情報はそこからは伝わらないが、対象が何であっても多くの人を引きつける可能性がある。

旅先の有意義な情報を与えない、また芸術写真でもないような、単なるスナップ写真のような見も知らない旅先の写真は、ほとんどの人には興味を抱かせないだろう。それは旅行者の旅の思い出として大切に仕舞われるものである。そういう写真に対して、船旅で出会った人は、他人が撮ってきた写真は見たくないと言ったのだと思う。


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