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人の己を知らざるを患えず  孤高の道

自分が人から理解されていない、人から認められていないと嘆くのは、人間には、人から認められたいという本能があるからで、それを承認欲求というそうだ。承認欲求は、誰でもあるもので、特段異常なことではない。人から認められるということは、地位の安定につながるので、自分を守るための本能とも言える。

承認欲求は、決して悪いことではないが、人により個人差があるようである。認められることは他人の評価なので、自己肯定感の強い人は、左程、承認欲求は強くはない。自己顕示は、承認欲求の具現化したものと思われる。

ひとりは淋しい。それなのに数人の人が側にいるのなら、それだけで満足すべきなのに、人は、さらに共感の名の下に人から認められようとする。人から認められないことを憂いている。

人から認められていないと嘆くのは、古代からあったようで、『論語』には、こうある。

人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり(『論語』学而篇)
(人から自分が理解されていないことに悩まないで、自分が人のことを理解していないことを嘆くべきだ)

孔子の理想的君子像は、自己顕示欲の強い人ではなく、静かに他人の優れた面を理解しようとする人である。

ひとりぼっちというのは、文字通り一人の状態だが、ひとりで淋しいという感傷的な意味合いを感じる。孤独感は、これに似た言葉だが、必ずしも、ひとりの時ではなく、むしろ大勢の中にあって、人生感や価値観が周囲の他人と違っている時に感じる感情である。孤独感を感じても、憂うことなく、他人に迎合しない、他人と違う自分をただ肯定すれば良いのだと思う。
自分に自信があれば、他人の評価は気にならない。絶対的な自我は、相対的な自我より強い。孤高の道は貴い。






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