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新中川放水路

台風が来るとよく冠水した。カスリーン台風後の平井駅の写真を見たことがあるが、舟が出ていた。幸い、わが家は床上浸水までの被害を被ることはなかったが、台風が過ぎた後は道路は冠水し、時には池から逃げ出した金魚が泳いでいた。汲み取りトイレにも水が入り込んだ。トイレが使えなくなった近隣の婦人が使えるわが家のトイレを借りに来たことがあった。

江戸川区の東端には江戸川が流れ、真中を新中川、西端に中川と荒川が流れているが、これらは、開削された河川で放水路と呼ばれた。もともと中川が江戸川区と葛飾区、墨田区、江東区との境を蛇行して流れていたが、それを分断するように戦前に荒川と中川が開削された。それを知って地図をみるとその関係がよく分かる。最後に戦後に新中川が開削された。これによってずいぶん台風による冠水はなくなった。

新中川を完成後しばらくは新中川放水路と言ったが、その名前の通り、葛飾区で中川から分岐して江戸川区を流れる人工河川である。子どもの頃は新中川放水路が工事中で、次第に土手と河川が伸びていったが、流れていない状態が長い期間あり、水溜まりには、ザリガニが生息し、河川敷には草が生えて、山羊がつながれていた。調べれば、新中川は、1963年に完成したらしいが、いつのまにか開削中のことは忘れ、土手に上がれば昔から流れている川のように流れていた。




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