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梅の花と新しい遺伝子と生命の発展

人間はひとりでは生きていけないという考えがずいぶんと浸透した感がある。特にテレビなどで功成り名を遂げた人が語るのを見ると「これも皆様の支援のおかげ」というように常套句として使われている。諸法無我がここまで一般化した、そんな思いである。人は一人では生きられない。多数の流れの交差のする中で一瞬だけ存在している。自分の行為は、人との関係に依存していて、思うようにはいかないことが多く、そこから人間の苦が始まるというのが、仏教的な考えで(さらに突き詰めれば、自分を形作るものは他から由来するという無我の思想に辿りつくが)、反対にうまくいったときも人の助けがあったからという謙虚な気持ちにさせてくれる。要するに物事が成就してもしなくても人間のしがらみから人間は逃れられないということで、一言でいえば、人間は社会的な動物ということに尽きる。そのことは、どうも梅の花のことから人間だけのことではないなという気持ちになった。

友人が、わが家の庭の梅の花が咲いた写真を送ってくれた。写真に添えて、この梅は実が生らないとあった。花は咲けども実の生らず、どこかで聞いた詩のようだが、梅にはオスメスの区別がなく、花が咲けば実が生りそうだが、梅には同じ品種だと自家不結実性という性質があり、実が生らない。近くに別品種の梅の木がないと実が生らず、決して自分だけでは受粉しない。この性質は、他の果物にも見られる。梅もひとりでは生きていけないのだろう。生物は他の新しい遺伝子を必要としていて、これが生命が地球上に発展した理由のようだ。

人間も狭い社会で生きていると次第に衰退していく。高貴な家系を重視して親族同士の婚姻を繰り返していると病弱な子供が生まれる。身分を越えて生まれた庶子や国際結婚に元気な子がいる。これは歴史的に見てもうなずける話である。

人間はひとりでは生きられない。狭い社会は衰退する。いつも外部からの多様な人が必要とされている。生物学的には、人間は常に新しい血(遺伝子)を必要としていて、また、文明論としては、文明は民族が交わり合うところで爆発するということである。すべての人とすべての生き物に生存の価値がある多様性が尊重される。


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