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ひと昔前の忘年会の思い出

今では、忘年会といえば、会食中心のものを想像するが、ひと昔前の忘年会では、かくし芸が会を盛り上げる中心的役割を果たしていた。全員参加で何かしらの芸をしなければならなくなると、無芸の者にとっては苦痛の場なのだが、当時は芸達者な先輩がいて、それはそれで面白かった。かくし芸は、素人が予想外の芸を披露する面白さにあるのだが、中には、上手に「どじょうすくい」を踊る人もいて、素人ばなれした芸には感心した。今思うと、かくし芸は貴重な庶民文化だったのかとも思える。日本旅館のような舞台付のお座敷が会場になった。

コートを後ろ前に着て、ホウキを棹に見立てて、舟を漕ぐマネをして、「蘇州夜曲」等を陽気に歌うという人もいた。中国の水郷風景を思わせるものだった。

ついたての後ろに隠れてタバコをふかし、湯けむりに見立てて、ひとりは上肌を脱いで頭に手ぬぐいを乗せて、ひとりが「いい湯だな」と歌うという温泉芸もあった。バカらしいといえばバカらしいのだが、庶民芸はこういうのが愛されるのだろう。

歌舞伎の弁天小僧の名セリフを披露した歌舞伎好きの友人もいた。これ等は普段の素養が芸になっている。

父が職員旅行の宴会で、国定忠治を演じたらしいが、その写真を見ると、浴衣着の裾をたくし上げて、刀を前にかざしている。

「赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て、国を捨て、可愛い子分のてめえ達とも 別れ別れになるかどでだ」
という新国劇の名セリフを家でも言っていて、御機嫌だった。

忘年会や社員旅行の宴会は、庶民が芸を磨く動機になっていたようだ。近代以前の社会における芸能文化が村祭を通じて庶民に広がっていった名残りを、ひと昔前のかくし芸に感じている。平成になり、カラオケが普及して、かくし芸は、急速にその機会を失い、衰退したと思われる。


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