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11月について


※一部秋田県民の方と筆者の間で雪国や秋田県への解釈に違いがあるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。筆者は都民です。


冬に散歩するのが好きだ。

みんな一刻も早く家に帰りたくて、材質が悪いのか着方が悪いのか、それとも年月が問題なのかちょっとくすんだコートを、ひどく冷たい風にさらわれそうになりながら、早足気味に横断歩道を通り過ぎていく。温かい缶コーヒーを飲みながら、街の中で座ってると、じわじわ寒さが抜けてきて、北風を楽しむ余裕すら出てくる。みんな忙しそうだな、と思いながら、何もしないをするのは、けっこう気持ちいい。

誰も見ていないのをいいことに「ほげぇ」と声がしそうなくらい間抜けなあくびをする。思い出してふっと息を吐き出してみる。白いケムリがフワッと登って行って、きえる。小学生みたいに何度か息を吐き出して、だれか見ているような気がして、やめる。

ハロウィンは終わり、街はゆっくりとクリスマスに傾いていく。赤と緑がベタ塗りされたチラシやポスターがあちこちに見えるし、こっそりイルミネーションを点けているところだってあるくらいだ。「早くクリスマスが来ないかな」とソワソワしている街は、なんだか幼子みたいで可愛らしい。

街に衣替えがあるなら、ちょうどこの季節なのかもしれない。夏の暑さでぼんやりしていた景色が、冬の空気でパリッとクリアになる。気合が入る、ではないけど、なんだか雰囲気が変わるのだ。

夏はカーッと晴れたり、と思ったらザーッと降ったりで、街も街なりに大変だったのかもしれない。冬はじっくりと冷え込んでいくけど、たまに降る雨は心なしか優しい。東京では二、三年に一度、雪が降っているような気がするけど、もしかしたらそういう日は特別機嫌がいいのかもしれないな、と思う。雪は、東北の育ちではない僕からしたら、なんだか優しくて、儚いものだ。東京も東北の育ちじゃないだろうし、同じような気持ちで、ちょっとしたサプライズみたいな気分で、僕らに雪を降らせているのかもしれない。じゃあ秋田県はどんな気持ちで雪を降らせてるんだと言われてもわからない。サドなんじゃないの。でも本当は秋田県も喜んで欲しかったのかもしれない。やたら嬉々として量を食べるよう言うおばあちゃんみたいな感じだ。家庭の味だ。東京なんかに長い間出ていた秋田県民は、帰省した時に雪がバカスコ降り積もっているのを見ると「おいおい、またかよ」と思いながらも、「まぁ、これくらい降ってないとな」と懐かしさと安心感を禁じ得ないのかもしれない。チェーンでぐるぐる巻きの車から降り、横開きの扉を開けると、秋田県が立っている。家の奥の方から懐かしい匂い。「今年は早いじゃん」と言う秋田県に、適当にはにかみながら、雪駄を脱ぎ、「手伝うよ」と言い、台所に並ぶのかもしれない。「またデカくなった?」と訊く秋田県は、なんだか小さく見える。もう30で、背が伸びるはずなんてないのに。その理由に、秋田県民はなんとなく気がついているが、気がつかないふりをする。窓の外を見ると、バカスコ雪が降っている。あぁ、馬鹿だな、と口から漏れる。加減を知らないんだ、こいつ、ホントに。振り返ると、山になった佃煮と、山になった揚げ物が置いてある。「揚げ物好きだろ」と秋田県は言う。もう歳だから胃がキツいんだよ、とか言いながら席に着くと、秋田県はなんだか懐かしい顔をしている。今すぐ食べたいけど、「いただきます」って言わないとダメなんだよな、って顔。これだけは本当に昔から変わらないな、と秋田県民は懐かしく思い、手を合わせる。少し遅れて秋田県も手を合わせる。
いただきます。

僕は秋田県出身じゃない。

何の話をしていたんだったか。

冬になると、物思いが増える、みたいな話だった気がする。

あぁ、そうだ、クリスマスがやってくる。東京も僕ももうソワソワしている。やってくるのだ。忙しくて、疲れちゃうけど、理由もなく心が浮き立つ季節だ。

じゃあ、11月くらいはゆっくりしていたいな、と思う自分もいる。

今回はあんまり書けなかったけど、キリがいいので、とりあえずここまで。


(三楼丸)

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