見出し画像

ネズミの帝国から追われた人のネズミとサメの映画

久々に書こう。書かずにはおれないということで。ザ・スーサイド・スクワッドを見てきました。日本語のサブタイはなんでつけたのか説明頂きたいくらいですが、ダサいという以上にそもそも言葉として言いづらくて読み方も「どっち?」って迷わせちゃうし何の意味もなしてないなっていう。

とまあ愚痴から始まりましたが作品自体はとても素晴らしいです。作品自体にはそもそもサブタイトルもないし。この作品は非常に数奇な運命を経て、今このタイミングで世に放たれるというのがとても興味深い制作過程を経ているなというのも面白い。いろんなことを加味して俺がサブタイというか邦題つけるならシン・スーサイド・スクワッドにしてましたね。会議で出したけどダメだったのかなw

※ネタバレありの内容なのでご注意を。

■おバカ映画のフリして実はそうじゃなかった

ちなみにタイミングという点では、俺の中ではゴジラvsコング、ワイルドスピード、そしてスースクという立て続けにIQがダダ下がりしそうな力押し映画が並ぶから3つ見たら3歳児になりそうとか思ってました。ゴジラvsコングの方はめちゃくちゃ面白いんだけどストーリー自体は数ページ読んだらゴミ箱に叩きこまれそうなこの脚本でよく通ったなって感じだし出てくる人間どもは不愉快極まりない下等生物丸出しだしコングが映ってる時間だけが救いだけどそれでも十分に大スクリーンで金出して観る価値があるという稀有なおバカ映画でした。ワイスピはまだ観てないけどたぶん作ってる人も観てる人もニトロエンジンってそうじゃないって分かっていながらも観てる人が観たいのはこれだからってニトロで解決する映画なんだと思ってます。
ところが一番おバカでやりたい放題であろうと思っていたスースクが実は意外にも非常に知的な内容になってて驚きました。もちろん内容的にはB級ヴィランたちが無茶振り任務で壮絶ド派手に吹っ飛びながらカイジューまで出てくるって感じで画面自体は全力でおバカなんだけど実は知的。そして愛に溢れている。まさにジェームズ・ガンという男の私的映画になってました。

これもうひとつ近いタイミングで公開されたマーベルのブラック・ウィドウが米ソ冷戦の怨念みたいのが主軸にあって冒頭で赤狩りが行われてそれをやっているのがあの世界の善悪表裏一体組織SHIELDだったという始まり方でしかもオープニングにニルヴァーナのSmells like teen spiritのカヴァーが使われるというのもちょっと今回のスースクを見て変な縁を感じました。

世の中にはそろそろ「冷戦」を知らない人たちが増えてきているんじゃないだろうか。ソ連崩壊が1991年なので、うわ、今の30歳の人はもう生まれた時にはソ連がなかったんですね…。

ブラックウィドウもスースクも米ソ冷戦期のアメリカの暗の部分が現代にも及んでいるって話なんですよね、実は。冷戦期には「赤は悪!自由主義社会の敵、ソ連!」って感じで完全に悪者扱いしてきたけど、実際には裏でアメリカは(というかアメリカも)エグいことしてたことが現在では結構明るみに出てます。でも、第二次大戦の時だって核兵器を正当化したりプロパガンダっていうのはずっとそういうものなんですけどね。
で、ブラックウィドウの方ではナターシャがかつてスパイとして育てられたレッドルームという機関が今でも少女たちを暗殺者として育てていて洗脳までしていることがわかり、少女たちを解放しレッドルームを破壊することにするわけですが、そもそもその洗脳のための薬品を研究試作していたのはSHIELDであり、それを盗んだことでナターシャの親役であったスパイの二人と共に逃げるという冒頭のシーンになっていたという。米ソ冷戦期は表立って戦争はしてないけど裏では色々やりあっておぞましい死に方をした人たちも実際いたんだろうなという。

スースクで描かれるのは、ある孤島の国家にある独裁政権が別の武装勢力に倒され、その勢力が反米的であることから彼らが手にした「研究」を破壊するためにタスクフォースX、通称「スーサイド・スクワッド」が送り込まれるという。
ちなみに現実ではアメリカ政府が外国に部隊を送り込んで戦闘行為をするには議会の許可がいるはずで、それをしないでこっそりやってるという話もあったりなかったり。スースクも非人道的な作戦ですし、まあ公にはしないでこっそりやってるんでしょう。犯罪者なら使い捨てても問題ないという無茶な論理で。で、その作戦の目的である「研究」も実際にはアメリカ本土ではできないから独裁政権に手を貸す形でやってた「非人道的」なものだったという。

あれあれ〜?日頃ニュースで見ているアメリカに敵対的な国や勢力がやってることが実は〜?なんて思っちゃいますね。日本のお隣のロケットとか〜今まさにニュースになってるアフガニスタンとか〜。

架空の国で怪獣の実験というコントみたいな設定ですが、実はとてもエグいリアルを描いていると思いました。そして、そこで表出する登場人物たちの人間性もだからこそリアルなんじゃないかと。

ジェームズ・ガンという人、とてもジョークが好きでユーモラスな人として有名ですが、皮肉屋としても有名なんですよね。

■底辺からのメッセージ

この作品をガン監督が撮ることになった経緯は非常に数奇で、彼の皮肉屋としての悪い部分がスタート地点だったりする。

マーベルのガーディアンズ・オブ・ギャラクシーを撮ったことで一躍有名人となった彼が2018年にGotG Vol3の監督から解雇されたのがスタート地点と言っていいと思うんだけど、その原因というのがガン監督の08年〜12年ごろに投稿されたツイートに非常にセンシティブなツイートがあって、2020年の大統領選に向けてアメリカの右派と左派のやり合いの流れみたいので左派のガン監督への攻撃として右派のコメンテーターに槍玉にあげられたんですね。でまあ、キャンセルカルチャーの目立ち始めた時期でもありガン監督は謝罪したものの、そういったことにナイーブなディズニーは監督を解雇したと。これは個人的な感想ですが槍玉にあげた右派の人は結局そうやって相手を貶めるために利用しただけであってそこにツイート内容への真摯な姿勢があったのかはちょっと疑問ですね。それがキャンセルカルチャーの邪悪な一面だと思います。

そして案の定、ガン監督はたしかに12年頃までの自分はそういったジョークを言っていたがその後心変わりすることがあって今はもうないと言っています。そういう人が14年に作ったのがGotGなんです。17年にはVol2も作られました。そして18年の解雇事件に際しては出演者たちがガン監督の再雇用を求めて署名運動に発展して19年に復帰が発表されました。GotGシリーズを見ている人ならあの作品から溢れ出る監督の人間性が感じられると思います。悪趣味にも見えながら、彼は薄汚い世の中で軽やかにステップするように悪なるものに唾を吐いて見せる真に優しいハートの持ち主だと。そしてそれは、自身の過ちや傷ついた出来事に根差しているのではないかと推しはかることもできると思います。いや、ずっと世界が意のままになった人生を歩んだ人にはわからないのかもしれない。
ともあれ、監督が低俗なジョークをツイートしていた時から成長した人間性を間近で感じた人たちの支持が正しかったのではないでしょうか。

おや、そういえばごく最近、日本で同じような出来事がありましたね。過去に残した不謹慎なジョークをもとに今の人物を攻撃することは果たして正しい行いなのでしょうか。人の心は20を過ぎたらなかなか変わらないなんて言われますが、40すぎて子持ちになったら急に人格が丸くなるとか、なんらかのきっかけで人の人間性なんてコロッとかわるものだったりします。もちろん悪い方に変わる人もいますし、人は誰しも少なからず過ちを犯すものだと思うのですが、それが許されず、「正義」っぽいものを振りかざすどこの誰だよっていう万人から攻撃されてしまう世界が今ちょっとずつ我々の世界を侵食しているわけです。スーサイドスクワッドのクライマックスで空から降ってくるヒトデに精神を支配され死んだ体で動く人間を従えて世界を破壊していく巨大怪獣に「底辺の生物」を使って打ち勝つという構図はなんだかキャンセルカルチャーへの「仕返し」に見えなくもないなと思いました。

さて、署名運動のおかげもあってか再雇用されたガン監督ですが、その直前にシュバってきたワーナーが見事監督と契約に成功しています。その辺の経緯などはパンフに結構詳細が書かれていて面白いです。「どのキャラを使ってもいいから好きに撮って。イチオシはスーパーマンだけどw」って感じだったそうな。でも監督が選んだのはGotGのメンバーのようなはみ出しもの(監督に言わせるとGotGは全員、根はいいやつ)を集めたスーサイドスクワッド。
2016年に一度映画化されているんだけど、最近「あの音楽は勝手につけられた」ってエアー監督がお怒りを表明しているように、当時のWBはマーベルに対抗しようとザック・スナイダー監督の作り出した「陰気なDC」というイメージを変えようとして制作面で色々ゴタゴタしてなんか中途半端な作品になりました。あの音楽の付け方はGotGに倣ったような気もするので皮肉な流れですね。まあ個人的な感想ですがエアー監督のスースクはデッドショットがなんで犯罪者になったのかよくわからないし、ただのいい人で「悪が流れで戦ったらたまたま世界を救うことになった」的なストーリーを期待してたのに裏切られた感がありました。あと、終盤がゴーストバスターズの丸パクリじゃんってなりました。正直、キャプテン・ブーメランだけがキャラとして良いなという、あとは何もかもが中途半端でありきたりだなって。音楽の問題ちゃうで。
というズッコケ映画をもっかい作るっていわれてWBの人も困惑したことでしょう。本来はデッドショットも続投する予定でウィルスミスに声がかかったらしいんですが、彼はインディペンデンスデイの続編も断ってジェミニマンを選んだそうなんですが、結果的にはスースクにとってはよかったんでしょうか。インディペンデンスデイはウィルスミスがいても変わんなかったんでしょうか、そしてジェミニマンはそんなに面白いんでしょうか(観てない)。まあ、その答えは永遠に闇の中ですね。
おそらくその代役としてブラッドスポートというキャラが発掘され(たぶん、そんな有名じゃないでしょ知らんけど)イドリス・エルバが配役されるんですが、エルバさんって40代になってパシリムに出たことで一気に花咲いた感じなんですかね。マイティ・ソーのヘイムダルは言っても脇役ですし。エアー版スースクでデッドショットが娘思いのただのいいやつ過ぎて気に食わなかったんですが、ブラッドスポートも娘がいるんだけど幼少期から殺し屋として育てられてて家庭環境は最悪、人の「殺し方」で張り合う、金のためなのか頼まれればスーパーマンでも殺すという「殺し屋」としてイカれてる部分が描かれてて、終盤にスターロに挑む行動原理もラットキャッチャー2ちゃんとの会話から描かれてるんでシナリオとキャラ造形のレベルの違いをひしひしと感じました。ちなみに、(誰がどう死のうが構わんがラットキャッチャー2ちゃんだけは殺さないでくれ〜)と祈りながら観てました。そしたらラストのあれですからね。泣きますわ。

■このくそったれな愛すべき世界

キャラ造形という点でメタ視点ではガン監督が選定し、作中ではウォラーさんによって選ばれたメンバーの中で劇中でブラッドスポートがツッコミを入れたように彼とダダかぶりのキャラだったピースキーパーさん。ところが、この二人の対比こそがこの作品のテーマ性だと思うんですよね。
ピースキーパーは名前の割にめちゃくちゃ残忍だし、命令のためなら女子供もためらいなく殺す。命令というか、世界のため。国家の利益のために非道徳的なことも辞さないのをマキャヴェリズムというのですが、まさにそういう人。だから彼の行動は彼とアメリカにとっては「正義」なんですね。対してブラッドスポートさんに言わせればこの世に正義なんてないってなるんじゃないですかね知らんけど。だってスーパーマン撃ち殺そうとしたんだし。
そういや日本語のクソダサいサブタイトルでは極悪党なんて書かれてますが、そもそもこの映画の中で「悪党」とは誰なんでしょうか。たぶん劇中のキャラクターに問いかけるとバラバラの答えになるでしょう。俺はいつもいうけど正義とか善悪って「立場」でしかないのでね。で、この作品のテーマ性とこの問いかけを言い換えたら「なんでネズミなんだ?」ってなるんじゃないかなと。そしてガン監督が一時とはいえディズニーから解雇通知をくらい、ポリコレ棒で叩きのめされ、それでも理解ある仲間に救われ、そしてWBに再び映画を撮るチャンスを与えられた時に「スーサイド・スクワッド」を選んだ理由なんだろうなと。
この映画の中で描かれるコルト・マルテーゼという島国は架空のものだけどこの世界の縮図であり、コミカルではあるけどあまりにもリアルなんですよね。支配、欲望、暴力、陰謀、そういったもののなかであやふやな正義のために脅迫されて首に爆弾埋め込まれて働かされる「悪党」たち。実際にはその正義を振りかざす国の後始末をさせられるという。そして軽々しく命が消費されていく薄汚れたどうしようもない世界で何にすがって生きればいいのか、何が正解なのか。

愛だろ、愛。

俺にはそう聞こえました。

素性もキャラクター性もバラバラなヴィランたちが最後に巨大怪獣に立ち向かう時、終始情緒不安定なハーレイすらチームの一員となってまるで「アベンジャーズ」でクライマックスにバラバラだったヒーローたちが一丸となりキャプテン・アメリカの指示によってチームとして動いた時のようにブラッドスポートの指揮で冗談みたいな宇宙怪獣に挑む時、彼らをまとめたものって「愛」以外にないでしょ。
監督がGotGで描いてきたもの、そして彼を解雇の危機から救ったものも「愛」なんだから、彼がこの映画で描くべきものはやっぱりそれしかないんじゃないかって。そう思うと、この映画のグロい残酷描写とかケバケバしい演出とかは照れ隠しなんじゃないかって思ったりしなかったり。そうでもしないと割とベッタベタな展開ではありますから。伏線とかももうあからさまな伏線だし、ラットキャッチャー2ちゃんとの親子的な会話の流れから彼女のピンチにドスーンってヒーロー着地のド派手版で落ちてくるブラッドスポートさんとかもうヨ!マッテマシタ!って感じだし。そして小さい弾丸という伏線も回収!そしてブラッドスポートがラットキャッチャー2ちゃんを守るなら、ラットキャッチャー2ちゃんもブラッドスポートを守るというのも有言実行!こんなにあからさまに伏線回収していいんかいっていう。
しかし国家や大義よりも人間を見れる人だから無辜の市民の悲鳴を聞いて見捨てられないというのはわかるんだけど、彼がなんでスーパーマン撃ったのかが気になります…。

まあハイパーおバカ映画を想定して見に行ったら、思いの外政治的なことを描き、監督個人の経緯を踏まえたような道徳観をテーマにしためちゃくちゃ美しい映画だったなと。グロさとケバさが際立つほどに、この映画の根底のシンプルな美しさが際立つというのは本当に監督の腕によるものだと思う。

あと、こちらのツイートを見て知ったんだけどハーレイの描写にも監督の知性と道徳観とかが現れてるんですね。



これ続編を作る予定があるのかわからないけど、ガン監督以外の人が作るとしたら相当ハードル高いなと。群像劇の天才なんだろうけど、どのキャラクターにもちゃんとテーマとストーリーがあって見せ場があって、反乱軍のことまでちゃんと拾いつつ、どう考えても勝てそうにない大怪獣をまさかの大逆転で倒すというストーリーの妙味とかそこかしこに散りばめられたオマージュ、そして撮影テクニックとか別の人が真似してもただの安っぽいパクリにしかならなそうだし、その辺のとこはパンフの中で樋口真嗣さんが事細かに書いてくれてるのでマジでパンフ買った方がいいですよ。これ読むだけで作品の理解度が段違いになるので。だから、ガン監督以外で候補がいるとしたら樋口監督になるのかもしれない。


サポート頂けたら…どうしよっかなぁ〜。答えはもちろん、イヤァオ!