見出し画像

我らは4thと共に

今日は5月4日、英語でMay 4thということで劇中で印象的に使われる「May the force be with you」というセリフにひっかけてフォースの日、スターウォーズの日ということに2012年からイベントなども行われてます。

昨日はファン主導の非公式イベントでローグワン同時上映なんてのもやってました。

ローグワンは俺もベイズのコスプレとかしてますが、いい映画なんだけど制作中のゴタゴタ話が公開前に目立ってて(これはダメな映画になるな)と思ってたら奇跡の挽回をみせたのか蓋を開けたら傑作扱いになっててまあ事実面白い。序盤ちょっとだれる感じもなくはないけど、終盤の怒涛の戦闘シーンと主人公たちのそこまで作ってきたキャラクター像とその結末のドラマがこれでもかって畳み掛けてくるので持ってかれてしまうんですね。

■ベイザーとして気になること

ただ俺ベイズのコスプレしてるからあのスタッカートライトニングの異名を持つ「MWC-35c " Staccato Lightning" repeating cannon」というチート武器がどうやって背中に付けてるんだろうとかずっと気になってるんですが(コスプレとしては結構強引に付けてます。首後ろだけ付けると背中から浮くから劇中みたいにならないんですね)、そんなことよりもっとずっと気になってることがあって。

これ未見の人にはネタバレになりますけどね。

ベイズだけ死に方適当じゃね?っていう。

初見の時はジェダ寺院の守護者だったはずが過去に色々あってフォース信仰を捨てていたのにチアルートを看取ってマントラを唱え「I(我)」を「We(我ら)」に変えて突っ込むシーンに感動してたんですよ。

でも、あれって結局無駄な特攻になってるような…

他のメンバーってデススター の設計図を届けるっていうミッション達成の過程で命を落としてるんですがベイズだけは違う。特に彼だけは異様なまでの帝国への憎しみを抱えて守護者から帝国兵絶対殺すマンになってて(ソウのとこに囚われたときのボーディ見て牢屋の中なのに殺意全開になるのとか狂気でしかない)、その原因は俺小説読めてないからわからんけどきっとチアルートが盲目になったことにも関係してるんでしょう。そういう人がそのチアルートを看取って再びフォースマントラを唱えたのに、ボーディが死んだのを察知して脱出できないと思って取る最後の行動がデストルーパー数人を道連れにするっていうのはちょっと救いもないし悪言い方すれば犬死ではないかって何度も見てたら思うようになってしまって。

マジでこれに対する明るい希望ある考察があったら教えてください(土下座

俺の見方としてはこれはどっちかというと製作都合的なメタな話なんだけどベイズの死に方としては以下の4通りくらいは考えられるんですね。あの時点で設計図は送信されていたので設計図に絡む展開はどうしようもない。

1)チアルートを抱いたまま爆風に飲まれる
2)そもそも特攻シーンをなくして生死をぼかす
3)相討ちに値する敵を用意する
4)あそこにいるデストルーパーが全部でデストルの脅威をなくす

1は個人的に一番あるべき終わり方だと思うけどジンとキャシアンとだだ被りになるんで避けたのかなと。正直ブロマンス扱いされるほどのあの二人、ベイズは帝国兵殺す以外はほぼチアルートを守ることに人生捧げてる感じなので、あそこで彼の遺体を離れるという行動は考えてみたらナシじゃないのってなるんですが。

2は、まずこの二人の前日譚は劇中で全く説明されないので十分スピンオフ作品になりうると思うんですね。チアルートの盲目以外にも実はベイズは足を悪くしてるんですよね。膝の悪いプロレスラーみたいな走り方してるし。あのツギハギ装備のことも気になるし。更には実は生きていてその後の反乱軍でも活躍したなんてのもアリだと思うけど、そういう「希望」をなくすためにはっきり死を描く必要があったのかなと。とはいえ、とりあえず前日譚やってよw小説はあるんだしw

3と4については尺の問題で無理でしょうね。逃げるクレニックを仕留めるなんてのもありっちゃありだけど、自らの野心の象徴であるデススター に焼かれる方がクレニックの最期としては美しいですしね。4についてはドラマならデストルの秘密なんかも描いてその後にデストルが出てこないのはなぜか的な話として面白くなると思うけど映画の本筋とはズレますからね。その意味でも実はせめてベイズだけでも生き延びてて、デストルを抹殺したって風にしてもいいと思うし、もしかしたら製作サイドとしてはあそこでベイズが倒したので全部だったからっていう感じなのかもしれない。

てなことを考えた結果、なんか最終的にできたものが作り方としても劇中のキャラクターとしての行動としてもある種投げやりなのかなって。まあ、そういう些末な気掛かりも全部かっさらえるほどのゴリ押し展開だからいいんですけどね。

■憎しみはダークサイドに繋がる

せっかくの記念日なのに相変わらず憎しみが溢れてるな〜って思ったのが

例のごとくシークエルへの憎しみなんですが、まあこの記事の大まかな批判は分かるんですよ。

ただわざわざ時代を離して新世代を描いた続編3部作とマンダロリアン、クローンウォーズなどをキャスリーン・ケネディとデイヴ・フィローニという括りでルーカスが作った「街」から道を敷いたものという分け方は、これははっきりと間違った捉え方だと言えます。

この例えで言うならフィローニが作ったものはルーカスが開拓した街に更に便利な施設を作ったような「発展」であってシークエルは遠くまで道を敷いて新たな街を開拓したと言うべきですよ。

この記事でもちょっと触れたけど、シークエルを補強するような話はこれから出てくるんじゃないかっていう(批判に負けてくじけなければw)

クローンウォーズやマンダロリアンのようなスピンオフから得られる満足度「これが見たかった!」っていうのはやっぱりルーカスが作った6本ありきなんですね。そこで出てきてるキャラクターを使ってるわけだし。

上で書いたベイズとチアルートの前日譚だったり、実際作られるキャシアンのスピンオフなんかも「見たかった」と思わせるために作られるわけですし。だからレイが捨てられた前日譚やカイロレンが生まれる前日譚が描かれればシークエルの理解度と評価は上がると思うんですが。

ちなみにプリクエルが公開された時はビークルのデザインにも賛否両論あったし見たことないものへの拒否感強い人って多いんだなって印象がある。当時は結構批判の声も大きかったのにクローンウォーズが出てからはそんなのなかったかのような感じがしてます。

だから「見たことある」ものだけで作れるスピンオフは強い。そういう安心感を土台にして新しいキャラや設定を補足していく感じになるとうまくいくんだと思う。そういう意味ではローグワンは中盤までかけてキャラクターへの理解を深めるのはうまい作り方になってるのかな。

あとはドラマやアニメのシリーズものっていうのも長い時間をかけて視聴者の理解を深められるので二時間そこらの映画とは得られる情報量が全然違うんよね。

だからシークエルを補強するスピンオフ作品が作られたらまた評価は変わるんじゃないかなって思うので、今のうちから恨み辛みを募らせて書き綴っているのは、後で恥ずかしいことになるかもしれないし、精神衛生にもよくないんじゃないかな。まー昨日今日のファンイベント見てると俺はほんとかる〜く楽しんでるレベルの人間なので人生捧げてるレベルの人たちは思い入れが違うんでしょうね。

この記事が参加している募集

サポート頂けたら…どうしよっかなぁ〜。答えはもちろん、イヤァオ!