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線維筋痛症が完治した人の話しをもっと聞きたい

2009年から激痛に苦しんで来ました。線維筋痛症については色々調べて来ました。最初の頃は疼痛性障害かなと思いました。メンタルも関係しているのかなと思いました。身体表現性の痛みもあると思いました。

疼痛の患者を9人持っている医師の治療を受けていたこともあります。女医さんで解離が専門の医師です。激痛が始まる2年前にカウンセリングを受けた後辺りが暗くなり、これが正気の最後かと思いました。

それに先立って2ヶ月間、主人の無視が続いていました。怒って一週間ほど無視を続けることはよくあることでしたが2ヶ月の無視は初めてでした。いつも怒っている理由を話してくれないので何で怒っているのかさっぱりわかりません。

2007年に辺りが暗くなった後表象幻視が続き一週間一睡も出来ませんでした。それについても書いているので読んでみてください。

次の日に表象幻視のことをノートに書き起こすのに7時間かかりました。一週間経った時友人が近所の目眩で通院していた医師のところへ車で連れて行ってくれました。その頃には天使が見えるようになっていました。

医師は睡眠は個人差があるから眠れなくても大丈夫と言いました。でも待合室で待っている間に解離してしまいました。看護師さんたちが今日は同じ症状の患者さんが3人いると言っていました。11月のことです。

看護師さんが運転して、もう一人看護師さんもついて一緒に救急指定の精神科病院に行きました。医師の面談を受けた時はマリアに解離していました。だから医師の今でも暴力を受けていますかという質問に「はい」と答えてしまいました。主人は暴力を振るったことは一度もないと平然と嘘を言いました。

マリアは暴力の記憶を持った人格です。マリアのおかげで3ヶ月暴力の間隔が空いたら夢のようだと思っていたほど繰り返し暴力を13年に渡り受けていたのに記憶があるのは4度だけです。妊娠中避けても避けても繰り返しお腹を蹴られた時と初めて頭を殴られた時、空手チョップでなぎ倒された時に長男がお母さんを虐めるのはやめろと向かって行ってひょいと抱きかかえられた時です。

わたしの言っていることが真実で夫が言っているのが嘘なのに大抵の人は夫の嘘を信じてしまいます。結局暴力を振るわれたという妄想を持っているとされてしまいました。医師に解離のことを、いくら話してもそんなことあるわけがないと信じてもらえませんでした。しばらく通院した後初めてDVについて信じてくれてアザレアを紹介されました。アザレアでは地元の相談窓口を紹介されて通院の度に相談していました。

カウンセリングのあるクリニックに転院しました。医師はロールシャッハテストの結果などからどこも異常はないと言いました。一週間一睡もしなければ躁になって当たり前だと言っていました。その診断も信じられませんでした。必死で解離を診てくれる医師を探しました。そして見つけたのが名古屋の榎本和先生でした。

診断名はDVによる複雑性PTSDでカウンセリングの失敗が原因だと言われました。カウンセリングはとても危険な治療だから1時間1万円以下の安いカウンセリングなんか受けちゃ駄目よ。薬では治らない。トラウマ対応のカウンセリングで完治する。わたしが勧めるカウンセラーからカウンセリングを受けるように言われました。しばらく名古屋に住んで治療を受けていました。

その時痛みの治療で処方されたサインバルタで躁転して解離してしまいました。結局痛みは良くならず地元の医師に精神的なものでそれほどの痛みが出るとは考えられない。神経内科に紹介されました。

神経内科ではボルタレンが処方されましたが全く効きませんでした。その後リリカが処方されましたがリリカもわたしの痛みには効きませんでした。ペインクリニックに行くように言われました。ペインクリニックの医師はリリカは脳が発する痛みには効かないと友人の心療内科を紹介されました。

解離もパニックも治りました。激痛だけが残りました。線維筋痛症と診断されたのは今年3月のことです。その前にamebloで栄養療法(オーソモレキュラー療法)で線維筋痛症を実践して完治した人のブログを読んでいました。4月に新宿から東京駅八重洲北口から徒歩5分のところに移転して名称も『みぞぐちクリニック』と変わったクリニックで血液検査を受けて通院して来ました。みぞぐちクリニックのスタッフには線維筋痛症が時間がかかったけど完治した人がいると聞いています。でも本人の話しは聞いてないです。

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