僕の人生②

前回の続きから書きます。この思い出を思い返すと、とても辛いですが自分の人生をざっくり書き留めておきたいというだけのものですので、本当に、軽く読み飛ばしてもらえると幸いです。

引き取られる日のことも、なんとなく、けれど強く覚えています。とあるなんの変哲もない日の夜、満月みたいな月の日でした。この月を見たら、夏目漱石好きならかの文を、マック好きなら月見バーガーを、そうでなくても、それぞれに何かしらの思い出があることと思いますが、僕の場合はほぼ満月みたいな月をみるとなんとなく、この日を思い出します。その日、車には僕だけが乗せられました。いつもなら何人かの友人達と共に車にのってお出掛けをするのですが、その日は僕だけが乗っていました。そして、最寄りの駅のオフィスビルのふもと、なんの変哲もない場所で女の人に会いました。その時、最初の印象が全然違ったので、その人が母だとは思っていませんでした。けれど、色々な状況からその人が母だと察しました。

このとき僕は、素直にうれしいとは思えませんでした。父と母のような人達と、半兄弟みたいな人達と一緒に過ごした日々は、別れという寂しさを産み出していたのです。ここでこの人に引き取られれば、もうあの日々は戻らない。それがとても寂しかったのです。でも、大人の世界とは非情なもので子供のそんな気持ちなど考えられず、引き渡しとなりました。引き離されるとき、サンマをきれいに食べてほめられたり、勝手に冷蔵庫のアイスを食べて叱られたり、ピアノで地獄を見たり、海岸で夜に光る生き物を見たり…、そんな日々に思いをはせていました。それは僕だけではなく、預けられていた…いや、育ててくださった第2の父と母も同じだったようで、離れていくとき、鼻をすする音が聞こえていました。このとき、僕は手を降っただけになってしまったことを未だに心残りに思います。ワンピースのサンジみたいに、クソお世話になりましたの一言でも言えれば、この後悔はなかったのでしょうが…。

それはさておき、この日から僕一人と母一人、二人の生活が始まったのです。ここからの日々は、はっきり言って怖かったです。覚えていないことが多いのですが、断片的に覚えているのは優しい母と怖い母、これがコロコロ変わるので、僕としては本当に怖かったということです。包丁を喉にあてながら、真顔で謎の言葉をぶつぶつ言ったかと思ったら、急に嘘だと笑い出す、起こしてと言われた時間に起こしたら、叩かれ蹴られて怒鳴られる。かと思ったら、泣きながら、ため息をつきながら撫でられる。正直めちゃめちゃでした。でも、日に日に状態はよくなっているようで僕が児童相談所へいくこともめっきり減りました。普通に保育園へ行って、母に迎えられて普通に家に帰る。普通に近づいた日々のなかで、段々と母の暴力も躾なのかなと思うようになりました。冷静に考えると、なにもしてないのに起こすだけで叩かれ蹴られるのは異常でしたが、僕にとってはそれが普通の親像だったのです。

そんな毎日が続いたある日、僕にとって大きな、2つの転換点が訪れました。それは、僕には実は弟がいるらしく近日中に引き取る予定だということ。もうひとつは、母に結婚間近の男性がいたということです。

ここから先は次にかきおこうと思います。駄文でしたがお読みいただきありがとうございました。

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