自分との対話 なぜ南極に行きたいか

車の運転を覚えてからというもの毎週末は県内の田舎に逃亡して風の音を聞きながらぼーっとするのが習慣になりました。

元々内向的で(誰も信じてくれない 笑)、時間が有り余っていた学生時代はSNSもなかったから自分と話す、まあ思考を突き詰めるということをよくやっていました。
おかげさまであんまり行く道を悩むという悩みはほとんどない人生です。性格が単純なだけ説もあるけど 笑。

さて、なんで南極に行きたいかを考えてみたら大まかに言うと理由は2つ、
① 自分のためと②大仰だけど人のため
らしい。

① 自分のため
シンプルに見たことがないものを見てみたい。
理由になってないけどこれが一番強い。

一度しかない人生、というより一度しかない自分を大切にしたい。
人生も一度しかないけど、それ以上に自分という存在、この思考や経験なども一度しかないはず。死んだことないから分からないけど仮に生まれ変わったら多分自分じゃないから。その自分を大切にしたいし、ちょっとだけでいいから見てほしい。まあそれくらいの承認欲求はあってもいいでしょう。

ちなみに任国へ行く前は行ったら何者かになれるかもというのは少しありましたが、同じことを南極に期待することは全くないです。
どこかへ行ったからって自分は大きくは変わらない。いい意味で。任国の広い大地と人々がそう教えてくれました。
ただそこで会った人との触れ合いや経験は水滴が少しずつ岩の形を変えるように、少しだけど確実に自分を変えたかもしれません。

② 人のため
と書くのは「何を勘違いしているのか」と言われそうだけど、少なくとももう1人の自分に徹底的に批判させたけどしきれなかったのでこう思う。

変わった人と人から見られ、それでよしと思うということから、関東基準の快晴の空くらいはっきりした変人だけど、10数年間それぞれ短期間だけど人様の人生のある期間に深く関わらせてもらってきました。
その中にはいまだに連絡をくれて、繋がっている人もいる。
その中の何人かは任国へ行く時にローカル番組とかで映った自分を見てすごい仕事をするように見えて憧れをもったみたいです。
実際は虫けらみたいに小さくてカオスな自分だけど、どうやらある範囲では自分は自分だけのものではないようです。
彼らもこれから悩むことがたくさんあるだろうけど、そんな彼らに私の生きてなんかをやっていることが希望になるならこれは冥利に尽きることではないのか、と。
無理や無茶はしない主義だけど、彼らのためになら全力で格好をつけたいです。私の本業は俳優に喩えられることもありますので、観客の期待に応えるのは俳優の義務ですしね 笑。

誰かのためにそういう存在になれるというのは大変光栄であり、ワクワクしかない!


要は南極に行きたいのは自分の好奇心と人に希望を示すための2つに尽きるんだろうな。

そんなことを今日は元職場の近くで思う。

あの時泣かせてしまった人には叶うことならもう一度だけでいいから会って謝りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?