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実は東京より狭い東川町 移住希望者は住宅探しに一苦労

面積の3分の2が山林

 大雪山系の主峰、旭岳(2,291m)のふもとに広がる北海道東川町。北海道らしい広大な町だと思いがちですが、実はけっして面積の広い町ではありません。総面積は246.06平方kmで、大阪市(225.21平方km)と同じくらい。全道179市町村の中では真ん中より下の119番目です。

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 問題なのはここからで、総面積の3分の2が旭岳をはじめとする山林です。つまり住宅や商店、工場、水田や畑などの農地は、残る3分の1の平地に密集しているわけです。人が暮らし、農業や商業、木工など経済活動に適した平地は、せいぜい80平方kmほどしかないのが実情です。

 ちなみに80平方kmという平地の面積は、屈斜路湖(79.75平方km)や礼文島(81.33平方km)と同じくらい。東京ならJR山手線の内側(約63平方km)より少し広いけど、都心と副都心を合わせた計99.78kmよりは狭く(この場合の都心は千代田、中央、港の3区、副都心は新宿、渋谷、文京、豊島の4区)、海外なら香港の香港島(80.4平方km)と同じくらいの広さです。

 このあたりの話は、私が編集に携わる東川町史第3巻の第1編第5章「人口8千人からの挑戦」でも、第2節「適疎(てきそ)のまちづくり」で分析してみました。東川町史は東川町のホームページで公開中です。PDFファイルのため少々読みにくくて恐縮ですが、よかったらごらんください。

減る農地 足りない宅地

 平地が狭いということは、移住人気が高まる東川町にさまざまな制約をもたらしています。というのも東川は有数のコメどころとして知られている通り、家具木工業などと並んで農業が基幹産業です。80平方kmという平地面積の大半は水田が占めています。

 このため移住希望者が増えているからといって、新たに住宅地を造成する場合は農地を地目変更して宅地に変えていくしか方法がありません。

 東川町では1990年代半ばから民間や町の土地開発公社による大規模宅地造成が始まり、現在も続くゆるやかな人口増加を実現することができました。

 ただこの過程でも農地が次々と宅地に変わり、90年代後半には大規模な工場用地の造成も行われました。また2012年(平成24年)に着工した東川小学校の移転新築事業では、一気に約16ヘクタールもの農地が学校や周辺施設の用地に転用されました。

 町内への移住希望は依然堅調ですが、これ以上水田をつぶすことは、基幹産業保護の観点からも、また開拓農家の子孫が多い既存住民の心情からも、なかなか難しいことだと思います。

 こうした事情から、特に需要が多い市街地周辺では民間による大規模な宅地造成はもう長く行われていません。町の土地開発公社は毎年、学校を維持する目的もあって全町に4つある小学校の校区周辺で計画的に宅地を供給していますが、需要が高い市街地区での宅地造成は用地不足に加えて、地価や造成にかかる費用が上昇しつつあるため難しくなってきているそうです。(東川町土地開発公社が供給している宅地はこちらから)

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写真は市街地はずれの西町9丁目で1年少々前に販売開始された分譲地のウェストヴィレッジ。価格帯は1区画120坪くらいで400万円〜500万円ほど。雪解けを迎えて住宅が次々新築されています(2020/04/11撮影)

「適疎」という考え方の背景に

 東川町は「適疎(てきそ=過密ではなく過疎でもない適度な状態)」という造語を使って、現在と同じ人口8千数百人程度が、町のちょうどよい人口規模だという考えを示しています。

 逆にいえば今後人口を、9千人、1万人と増やしていく考えはないということです。背景には、町内の宅地不足という事情も色濃く反映されていると、筆者は考えています。

 東川町内では賃貸アパートの家賃も旭川並みに高止まりしている一方、空室もきわめて少なく、移住を希望する人には、仕事探しに加えて住む場所を探すのもなかなかたいへんのようです。

 下のファイルは少し古いですが、昨年12月時点の町内民間アパート空室情報です。東川町役場が定期的(2、3カ月ごと?)に集計して、ホームページ(HP)上で公表しています。このほか町営住宅の募集なども、町がHPの「トピックス」で随時公開しています。たまにチェックしてみることをおすすめします。


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