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嬉しいと思う気持ちを大事にして、日々感謝することをこころがけてみたら、最近自分の幸福度が上がってきました

子供の頃に読んだエッセイが、すごく心に残っています。

ニュージーランドでホームステイした女性の話でした。

滞在日初日に、歓迎の気持ちを意を込めて、家族全員と一緒に外食に連れて行ってあげるというのです。

ホームステイ先の子供たちは大喜びで、彼女もどんなに豪勢なレストランに連れて行ってもらえるのかと期待に胸を膨らませていました。

そして、訪れた先が、マクドナルドだったのです。
彼女は一瞬「えっ」と思いましたが、子供たちは満面の笑みで、目がキラキラ輝いています。

有名シェフの料理や高級レストランでの食事でなくても、皆が自分を迎えてくれるという温かさと、一人一人が充分に満たされたなかでの食事は彼女の生涯にもっとも記憶に残る思い出の一つになりました。

そして、彼女は悟りました。

人の幸福度は、本当にお金などで測れるものではないなぁと。

与えられた環境のなかで、どれほど嬉しいと感じることができたか、どれだけ笑顔ににることができたか。

ほんの些細なことにも、喜びを感じとれる人になりたい。

雨上がりに虹を見つけた、だし巻き卵をいつもより上手に作れた、嬉しいと感じた瞬間に、心の中で「嬉しい」と言ってみる。
それを最近、習慣にしていこうと思っています。

幸せを感じる基準のハードルを低くすれば、人生における幸福度が増してくるのを感じます。

同じ場面に出会っても嬉しいと感じることができる人と、そうでない人。

分かってはいるけど、なかなかできないのも本当のところですが、そういうふうに思っていこうと心がけていると、以前よりは、幸せの感度が高まったように思います。

そして、感謝の気持ちをもつことも、幸福度をあげてくれるなと最近気づきました。

昔から言われていることですが、なかなか自分にあてはめることができなかったのです。

でも、昨年身をもって、当たり前が当たり前ではないことを悟りました。

昨年、夫は脊柱管狭窄症の手術で入院しました。

半年前には、毎朝健康のために、二人でウオーキングしていましたが、夫の脚が痛くて歩けなくなり、徐々に行く距離も行く回数も減っていきました。

そんな大きな病気が隠れているとは知らず、接骨院に通い、運動を続けていたのですが、あまりに良くならないので、ようやくお医者さんにかかりました。
病状はかなり悪く、手術以外に方法はありませんでした。

ウオーキングして、健康を保とうと日々過ごしていたのが、できなくなりました。

60代の夫が、まさか、歩くことができなくなるなんて、思いもよらないことでした。

二人で当たり前のように、ウオーキングしていたのは、当たり前ではなかったのです。

多くの人が言っています。
当たり前の日常をなくして、始めた当たり前ではなかったことに気づくのだと。
まさしく、その言葉につきます。

今、又徐々に、ウオーキングを始めていますが、半年ぶりに二人でウオーキングに出られたときは、ありがたいなと心の底から感謝の気持ちが沸き上がりました。

日々の生活を振り返ってみると、今自分がどんなに恵まれているかがわかります。

歩いて買い物に行けること、湯船につかってお風呂に入れること、ひもじいい思いをすることがないこと、言い出したらきりがありませんが、そういったことを当たり前だと思わずに感謝できる自分になりました。

感謝の気持ちが湧いてくると、心は穏やかになって、自然と笑顔になっている自分がいます。

嬉しいと思える気持ちを敏感にキャッチできる人でありたいと思います。

そんな瞬間を見逃さずにキャッチして、私の幸福度を少しずつ上げていこうと、只今、練習中です。










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