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西赤石山(にしあかいしやま)

愛媛県の石鎚山系に西赤石山(1626m)と東赤石山(1706m)の、マイナーな山があります。
とは言え素晴らしい山で、その名の通り赤い石の山です。

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植林された木々がとても美しい山で、尾根から広がる森林を見ていると感動を覚えます。
この西赤石山の中腹に、我々日本人が知っておかなければならない遺産があることをご存じでしょうか。

別子(べっし)銅山は、1690年から1973年までの282年間で70万トンもの銅を産出した世界に誇る鉱山です。住友財閥が開発を行い、日本の近代化に寄与しました。
この銅山の初期の大規模な遺構が、今でもひっそりと山中に佇んでいることを知っている人は、日本人でも少ないでしょう。
ここには最盛期で3700人もの人が暮らし、病院や小学校などが整備され鉱山と言うよりも一つの街を形成していたのです。

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明治32年8月28日に大事件が起きます。
日量325mmの豪雨がこの銅山街を襲います。
これによって激しい土石流(山津波と表現されています)が発生し、死者は513人にも及び、鉱山街は一瞬にして消滅してしまいました。
壊滅的な被害を引き起こした土石流の最大の原因は、鉱山の煙害により山の木々が枯れていたことに加え、生活に使用するため木々を常に切り出していたためにこの一帯が広大なはげ山となり、山の保水能力が完全に失われていたことでした。

多くの鉱山夫や、街を維持していた女性たち、子どもたちが亡くなりました。

伊庭貞剛(いばていごう)という人物がいました。
彼は住友総理事でしたが、この惨状を受けてなんと毎年100万本以上の一大植林事業を開始します。
「山を荒らすことは天地の大道に背くことであり、行いを償い、もとの大自然にかえさなければならない」
彼は急峻な赤石山山系に、幾多の困難を克服しながら徹底的な植林を行い続けました。
島根県の石見銀山もそうですが、日本には太古より自然を敬う精神が宿っており、日本人は世界で唯一、古来より緑化再生を行ってきた民族です。
伊庭貞剛は企業の社会的責任の先駆者と言われており、この後も積極的に環境汚染、公害問題に莫大な費用を投じて対策を講じたのです。

今年は2月の初旬より中国は旧正月によって活動レベルが低下し、日本に飛来する大気汚染が非常に少なくなっていました。
しかし旧正月も終わり、数日前から大量の大気汚染物質が日本に飛来しています。
特に関東は、恐らくこの冬最大の汚染レベルを経験していることでしょう。
しかしマスコミは、残念ながら全てスギ花粉の話題にすり替えてしまうでしょう。
今起きているアレルギー現象の本当の理由が何なのか、誰も追求しないでしょう。
政治家も何も言いません。企業もだんまりです。マスコミはひたすらスギ花粉を悪者に仕立て上げます。

今の時代、伊庭貞剛のような企業人はいるでしょうか。
自然を愛し、自然を敬い、行動で示すような立派な企業はあるでしょうか。
世界における日本人の役目とは何でしょうか。
日本企業は、世界に対して何ができるでしょうか。
今一度、日本人は過去においてどのようなことがあったのかを学ぶ必要があるでしょう。

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このワンちゃんは、山を下りるときに先を歩いてずっと道案内してくれた野良犬です。もう一匹真っ黒な野良犬が一緒にいたのですが、とても恥ずかしがり屋で、カメラを向けると木の向こうに隠れてしまうのです。でも常に可愛らしい黒いお尻と尻尾は見えていました。

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