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神代三陵巡り旅 2/2

 記事を執筆している現在、台風10号はちょうど薩摩川内さつませんだい市の真上を通過しているようです。
 わずか2日前にこの旅で薩摩川内に自分がいたことを考えると、今回もなかなか鋭い直感で悪天候を避けて旅ができたことに感謝しています。
 昨日は宮崎市でも突風が荒れ狂い、台風の中心から離れているとは言え、被害がそれなりに発生しました。
 私は当初この台風が発生した時点で気象庁の予報が完全に外れることと、南九州へまっすぐ突っ切ってくるところまでは予測していたのですが、このあと台風は玄海灘から日本海へ抜けると読んでいました。
 しかしどうやらこれは外れるようで、予報ではこのあと台風10号は四国へと向かうようです。
 被害が大きくならないように祈りたいです。

 さて、気を取り直して旅の二日目のレポートです。

 薩摩川内で一泊した後、二日目は神代三陵かみよさんりょうの最後のひとつである鹿屋かのやにある吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ)へと向かいます。
 二日目も晴天。台風が接近しているので午後から天候が下り坂と読んで、午前中が勝負です。

吾平山上陵入口

 神武天皇の父、ウガヤフキアエズの御陵(以下お墓)とされている吾平山上陵は、私が最も好きな場所です。
 神秘さと神聖さにおいて魂に響くものを感じることができ、早朝に訪れると賑やかな鳥の鳴き声だけが渓谷にこだまするのです。

 上陵の造りは伊勢神宮に似ており、川を利用した禊場などもそっくりです。もちろんここも宮内庁直轄地です。

神聖な雰囲気を感じることができる

 高速道路の工事通行止めによって到着が予定よりも30分以上遅れたため天候の読みに狂いが生じてしまい、着いた時には台風の影響でかなり雨が降っていました。
 ところが着いて車から降りた直後から雨がさっと上がり、急に青空が見えて日が差し始めました。
 あたりは絶壁で急峻な谷間になっていることもあってここだけが晴れているようで、偶然とは言え参拝を歓迎していただいたような気持ちになりました。ありがたいことです。

 訪れるのは5年ぶり、5回目くらいでしょうか。
 相変わらず静かで、私しかいません。

鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る洞窟

 ここは非常に珍しい洞窟の中にあるお墓です。
 みなさんもご存じの宮崎県のパワースポットである鵜戸神宮うどじんぐうも同様に洞窟であり、鵜戸神宮はウガヤフキアエズを祀ることから、ここ吾平山上陵こそが今の日本の歴史の全ての原点になるのだろうと思います。
 約7千年前の鬼界カルデラ噴火や高千穂峰たかちほのみねの噴火による恐るべき自然災害を経て、日本人は自然の神に対する畏怖や畏敬の念を強め、自然への信仰を深めて今に至るのです。

 この大災害を生き抜いた彼らは、新たな地を目指して旅に出ます。
 そのひとつが現在の宮崎市であり、そこで発展を遂げた後に畿内へ向かいました。
 この地から宮崎へと出立した場所が今でも伝承で残っており、それが志布志湾の南端、肝属川の河口付近です。

肝属川河口付近

 恐らくこの当時、依然として地域全域が海もしくは移動が困難な干潟になっており、道なき道を陸路で宮崎平野に向かうには難しかったため、この場所より船によって移動し、宮崎へ遷都したのではないかと思われます。

 かくして私の神代三稜巡りの旅は終わりました。
 日本の壮大な歴史を少しでも多くの人に興味をもっていただきたいと思い、紹介しました。
 最終的に天候にも恵まれ、ありがたい旅でした。

[ おしまい ]


※使用カメラ OM SYSTEM OM-5
※使用レンズ M.ZUIKO DIGITAL ED 12-45mm F4.0 PRO



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