役割という服を脱いで
執筆者:檸檬
「最近のママってさー、ケッキングだよね。休業中。」
突然、飛んできたひとこと。
ポケモンLOVEな息子からだ。
「あはははは、ドンピシャ!そのとおり!休んでる。回復中。」
ご存じでない方は、インターネットで「ポケモン ケッキング」とぜひ検索して頂きたい。
公式の「ポケモンずかん」では、
とある。
息子はいつも私をよく観察しているのだ。
混乱・あがき
元パートナーから、子どもとともに避難したのは、昨年のこと。
その経緯については、やっと薄いかさぶたが出来てきた状態だから、まだそっとしておきたい。
それでも、つい2か月前までは、頭の先から、ぐわぁんぐわぁんと、とぐろを巻くような、怒涛の感情が押し寄せてきて、世界中から「お前はおかしい。みんなそう思っている。誰も助けてくれない」と全否定されている感じだった。
繰り返し耳にした否定的な言葉の渦に占領されてしまうような毎日。
私はとても混乱していた。
以前は当たり前のようにできていたことが、できない。色んなことに興味を持ち楽観的で行動派だったのに、怖くて動けない。
こんなはずじゃないという自責の念と、思うようにできない罪悪感。
繰り返す内省と自分への疑い、自信の喪失。
子育て、家事、立ち上げた仕事、元パートナーの仕事、ボランティア活動、PTA役員など、たくさん乗り越えてきたのに、何故か動けない自分がいた。
私には価値がない?どうしてこうなってる?
気づき
そんな混乱をどうにかしたくて、さまざまな窓口や医療・支援グループに相談を予約した。
自分の感情や困っていることが、自分でもよく分からず、うまく言葉にできなくて、もどかしかった。仕事ではテレビで商品のことを喋り続けるのも平気だったし、子どもについてもいくらでも話せる私だったのに。
「これは、私じゃないんです、誰も信じてくれないかもしれないけれど」
そんな心境だった。この時の私は、不安がとても強かった。
それでも、人に相談する回数を重ね、話をするうちに、起こったことについて理解と整理が進み、感情に気づき、ケアについて知識と感覚を掴めてきたように思う。
相談先での「あなたは力を持っている」という言葉が本当に支えになった。
人の力を借りたことで、新しく大きな気づきがあった。
「役割」は期待されること、責任を持てること、やりがいと役に立っているという自信を運んでくれる。
でも役割の前に、存在する自分自身がそのままでOKだと日々感じられることは、もっと重要で、素敵なことだ。
今は、私にとってのセルフケアとは、役割という服をいちど脱いで、感情と身体に意識を向け、そのまま自分自身を「よしよし」と認めることなのかなと思う。
身体を感じる
そんな手探り状態の中、シングルマザーズシスターフッドの早朝からのセルフケア講座を知った。
以前没頭していたダンスから離れていたこともあり、ストレッチも久しぶりだった。
忘れていた身体の感覚を感じた。
度重なるケガも忙しさも乗り越えて、ダンスを続けていたことを思い出した。当時、踊っている間は、すべての役割から離れられた。
必然から出会ったセルフケアだったのだと思う。
自分には力があったし、いまもその力が無くなったわけではないことにも気がついた。
役割を脱いだ自分にアクセスする一番早い方法は身体を感じることかもしれない。
「人に相談し頼ること」「自分の身体を感じること」
今、私の両手にこの2つが握られている。
OK!OK!
以前の私が持っていた「役割によるアイデンティティ」は殆どが強制終了となり、結婚していたときに大切にしていた持ち物も手元には戻ってきていない。
いまは母業以外は役割を休業。
役割を背負っていない自分に、OKを出した。
役割を背負っていない自分。そこも大切に感じている。
いつもセカセカ焦ったように動き回っていたママが別人のようにリビングで、ずいぶんとリラックスしている。息子は今、きっとそんなふうに感じていると思う。
私が力を溜めていると信じてくれているのだ。
そして私は知っている。
色んなことを試しながら自分のペースを探している息子も、今は同じくケッキングなのだ。
これから役割の服が何着も増えてきたときでも、こうやって息子と笑って話せる時間を持ちたい。
今日を忘れず、役割という服を、時々洗濯している間にセルフケアをしたい。
今回、エッセイ執筆に初チャレンジした。
自分だけのものから、外へひらいていく言葉へ。いみじくも、しんどい自分の役割を脱いで見えてきたものがある。
ケッキングは、もう歩き出しているよ。
https://congrant.com/project/sisterhood/6506
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