見出し画像

わたしのままで

🎙️朗読はこちら
執筆者:mina

子どもの頃、何かを作ることや、すてきだなと憧れを表現することや、非日常を味わったりすることが好きだった。

うれしいことに、ものを作ったり表現したりすることは、グラフィックデザイナーというわたしの職業につながっている。

大人になりしばらく経って変わったのは、非日常よりだんぜん日常、日々のくらしが大切で好きになったことだ。

子どもの頃にはまだ、日常を自分で選ぶ権利はなくて、休みの日に遊園地やショッピングに行くといった、たまに選べる非日常が尊かったのだろう。

わたしにとっての日常とは、ごはんを作っておいしく食べたり、身の回りを整えたり、仕事をしたり、おしゃべりしたり、音楽を奏でたり、子どもの寝顔をかわいいと思ったりすることなんかだ。

ある朝、ごはんを食べているときに「光。」と息子が指をさす。その先を見ると、隣の子ども部屋の本棚に並ぶ本の背に、台所の窓から、ひとすじの光が届いていた。

2年ほど住んでいるこの部屋で、あんなふうに陽の光が届いているところをわたしは初めて見た。気づいて、教えてくれてありがとう。

すごく小さなことだけど、息子がいるから心が動いたことを、彼が大人になっても覚えていたいと思う。

自分で選んで日々のくらしを作っていくことに幸せを感じられるようになった。それは、これまでの経験のたまものだ。

フリーランスとして仕事を始めた頃、顧客を広げたり、売り上げを伸ばしたりすることは、ひとつの目標だった。けれど、いまはそこにあまりこだわりがない。

もちろんお金は必要なのだけど、仕事量が増えて忙しくなると、もの作りの質が下がりかねない。フリーランスの身としては、それは命取りだし、なんといっても自分のモチベーションが上がらない。すてきなものを作りたいのだ。

わたしの日常を豊かにすることの中のひとつが仕事だと思っている。

仕事からも、それ以外からも、その時々のわたしが心地よいと感じる必要なぶんを、ありがとうと言って受け取っていきたい。

なので、最近は、自分の力をどこにどう使うかを選んで決めることが重要に思える。自分の力を活かす先が、収入を得られる仕事でもいいし、そうでなくてもいい。

例えば、わたしは何かを大きく宣伝することは得意ではない。けれど、自分がいいなと思うことを、となりの親しい人に小さく伝えることは得意だ。

「さつまいもが無性においしい」「ラジオが好き」「マティス展の色彩がよすぎ」とか話していると、のちに身近な人がさつまいもをおいしく食べていたり、同じラジオ番組を聴いていたり、マティス展に行った感想を教えてくれたりする。

身近な人に共感してもらったことが、そのまた周囲の人に伝わり、いつの間にか知らない誰かの役に立っていたり、まわりまわって自分に返ってきたりするだろう。

そしてわたしも、誰かの得意なことに、いつだって支えられている。だから何かやるにしても、ひとりでやらなくていい。みんなができることを持ち寄って、ふんわりと大きな完全になっていく。

「キャリア」という言葉は、より高い収入を得るために能力を上げて仕事に打ち込むという意味で使われることが多いと思うけれど、わたしにとっての「キャリア」は仕事に限らず、まるごと自分の日々から作られていくものだ。

仕事も家事も遊びも、ますます境界はあいまいになって、ふわっと日常のなかに溶け込んでいく。

小さく身軽にくらして、いつでもどこでも行けるように
こころとからだを健やかにしなやかに、ささやかな自分の声に耳を傾けよう。

行き着いたところで、自分を活かせるように
自然にまかせてわたしが勝手にできていることをいくつでも手にしよう。

そういう自分と過ごせていけたら、これからもとても心強い。

〜ご寄付のお願い〜
最後までお読みいただきありがとうございました。このエッセイは、寄付月間キャンペーン2023のために、シングルマザーのminaさんが執筆しました。
NPO法人シングルマザーズシスターフッドは、シングルマザーの心とからだのセルフケアを支援する団体です。いただいたご寄付は、「シングルマザーのセルフケア講座」と「表現による自己の回復プログラム」の運営費として大切に使わせていただきます。シングルマザーの心とからだの健康は、子どもたちにとっても不可欠です。ぜひ応援いただければ幸いです。ご寄付はこちらで受け付けております。


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはひとり親の心身のセルフケアとエンパワメントの支援活動に使わせていただきます。